夜天の物語



夜天の物語



第1章  中編  旅の騎士達




ベルカ暦485年  エトナヴェットの月  ミドルトン王国領  イアール湖




 心が引きこまれるかと思われるほど透き通った水を湛える湖、イアール湖。


 ベルカの地に点在する王国の一つ、ミドルトン王国の中でも屈指の美しさを誇るその湖畔に、一人の騎士が佇んでいる。


 無骨と耽美、本来相反するはずのその二つを兼ねた騎士甲冑を纏い、桃色と赤紫色の中間と言える長い髪を後ろで束ね、鞘に収まった剣型デバイスを携える凛々しい風貌の女性。


 夜天の守護騎士の将であり、“剣の騎士”との誉れ高き、白の国の近衛隊長。



 彼女は、ただ静かに湖面を見据え、鞘に収まったままの相棒に語りかける。



 「来る」


 『Ja』


 交わす言葉は短く、しかし、それ以上の言葉は不要。


 炎の魔剣レヴァンティンは、烈火の将が魂。


 こと、戦いの場において、この二人が意思の疎通に余分な言葉など必要とするはずもない。


 そして、二人の言葉に応じるかのように、湖の水面が盛り上がり、巨大な生物が姿を現す。



 「■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」



 ベルゲルミルと呼ばれるその生物は、竜と同等の体躯と強大な力を持ち、主にイアール湖を中心としたミドルトン地方の湖に生息していることは知られているが、それ以上のことはほとんど謎に包まれている。


 その鱗は頑強であり、牙や爪も人間など容易く引き裂く力を秘めており、肉食でもあるため人間が出会えば危険極まりない生物であることは間違いない。



 「往くぞ、レヴァンティン!!」


 『Jawohl!』



 だがしかし、それは彼女らが普通の人間であればの話。


 ベルカの騎士は戦いにおいて一騎当千。無論、全ての騎士がそこまでの技量を備えているわけではないが、ベルゲルミルという巨大生物と対峙している騎士は、まさしくその言葉を体現した存在であった。



 「紫電――――」


 そして、人間よりも遙かに巨大な体躯と力を備えた相手に対し、様子見を行う愚を犯すような者に、夜天の騎士を名乗る資格はない。


 みまうべきは強烈無比なる一撃であり、小手先の技で敵の力を図ろうとするなど愚の骨頂。


 技術とはあくまで騎士と騎士が戦う際にこそ用いるべきものであり、人間との戦いでこそ意味を成す。魔獣や幻獣を相手にする際に知恵を絞るのは魔術師の役目、騎士の役割とはすなわち。



