Die Geschichte von Seelen der Wolken



Die Geschichte von Seelen der Wolken


第七話   本局の一コマ




新歴65年 12月2日  時空管理局本局  エレベーター内  PM8:45




 「検査の結果、なのはちゃんの怪我は大したことないそうです。一応、専門の医師の方に診てもらいはしたんですけど」


 「特にこれ以上するべき処置はない、ということでしょうね」


 「はい、応急処置が同時に手術レベルの規模でなされていたとかで、クロノ君もユーノ君も並外れているというか、なんというか」


 本局のエレベーター内において会話を交わすのは、アースラ艦長のリンディ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタの二名。エイミィが手にしているコンソールパネルには、今回の事件に関する事柄が要点を纏められた上で全て記載されていた。


 「ただ、魔導師の魔力の源、リンカーコアが異様なほど小さくなっていた、というのも気になるところで」


 「そう、じゃあやっぱり、一連の事件と同じ流れね」



 小さくなっていた、という時点でそれが過去形であることが窺える。リンカーコア障害の治療のために開発された二つの研究成果、生体機能促進型人工魔力エネルギー結晶“ミード”と魔力エネルギー吸収型リンカーコア治療用端末“命の書”はその機能を十全に発揮していた。



 「はい、やっぱり、闇の書事件、なんですね」


 「高ランク、いいえ、ランクを問わず魔導師からリンカーコアの蒐集を行う古代ベルカの騎士達。これまではその姿が特定できていなかったけど、ここまで来たら間違いないわ」


 ハラオウン家は、闇の書との因縁が深い。


 そのロストロギアによって夫を失ったリンディ・ハラオウン、父を失ったクロノ・ハラオウンが闇の書の守護騎士たる四騎、剣の騎士、鉄鎚の騎士、湖の騎士、盾の守護獣の特徴を見誤るはずもなかった。


 クロノに至っては、交戦している最中から敵がヴォルケンリッターであることを念頭に入れ、四人目の敵が現れる可能性を考慮して戦術を展開していたくらいである。



 「とはいえまあ、もし彼がいなかったら私もここまで確信は持てなかったでしょうけど。あれらに関することであらためて闇の書事件に関するレポートを読み直したのも最近だし」


 「例の、“生命の魔導書”、ですか?」


 生命の魔導書はロストロギア“ジュエルシード”によって生成された、闇の書の蒐集機能のみを複製した写本といえる存在。


 “願いを叶えるロストロギア”の特性でもって生まれた存在であるため、その製法は誰も知る由がなく、機能のみを実験を重ねることで把握できたに過ぎない。


 そのため、管理局の魔導関係の技師達が“生命の魔導書”を模してテスタロッサ家と技術提携し作り上げた“命の書”は性能面ではオリジナルに大きく劣る。機能そのものはほとんど変わらないが、効用や副作用などの点に関してまだ大きく離れているのだ。



 「あれが公の存在になって、主に管理世界で先天的なリンカーコア疾患で苦しむ子供達のために使用されるようになってから早二か月。その写本ともいえる“命の書”の最初の臨床使用例がなのはさんというのも奇妙な縁というべきかしらね」


 “生命の魔導書”とそれを基にした端末である“命の書”、そして、“ミード”を医療手段として臨床で用いることが正式に認められたのはちょうど今日のこと。元々、クロノ、ユーノ、フェイト、アルフはそのために集まっていたのである。


 リンディが言ったようにその二か月ほど前から試験運用という形で“生命の魔導書”は使用されており、これは、時間をかけるほどに子供達の治療が困難になることが予想されたためであり、他ならぬアリシア・テスタロッサの症例が“生命の魔導書”の使用へと踏み切らせる後押しともなっていた。


 そうして、“命の書”や“ミード”も試験運用されるようになり、既に実験的には問題ないことが証明されていることも考慮され、この二つは臨床で用いられることが公式に定められた。


 とはいえそれもまだまだ一般のものではありえない。これが使用されうるのは本局の中央医療センターか、クラナガンの先端技術医療センターなどの最上級の設備を備えた“管理局の施設”に限られ、次元世界に存在する一般の医療施設で使用されるまでにはどんなに早くとも1年半はかかるだろう。


 時間がかかる最大の要因は、時間をおいて現われる副作用がないかを確認し、安全性を確立するまで必要があるからに他ならず、それまでは管理局の直轄といえる機関でのみ使用されるのは当然の話ではあった。



 「でも、あそこにいたのが執務官で、なおかつあれらの公式登録の担当官だったクロノ君と、そのための“実践面”と担当していたユーノ君でなかったら、法律的にもヤバいところですよね」


 そして、“命の書”と“ミード”が試験運用ではなく、公式に認められてから最初の使用例となったのは高町なのは。実に、登録から3時間以内の使用であった。



 「もしくは、地上本部と連携して“生命の魔導書”を各地の医療設備に順番で貸し出している“彼”くらいなものね。時の庭園もまた、例外的にその二つを扱える医療機関の一つとして認定されているから」


 「ホント、抜け目ないですよね、いつの間にそんな手続きまでやっていたのやら」


 「いったいいつかしらね、でも、最近は地上本部の姿勢も少し丸くなってきたて言うし、ひょっとしたら彼の頑張りのおかげなのかもしれないわね」


 「う〜ん、反目している状態から、利用し合おうという状態に変わりつつある、ってとこですかね?」


 「そんなものかしら、とりあえず、良くなってきそうな兆しがあることはいいことだわ」



 彼女達は本局の人間の中では陸と海の対立を憂い、改善しようと試みる融和派であるため、その風潮は歓迎したいところであった。



 「そっちはまあいいことですけど、私達の休暇は延期ですかね、流れてきにアースラの担当、というか、どう考えても適任がうちしかあり得ませんし」


 「仕方ないわ、そういうお仕事だもの。これも、クロノとユーノ君とフェイトさんの頑張りの成果の一つと受け止めましょう」



 リンカーコアの蒐集を行う守護騎士達による“闇の書事件”。


 これに対応するならば、アースラ以上の適任はあり得ない、これはまさに厳然たる事実であった。


 魔導師の魔力の源であるリンカーコアが異常に小さくなるまで蒐集されるという特殊な症状であるがゆえに、被害者の治療、リハビリには相応の医療設備と時間が必要となる。


 しかし、その症状に対して“特効薬”に近い医療装置が開発されており、現状においてそれを運用できるのは管理局の中枢に近い医療施設か、その登録を担当した執務官が乗る次元航行艦くらいのもの。


 その人物こそがクロノ・ハラオウンであり、“闇の書事件を追う執務官”として彼が適任であるのはこの時点で明白であり、さらに、アースラに搭乗する嘱託魔導師は“命の書”や“ミード”の特許や権利を保有するフェイト・テスタロッサ。



 「あの二つが、プレシアさんの研究成果である以上、受け継げるのはフェイトちゃんだけですもんね」


 エイミィがプレシア・テスタロッサという女性を会ったのは時の庭園で行われた“集い”の時だけであったが、皆で知恵を出し合ったその会議は、彼女の心にも印象深く刻まれていた。


 そして、彼女が言うように、プレシア・テスタロッサの遺産を引き継げるのはフェイト・テスタロッサしかあり得ず、さらにはそれらを実践面でサポートしたユーノもアースラにいるというおまけつき。


 まさしく、現状のアースラは“リンカーコア障害対策専門部隊”と言っても過言ではない面子が揃っているのである。



 「そのおかげで、なのはさんの症状もごく軽いもので済んだ。なら、私達が頑張らないでどうするの」


 「ええ、そうですね」


 何よりも、アースラスタッフが“被害者を救った”ことが大きい。


 “彼らならば被害者が確認された際に迅速に対処が出来ると考えられる”ではなく、“迅速に対処できた”という成果を既にアースラは挙げてしまっており、曲りなりにも守護騎士を退かせ、蒐集されたなのはを迅速に治療したクロノ達を除いて、一体誰が闇の書事件の担当者となるというのか。


 時空管理局もやはり組織であるため、“前例”というものを重く見る。アースラチームが被害者を救った前例がある以上、彼らがそのまま担当となるのも必然というべきだろう。



 「それで、今なのはさんはどこに?」


 「トールが確保していたテスタロッサ家のスペースです。既に入院するまでもないくらいまで回復しているから、フェイトちゃんと一緒の方がいいだろうって」


 「でも、スペース的に厳しくないかしら?」



 フェイト達がいるのはハラオウン家のスペースの斜向かいであり、ほとんど寝るためだけに使っている彼女達の“寝室”に近い。一応は怪我人といえるなのはを休ませるにはいささか不適当と考えられるが。