 「一閃!!」


 『Explosion!』


 強大な力を誇るその存在に真っ向から立ち向かい、鎧を持たない魔術師達の盾となると同時に、剣となること。


 ただ、烈火の将と炎の魔剣の場合はいささか異なり――――



 「■■■■■■■■■■■■■■■■………」



 魔術師の智略と補助を必要とすることなく、一対一で打ち破ることが可能、いや、容易であるという点で、怪物退治のセオリーとはかけ離れた存在であった。


 紫電一閃を正面から叩き込まれたベルゲルミルは、僅かに唸り声を上げた後、湖畔の浅い水に倒れ込む。



 「存外、楽に片付いたな」


 『Ja』


 「では、本来の仕事を行うとしよう」


 『Nachladen.(装填)』
 


 だがしかし、それもある意味で当然である。


 この二人の目的はそもそも怪物退治ではないのだから、セオリーからかけ離れるのも実に自然な成り行きであった。



 「“鏡の籠手”よ、起動せよ」


 剣の騎士が取り出し右手に填めた道具は、籠手という名こそ付けられているものの、実質は手袋と呼ぶべき薄さである。


翠色の布で作られたそれは、魔力が注がれると共に湖の騎士と同じ色の魔力光を放ち、込められた術式を開放していく。



 「リンカーコア、摘出」


 彼女の紫電一閃(当然、殺さないように手加減をしている)によって目を回しているベルゲルミルに近寄り、直接鱗に触れると同時に、輝きが一段と強まる。


 そして、人の掌の上に容易に収まるほどの大きさの光を放つ物質、すなわち、リンカーコアが導き出されるように姿を現す。



 「すまんが、少々我慢してくれ、痛みはないはずだ」



 そちらよりも紫電一閃の方が余程痛いはずだが、まあそれはそれとして、彼女は所持していた本を開く。


 その表紙には、魔術師達が己の秘儀を伝える際に使用する古代ベルカ文字において、“魔法生物大全”と書かれていた。


 
 「蒐集、開始」



 そして、彼女の言葉と共に起こった現象は、ベルカの地においても秘蹟と称されうる最上級の魔道の業。


 “鏡の籠手”によって導き出されたリンカーコアの一部が、光の粒となりつつ本に注がれていくと同時に、本のページが独りでに埋まっていく。


 そこには、ベルゲルミルという生物の生態が事細かに書きこまれ、数十年観察を続けることでようやく得られるが如き成果が、凝縮されていた。



 「よし、完了だ。すまなかったな、シャマルならば傷つけることなく速やかに成せるのだろうが、私はあいにく不器用でな」


 労うような言葉をかけつつ、女性騎士は懐から翠色の石を取り出し魔力を込め、治療魔法の術式を展開する。


 こちらも、彼女の同僚である湖の騎士シャマルが製作した魔法石であり、自身では治療系の魔法が使えない彼女は実に重宝していた。


 淡い翠色の光がベルゲルミルを包み込み、手加減はしたものの付いてしまった傷を癒していく。



 そこに―――



 「いやあ、驚きました。流石は白の国が誇る烈火の将シグナム、見事な手際ですねえ」



 後方で控えていた線の細い男性が、声をかける。



 「賞賛の言葉、有り難く受け取ろう。だが、諸国の近衛の長達に比べれば若輩の身ではあるが、白の国の近衛隊長を任されている立場にいる以上、この程度のことが成せぬようでは話にならん」


 「いやいや、この程度と申されましても、ベルゲルミルを一撃で昏倒させることが出来る騎士など、ベルカの地全体を見渡してもどれほどいることやら」


 「そうかな、これを成せる騎士という存在は案外多いものだぞ、世界は広い。お前も機会があればベルカの地を巡ってみるといい、今よりもさらに視野が広がるだろう」


 「はあ、実際に放浪の賢者と共に諸国を巡られている貴女の言葉では、反論することは出来ませんけど」



 苦笑いを浮かべつつ、年齢19歳程と見受けられる男性は、今も横たわるベルゲルミルを見上げる。



 「しかし、本当に驚きましたよ。今まで何度も力自慢の騎士の方々をここに案内してきたものですけど、これほど容易くベルゲルミルを制し、かつ、ほとんど傷つけずに目的を達成なさるとは」



 彼はイアール湖の畔にある大きな街、パヴィスに住む調律師であると同時に猟師でもある。


 彼の家は代々イアール湖周辺の案内役を務めており、彼もまた、4年前よりベルゲルミルを打倒することで誉れとせんとする騎士達を幾人も案内してきた。


 だがしかし、その大半は返り討ちにあい、ごく稀に打倒することに成功する騎士もいたが、彼女のように最初の一撃で昏倒させ、さらに打倒することが目的ではなかった者は彼が案内してきた中にはいなかった。