 「いえ、普段使っている部屋以外に何時の間にやら六ケ所くらい抑えていたみたいで、その中でも医療器具とかが置いてあるスペースを使うと言ってました」


 「まあ、いつの間に」


 「どうやら、アスガルドの方がトールの指示で動いていたみたいなんですけど、ネットワーク上でやり取りされる不動産情報に関してはちょっと」


 「流石に、専門外ね」













新歴65年 12月2日  時空管理局本局  テスタロッサ家居住スペース  PM8:50



 「いや、君の怪我も軽くて良かった」


 「御免ねクロノ、心配掛けて」


 「気にするな、僕の判断ミスが原因だ。これからまずは、始末書を相手にしなくてはならないな」


 「あれは、クロノのせいじゃないよ、私とアルフが竜巻に気を取られてしまったのが…」


 「いいや、部下の失敗は上官の責任でもある。それに君はあくまで嘱託魔導師であって管理局員じゃないんだ、ならば、その身の安全を保障するのは僕達執務官の役目であり、それを果たせなかった以上、始末書は書かないとね。何よりも、二度とこんなことがないように今後の改善策を検討する必要がある」



 他人にも厳しいが、己にはそれ以上、いや、その数倍は厳しい、それがクロノであった。


 既に闇の書事件を担当するのがクロノ・ハラオウンとフェイト・テスタロッサを有するアースラであろうことを彼も予想しており、フェイトが無関係ではいられないことも理解している。


 ならばこそ、彼女がヴォルケンリッターと再び矛を交える可能性は高いため、クロノはその時のための戦術の考察を行う。民間人であるなのはは別に戦う必要はないが、嘱託魔導師であるフェイトは有事の際にクロノの指揮下で戦う必要があるのだ。



 ≪もっとも、フェイトが戦う以上、なのはがじっとしていられるはずもない≫



 クロノの個人的な感想を言えば、二人とも安全なところにいてくれた方が気が休まるのだが、そういうわけにもいかない。彼女達自身が望むなら可能な限りその意思は尊重しなくてはならないという理念もあるが、闇の書事件を担当する上で、AAAランクの魔導師の力は無視できないという現実もある。


 別に幼い二人に無理をさせずとも、本局ならばAAAランクの魔導師はゴロゴロとまではいかないが、存在している。この案件が闇の書事件である以上、戦力として一時的にアースラに貸し出してもらうことは十分可能であろうし、レティ・ロウラン提督ならばその程度は朝飯前だ。


 とはいえ、二人がそれに納得して引き下がるかといえば、それもまた怪しい。最悪、時空管理局とは関わりないところでヴォルケンリッターと対峙することとなる可能性もあるのだ。


 ならば結局、クロノ指揮下に二人の少女を置いておき、彼女らが無理しないように目を光らせ、もしもの時の救援体勢を整えておくことがベターといえる。



 ≪まあ結局は、僕達かなのは達か、どちらが精神的重圧を負うのかという話だ≫



 リンディやクロノにとっては、指揮下に置く人間は武装局員の方がやりやすい。彼らは管理局の歯車の一部であり、最悪、殉職することも覚悟して武装隊に身を置いている。無論、彼らを無駄死にさせるつもりなど二人には毛頭ないが、いざとなれば割り切る精神もまた持ち合わせている。


 だが、なのはやフェイトは違う。彼女らは正規の局員ではなく、万が一にも死なせるわけにはいかず、負傷させることすらあってはならない事態であり、二人にとっては傷つくことは覚悟の上かもしれないが、上の人間にとっては胃痛の種となるのも事実。


 つまりは、クロノがミスをしなければいいだけの話であるが、その責任はクロノの双肩にかかり、その上官であるリンディも同様。気苦労が絶えないのはハラオウン親子であり、いざとなれば責任を負うのもハラオウン親子、割に合わないことこの上ないが、彼らはそれを選ぶ。


 彼女らを遠ざけ、武装隊からの増員を指揮するならば、“民間協力者、嘱託魔導師を危険に晒す”という重圧からハラオウン親子は逃れられるが、代わりに少女達の心に“自分達だけ守られている”という重圧がかかることになる。そして、二人は自分達が苦労する方を選んだ。


 これで、少女達を戦わせることにメリットがないならば否定するのだが、二人とも戦闘技能は一級品であることも事実であり、“管理局”にとっては彼女ら二人を使った方が効率は良く、万が一のことがあればハラオウン親子に責任を取らせれば済む。



 それらを全て承知した上で、ハラオウン親子は高町なのはとフェイト・テスタロッサが前線に出ることを許す。それがどれほどの覚悟と責任を伴うものであったかを、二人の少女がそれぞれ尉官クラスの階級となり、部下を持つようになった際に知ることとなるが、それは今しばらく先の話である。



 「それにしても、彼はいつの間にあんなスペースを確保したのだか」


 「わたしにも分からない、というか、今日まで知らなかったよ」


 クロノとフェイトは居住用のスペースで申し送り用の書類などを作成している。ユーノとアルフの二名はレイジングハートとバルディッシュの方についており、なのはの傍にはトールがいる。


 「まあともかく、なのはの傍には彼がいる。彼女が目覚めるまでは僕達は僕達のやることに専念しよう」


 「うん、そうだね」


 二人が書いている資料とは、自分達が戦った騎士に関するものであった。


 この先、再びぶつかる可能性が極めて高い以上、守護騎士の能力や戦い方は記録媒体にまとめて保存しておく必要があり、可能な限り交戦から時間を置かないうちに作成するのが望ましいため、なのはが目覚めるまでの時間を利用して二人はそれを書いている。


 また、ユーノとアルフも二機のデバイスを見守りながら、同様の作業を行っていたりする。



 だがしかし、彼らは知る由もなかった。


 この頃既に、高町なのはが目を覚ましており、凄まじい惨劇を体験することとなることを。


 その体験が、彼女の精神に大きなトラウマを与えることを。





 彼らは、知る由もなかった。










新歴65年 12月2日  時空管理局本局  テスタロッサ家医療用スペース  PM8:50



 「ふむ、流石に若いな、もうリンカーコアの回復はかなり進んでる」


 「ありがとうございます、トールさん」


 「ま、ちょっとの間は魔法がうまく使えないだろうが、“ミード”がかなり補完してくれたからその気になればディバインシューターくらいは撃てるだろ」



 彼は、汎用言語機能を用いてなのはと会話する。


 既に、彼がその機能を発揮する場はフェイトのいる空間に限定されつつあるが、高町なのはという少女は数少ない例外の一人である。


 この基準は、フェイトとの親しさのみならず、その対象の精神モデルのパラメータを用いている。簡単言えば、クロノやエイミィが相手ならば、本来の口調で話しても相手が違和感を覚えないから、といったところだろうか。



 「それはともかくとして、まずは風呂に入ったほうがいいぞ、お前今日はまだ入ってないだろ」


 「ええっ! どどど、どうして分かるんですか!?」


 うろたえるなのは。


 「そりゃあお前、お前の脇とかから漂ってくる汗臭さ」


 「ふぇええええええええ!! わ、わたし、臭うんですかあぁっ!!!」


 さらにうろたえるなのは。


 「なわけはなく」



 こけた



 「というか、俺には嗅覚の機能はない。レイジングハートもバルディッシュもサーチャーと同様の周囲の視覚情報を取り込む機能と音声記録機能は持っているが、触覚、味覚、嗅覚はないぞ」


 「あ、あああ、あのですね…」



 額を抑えながら抗議の声を上げようとするなのは、こけた際に打った模様。



 「だが、俺が使っている人形は触覚情報すら本体に伝えられる優れモノ。とはいえ、流石に味覚と嗅覚まではない。視覚情報から味を予想することは出来るが」


 「トールさん、ちょっとお話が……」


 「さて、とっとと服を脱ぐ」


 「え、ちょ、ちょっと、自分で脱げますから!」


 「病人なんだから文句言うな、お前の身体を健康体アンド清潔体にすることが我が使命なのだよ」


 「で、でもですね」


 「それに、クロノ、フェイト、ユーノ、アルフの四人は戦闘後洗浄している。あれだけの速度で飛びまわれば汗をかかないはずもないからな、アルフに至っては若干口から血も出てたし」