 「半分は私の仕事ではない。これを作ったのは私の同僚であり、こちらは、我等が大師父の作品だ」


 「貴女と同じ夜天の騎士の一人、湖の騎士シャマルの作品である、“鏡の籠手”に、彼の放浪の賢者、ラルカスが作りし夜天の魔道書、か、いや凄いなあ」


 若者の言葉に、シグナムは首を横に振る。


 「いいや、これは夜天の魔道書本体ではない。“魔法生物大全”という銘がついているが、実際は情報をまとめ、夜天の魔道書へ引き渡すための子機のようなものだ」


 「ああなるほど、一旦はそちらに保存され、しかる後に大元である夜天の魔道書に記録される。というわけですか」


 「ああ、夜天の魔道書のキャパシティは膨大だ。ベルカの地に生きる全ての魔法生物を記録したとしても、まだページは残るだろう」



 ベルカにおいては、リンカーコアを持つ生き物は魔法生物、もしくは魔獣などと呼ばれる。


 その中でも特に知能が高く、人間と同等かそれ以上の者らは幻獣と称され、真竜などが最たる例とされる。


 それらの記録を悉く蒐集してなお、ページを残すと言われる夜天の魔道書。その容量はデバイスの常識を超えるものであった。



 「ははは、流石は放浪の賢者の最高傑作と呼ばれし魔道書。僕なんかではその一部すら理解できそうにないなあ」


 「そう卑下することもないだろう。お前の調律師としての名も、かなり知れ渡っているぞ、クレス」



 シグナムにクレスと呼ばれた青年。


彼もまた、10歳から15歳までを白の国で過ごし、調律師としての技術を学んだ者であり、騎士と調律師では立場がやや異なるが、シグナムの後輩に当たる存在であった。


 彼もまたリンカーコアを有しており、騎士見習いの集まりである“若木”の一員なることも不可能ではなかったが、性格がそれほど戦いに向いていなかったことや、何より、彼の才能は騎士よりも調律師や魔術師としての方面に偏っていたこともあり、“若木”とはならなかった。


 彼のように、他国から白の国に技術を学ぶために訪れる者は多い。そして、彼らがそれぞれの母国の技術を高め、それがまた白の国へと集まっていく。


 そして、彼らはそれぞれの国で騎士や調律師として名を馳せ、歴史や地理にも精通していることが多いため、夜天の騎士達の旅とは、白の国の門徒達を巡る旅であるといえた。

 

 「ありがとうごさいます、騎士シグナム。シャマルさんやザフィーラとも、出来れば再会したかったところですけど」


 「その二人は来ていないが、ローセスは来ているぞ、お前とは特に親しかったな」


 「みたいですね、あいつも、今では白の国の正騎士にして、夜天の守護騎士の一人なんだよなあ」



 感慨深いような、羨むような、やや微妙な表情を浮かべるクレス。



 「ライバルに置いて行かれるような心境、といったところか」


 「貴女には敵わないなあ。まあ、そんなとこです、騎士シグナム」


 「私にも似たような経験はあってな、私の同年代には同格の騎士がいなかった。先輩には幾人かいたが、彼らも私が正騎士となる前に白の国を離れていた」



 剣の騎士にして、夜天の騎士の烈火の将シグナム。


 彼女が“若木”であった頃、彼女に敵う男はおらず、無論のこと、女はさらにいなかった。


 彼女が述べたように、年上には幾人か彼女と同等の者もいたが、白の国の“若木”は大半が他国より訪れている者達であるため、長くとも7年ほどで故国へ戻るのが常であった。


 そして、白の国で生まれ育った者達の中では、シャマルが唯一彼女と対等と言えたが、その専門は大きく異なる。騎士として最前線で戦うことがシグナムの役割であり、シャマルの役割は後方支援。


 求められる技術が全く異なる故に、競い合う仲とはなりえない。互いに意識し合い、負けてはいられないという想いはあったが、やはり武の腕を競える相手がいなかったことは、彼女にとって唯一残念といえる事柄であった。



 「確かに、僕は恵まれていますね。力無き者にはそれ故の苦悩があり、力有りし者にもそれ故の苦悩あり、でしたっけ?」


 「我等が大師父の言葉はいつも真理を的確に表すな」


 「確かに、まあ、そのような人智を超えた品物を作り上げることが出来る人ですから」



 クレスが指す“人智を超えた品”とは、無論、“魔法生物大全”とその上位に君臨する夜天の魔道書である。



 「リンカーコアの一部を蒐集して、その生態を余すことなく写し取る。確かに、僕達生物の細胞にはそれぞれの設計図と呼べるものがあり、リンカーコアには特に情報体として解読しやすい形で保存されているとはいいますが、リンカーコアの欠片からそれを読み取るのはほとんど不可能に近いと思いますよ」