 「血! 血を吐いたんですかアルフさん!」


 「それに、フェイトも………」


 「フェイトちゃん、怪我したんですか!」


 「お前の隣で寝てた」



 こけた



 「と、トールさん………って、もう脱がされてるっ!」


 「さーて、浴室へ向かうか」


 「だ、だから、一人で出来ますっ!」


 「遠慮しない遠慮しない、遠慮し過ぎるのはお前とフェイトの共通する悪い癖だぞ」



 といいつつ、なのはを抱えて隣接する洗浄用の部屋へ向かうトール。



 「遠慮じゃなくて、恥ずかしいんですっ!」


 「機械相手に何を恥ずかしがることがあるか」


 「いや、トールさんて、見た目はお兄ちゃんくらいだから……」


 「ふむ、お前の父と兄がほぼ同年代に見えるのは俺だけだろうか?」


 「……………ノーコメントで」



 なのはもまた、家族の外見年齢の変わらなさに若干の違和感を覚えつつあるようであった。



 「そんなわけで、洗浄ルームへ到着」


 「いつの間に! っていうか、広いですね!」


 「そりゃ当然、ベッドで寝たきりの人を可動式ベッドごと運び込んで、四方八方からシャワーを撃ち込むための部屋だからな。別名を“血の洗礼ルーム”」


 「なんか………病人のための部屋とは思えないんですけど………」


 「さーて、ブラシと洗剤は、と」



 なのはを設置されてあった椅子に座らせ、さっさと洗浄器具を取りに向かうトール。



 「だ、だから、自分で出来ます」


 「気にしない、気にしない」


 「気にしますから!」


 「んで、ブラシはどっちがいい?」



 トールが手に持つのは、二種類のブラシ。



 「……………あの、どうしてこう、キリンさんや象さんを洗うようなブラシしかないんでしょうか?」



 そう、それはブラシと呼ばれるものだ。断じて、垢擦りなどと呼ばれるものではない。



 「問題ない、俺から見れば同じ生体細胞の塊だ」


 「生体細胞………って、痛い痛い!」


 「わかままなやつだなー」


 「貴方にだけは言われたくありませんっ!」


 「ふむ、この口調が悪いのか、ならば――――」


 「いえ、口調じゃなくて、ブラシが悪いんですけど……………聞いてませんね?」



 聞く耳もたずとはこのことか。



 『では、こちらの口調で、痒いところはありますか?』


 「えっと、痛いところならあるんですけど……」


 『お力になれず、申し訳ありません』


 「即答!」


 『では、ブラシを変更いたします』


 「で、出来る限り、ソフトなので……」


 『善処します』





 一旦、奥に引っ込むトール。





 『こちらなどは、如何でしょうか?』


 「ストォォーーーーーーッッププ!!!」


 『どうしましたか?』


 「それ! どう見ても便器を洗うためのブラシですよねえっっ!!」


 『いえ、これは一度も便器を洗うために使用されてはおりません、買ったばかりの新品です。本来の用途はそれですが、他の用途にも使えます。それに、柔らかいですよ』


 「まだ便器を洗ってなくても! 便器を洗うためのブラシなのは間違いないんですね! っていうか、柔らかいんですか!」


 『ええ、対象が硬いことがあれば柔らかいこともあり、時には水に近いこともありますので。傾向的には硬い方が汚れにくいため、このように柔らかいブラシが最近の主流となっております』



 ちなみに、本局内にあるホームセンターで購入したものである。



 「その対象って、考えたくないんですけど……」


 『排泄物、大です』


 「言わないでください!!」


 『人間的に表現するならば、う●こです』


 「わざわざ人間的に言い直さないでいいですから!」


 『では、洗いましょう』


 「待って! 後生ですから待って下さい!」



 なのはも必死である。少女はおろか、人間として守り通さねばならない尊厳がかかっている。



 『難しい言葉を知っているのですね』


 「あ、前にお兄ちゃんから少し教わって……にぎゃああああああああああ!!」


 『泡が口に入りますよ』


 「やめてください! お願いですから止めてください!」


 『分かりました。止めましょう』



 ピタッと、動きを止めるトール。



 「ふぇ?」


 『如何しました?』


 「あ、あの、止まったことが意外で……っていうか、何で肌に密着させたまま止めるんですか?」


 『貴女に、お願いされましたから』


 「え、えと……」


 『先ほども申したように、私は機械です。ですから、貴女は恥ずかしがることもありません』


 「機械……それで、お願いには応えるんですか…」


 『そうですね、例えるならば、食器を洗う際に特別な感情を抱く人間がいないのと同じことです』


 「食器?」



 その瞬間、空気が凍った。



 「わたし、食器ですか?」


 『いいえ、貴女は人間です』



 しかし、デバイスの態度は変わらない。



 「………」


 『ですがまあ、仕方ありませんね。やはりここは、洗浄用のシステムに任せることといたしましょう。見ての通り、自動の機械システムがありますから』


 「あ、その方がわたしとしても気が楽なので、お願いします」


 『では、機動の準備をしてきます』





 またしても奥に引っ込むトール。


 だがしかし、なのはは気付かなかった。“起動”ではなく、“機動”の準備であったことに。


 トールが日本語変換を使ってたたために、気付くことは不可能であり。


 彼女は、気付かなかった。





 「うん、自動の方がよっぽどましだよね、やっぱり、人間みたいな外見だと恥ずかし」



 ガチャン、ガチャン、ガチャン



 「……………」


 『洗浄シマス、洗浄シマス、中ヘ格納シテクダサイ』
 


 そこに現われたのは、多足ユニットを備えてゆっくりとこちらに近づいてくる謎の物体。


 いや、形状から想像はつくのだが、なのははあえて考えないようにしていた。



 「あの、トールさん?」


 『ハイ、ナンデショウ』


 「それ、何ですか?」


 『自動洗浄システムデス』



 確かに、外見的にはそうだ。その自動洗浄システムとよく似たものをなのはも知っている。


 ただし――――



 「あの、それって、ガソリンスタンドとかにある、車を洗う機械じゃ……」


 『イイエ、自動車ハアラエマセン。サイズ的問題カラ、二輪車ガ限界デス』


 「やっぱり! 本来は人間用じゃないんですね!」


 『ワタシノ肉体ヲ洗浄スルタメニ使用シマス、多少ノ改良ヲクワエマシタ』


 「人間に近いけど、人間じゃないですよねえぇぇ!!」


 『外部構成材質同等』


 「何で全部漢字なのっ!」


 『開始シマス』


 「ちょ、ちょっと待って!」


 『ナンデショウ?』



 待てと言われれば、律儀に待つのが機械。



 「あの、トールさんって、息はしませんよね?」


 『シマセン』


 「その機械って、何分くらい?」


 『約10分デス』


 「死んじゃいますよわたし!?」


 『蘇生設備万全』


 「死ぬこと前提ですか!?」


 『顔ダケハ別トナリマス』


 「そ、それなら何とか……」


 『開始シマス』


 「って、いつの間にか入ってるしいーーーーーーーーー!! 何でわたしも了承しちゃってるのーーーーーーーーーーーー!!!!」







 ただいま、洗浄中です。そのまましばらくお待ちください。








 『“ワックス”ハ、オカケシマスカ?』


 「ワックス!?」


 『ミラーヲ、トジテクダサイ』


 「ミラー!?」


 『空気ヲ、注入シマス』


 「わたしはタイヤじゃありません!!! いや確かにそろそろ空気は欲しかったですけど!!」


 『ワガママ』


 「貴方にだけは言われたくありません!!」








 およそ、10分後










 「御免、フェイトちゃん、わたし、汚れちゃった………」


 『いいえ、綺麗になりましたよ』


 「なんか………車どころか、バケツか雑巾にでもなった気分です」


 『ふむ、まだ改良が必要のようですね。良いデータが取れました』


 「わたしは実験サンプルですか!?」


 『そういうこともあるでしょうが、そうでないこともあるでしょう』








 そんなこんなの、ある本局での一コマ。


 これから、彼女らは戦いの日々が始まることとなるが、その前にしばしの休憩を。




 ―――――――――休憩?




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