 「心臓に例えるならば、心臓だけを抜き出して、僅かに血液を採取するだけでその生物の特徴を全て書き出すようなものか。確かに、改めて考えれば、空恐ろしさすら感じる」



 クレスの言葉に、シグナムもまた表情を改めて考え込む。



 「それに、“鏡の籠手”も普通ではあり得ない品ですよ。シャマルさんは道具を用いることもなく、やってのけてしまいますけど」


 「私も時々恐ろしく感じるほどだ。もし私が敵対する立場にいるならば、シャマルは真っ先に潰すだろう」


 「ですが、貴方が剣、彼女が癒し手ならば、もう一人、強力な盾がいますからそれも厳しいでしょうね」


 夜天の守護騎士は二人ではなく、三人。


 最も防戦を得意とする盾の騎士がいるからこそ、烈火の将は前線で心おきなく戦うことができ、湖の騎士は補助に専念することが可能となる。


 「ふっ、本当にローセスのことをよく見ているな、お前は」


 「茶化さないでください、それに、ローセスと言えば、あの子はもう何歳になりますかね?」


 「ヴィータか、今年で8歳になるはずだ」


 「8歳ですか、早いものだなあ」



 クレスという青年は現在19歳であり、彼が白の国に滞在していたのは15歳までであるため、彼が知るヴィータは4歳の幼子であった。


 そして、ヴィータの兄である盾の騎士ローセスは彼と同じ19歳。クレスも幾度となくヴィータの遊び相手を務めた覚えがある。


 「ちょうど、私と同年代の友人の娘も同い年でな、たびたび子供の話を聞かされるので自然と覚えてしまった」


 「そうでした、騎士シグナムはもう26歳でしたっけ。ということは、その人は18歳で産んだわけですか、まあ、平均的でしょうけど」


 「ほほう、女性に対して年齢を直接言うとは、いい度胸だ」


 「あっ、いえ、これはその、言葉のあやというやつで………」



 自分の失言を悟り、慌てて修正を試みるクレス。



 「冗談だ、ただ、仮に会えたとしてもシャマルの前では言うな、あれの前で歳の話は禁句だ」


 「ああー、行かず後家を気にしてたんですね、シャマルさん。貴女の一つ下のはずだから、もう25歳、適齢期はけっこう過ぎてますねえ」



 ベルカにおいては、女性は子供を産めるようになれば成人と見なされ、平均寿命もそれほど長いわけではないため、結婚する年齢も自然と低くなる。


 15〜18歳程が一般的であり、20歳になればやや遅め、25を超えれば危険水域に入り、30を過ぎればほぼ絶望的である。


 湖の騎士シャマル、御年25歳。騎士として白の国に仕えることを本懐としてはいるものの、それはそれとして、女を捨てているわけではないので、内心に焦りを抱えてもいた。


 御年17歳であり、恋愛真っ最中のフィオナ姫をシャマルがよくからかうのは、自己の精神を保つための儀式の要素を含んでいるのかもしれない。




 「器量は申し分ないはずなのだが、なぜか男が寄ってこないというのも不思議な話だ」


 「あー、それは、男心も女心に劣らず複雑、という奴だと思いますよ」


 クレス自身、12〜13歳の頃は6歳年上であり、見目麗しいと同時に性格も穏やかで、誰にでも優しく、かつ明るく接するシャマルに憧れの感情を抱いていたこともある。(シグナムの場合は憧れというよりも崇拝に近かった)


 だが、遠目にはシャマルという女性は“何でも出来る完璧な才女”ように見えるため、男の方が劣等感を感じてしまい、敬遠してしまうのである。


 彼女のことを深く知れば、“完璧な才女”どころか、“うっかりお姉さん”であることも分かってくるのだが、シャマルはよほど親しい人物の前以外では滅多に敬語を崩さず、冷静な参謀としての面も備えるため、それに気付くことは困難であった。


 クレスもまた、ローセスを通してシャマルという女性のうっかり属性を知るに至ったくらいである。


ただ、その大きな理由として、湖の騎士シャマルとほぼ同年齢で、同じく遠目には“騎士の具現”と言える剣の騎士シグナムが、ほぼ見た目通りの存在であることが挙げられる。


 シグナムが見た目通りの内面であるため、シャマルもまた見た目通りの内面であるのだろうという先入観が働いてしまうのであり、彼女ら二人が共に優れた能力を持つ、同年代の同格の騎士であることがそれに拍車をかける。



 「情けないな。本気で惚れたのならば、劣等感など感じている暇を自己の鍛練に向け、シャマルを妻とするのに相応しい男になればいいだけだろうに」


 「はははは………貴女が男性だったら、きっとそうしていたような気がしますけど」



 口に出しつつ、ひょっとしたら本当にそうなっていたかもと思うクレスであり。



 「ふむ、私が男であったら、か………………確かに、シャマルを妻に迎えていたかもしれん」



 それを恥ずかしがることもなく、堂々と言い放つからこそ、彼女はシグナムであった。





 「ところで、ベルゲルミルの調査は終わったわけですが、戻られますか?」


 「いや、ローセスが近場でスクリミルの調査を終えたところで、こちらに合流するらしい。それまではここで待つ方がいいだろう」


 「念話が、この距離で届くんですか?」


 「ああ、私達は念話を補助するためのデバイスを所有しているからな、夜天の騎士は戦場において連絡を常に取り合うことが出来る」


 「流石は調律の姫君、相変わらず凄い腕前だ」


 彼もまたそれなりに名の通った調律師ではあるが、白の国の“調律の姫君”には遠く及ばないことは自覚している。


 最も、いつかは彼女に及ぶほどの調律師になってみせるという野心をクレスは持っている。逆に言えば、向上心を持たぬ者は白の国から印可状を授かることは出来はしない。


 彼は弛まぬ向上心とともに白の国で修錬を重ね、15歳の時に放浪の賢者より薫陶を受け、独立して調律師を名乗る資格を得たのだから。



 「我等の主にして我等の誇りだ。本当に、夜天の騎士は主君に恵まれている」



 そして、ちょうど同じ頃、はるか遠方の故郷において、湖の騎士が全く同じ事柄に想いを馳せていることを、剣の騎士は知るはずもない。


 ただそれが、夜天の騎士全員が心に刻む共通の想いであった、それだけの話である。



 「それで騎士シグナム、待つのは構いませんけど、ローセスが来るまでどうしてましょうか?」


 「そうだな、この辺りの魔法生物はベルゲルミルと今ローセスが調査しているスクリミルで最後だ。特にやることがあるわけではないな」


 夜天の騎士の旅の目的は主に3つ。


 1つ目は、白の国の騎士として諸国を巡り、大使、もしくは外交官に近い働きをすること。


 時には白の国の城主自身が赴くこともあるが、王は病床にあり、姫君も遠出が出来るほど身体が丈夫ではないため、正式な立場ではないが“調律の姫君”の実質的な後見人であるラルカスと、その護衛として白の国の近衛隊長のシグナムと盾の騎士ローセスが諸国を巡っている。


 2つ目は、夜天の魔道書の主にして放浪の賢者と呼ばれる大魔導師ラルカスと共に、後の世に残すべき技術、または魔法に関する知識を集めること。


 魔法生物の生態をリンカーコアの蒐集によって調べることも、この目的の一環と言えた。


 そして、3つ目が、ベルカの地に広まりつつある不穏な影について調査すること。これについては、放浪の賢者ラルカスの固有能力が大きく関係している。


 彼女らは諸国漫遊ではなく、確固たる目的をもって旅しており、このように特にやることがなくなることは稀といえる。


 「そうですか、じゃあ僕は、もう一つの生業をすることにしますよ」


 と言いつつ、クレスは肩にかけていた弓を手に持つ。


 彼は騎士ではないものの、リンカーコアは持ち合わせており、デバイスを扱うことが出来る。そして、彼の弓は彼自身が作り上げたデバイスであると同時に、免許皆伝の証でもあり、その銘をフェイルノートという。


変形機能などは優さないものの、騎士の武装に劣らぬほど頑丈に作られており、製作から4年の月日を経て、使いこまれていることが伺える程の年季を漂わせている。



 「ほう、弓を持つ姿も、より様になったな」


 「貴女の指導のおかげです」


 クレスが白の国にいた時分、弓の使い方を実践を交えて教えたのはシグナムである。


 何しろ、シグナムの相棒であるレヴァンティンが最強の一撃、シュトゥルムファルケンは、ボーゲンフォルムより放たれるのであり、白の国で弓を使わせれば、彼女の右に出る者はいない。


 ベルカにおいて、リンカーコアを有する者は大きく“理論者”と“実践者”に分かれる。前者は主に放浪の賢者ラルカスのような魔術師、後者は騎士だが、クレスのように調律師も“理論者”に区別されることもある。ただ、リンカーコアがなくとも調律師になることは出来るため、調律師=理論者という図式は成り立たない。


 逆に、湖の騎士シャマルは魔法の力を込めた道具を作ることを得意としており、“理論者”と呼べるほどの知識と技術を保有しているが、彼女はあくまで騎士であり、その本質は“実践者”であった。


 そして、クレスは騎士ではないが、弓の師がシグナムであった以上その腕前は確かであり、魔法も白の国の騎士として最低限のレベルならば使うことが出来る。(未来の基準ならば空戦Aランク相当)



 「では私は―――――せっかくイアール湖の湖畔に来ているだから、ここでしか出来ないことをするとしよう。鍛錬ならば如何なる時でも出来る」


 「はあ…………って、うぇえええ!!」



 言葉と同時に躊躇なく騎士甲冑を解除し、服を脱ぎ始めたシグナム。19歳にして健全な男であるクレスが動揺するのも無理はなかった。



 「どうした?」


 「どうしたもこうしたもありませんよ! いきなり何やってるんですか!」


 「別に下着まで脱ぐわけではない。これでも恥じらいというものを持ちあわせるべく努力している身だ」


 「いや、それって努力することじゃないような………」



 咄嗟にツッコミが出るのを抑えられないクレスである。


 そして、そうこうしている間にも、さっさと下着姿になってしまうシグナム。その豊満な胸が凄まじいまでに自己主張している。


 「え、えと、僕は狩りに出かけてきますので」


  彼女に何を言っても無駄であることは明白ことを悟ったクレスは、とりあえずこの場から離れることとする。


 「注意するのも今更だが、決して森を侮るな。熟練の猟師といえど、思わぬ落とし穴に嵌ることもある」


 「あ、は、はい!」


 そして、弓の師であり、狩りの師でもある剣の騎士の言葉には、反射的に姿勢を正して答えてしまうのも、彼が白の国において印可を受けし者である証であった。














 「ふう………いい気持だ」


 クレスが逃げるように森に消えてからしばらく、シグナムは久々に心地よい解放感に浸っていた。


 彼女自身、入浴は好きな部類であり、身だしなみも普段からかなり整えている。女性としての恥じらいなどはどこかに置き忘れたようでありながら、女性としての自己管理は徹底していたりする。


 寝る前には香り草につけた水で身体を拭き、汗の臭いなどがベッドに染み込まないようにしたりと、湖の騎士に劣らぬほど清潔であることを旨としているが、その辺りの気配りが恥じらい方面に発揮されることはなかった。


 ただ、シグナム自身にとっては首尾一貫しているのである。


 騎士とは、ただ戦場で戦うだけではなく、礼節というものも重要な要素である。特に王族や貴族の傍にあり、その身を守るならば礼儀作法に精通することも騎士として身につけねばならない事柄なのだ。


 実力の面では既に並の騎士に匹敵するどころか凌駕しつつあるヴィータも、そういった方面においてはまだまだ“騎士見習い”であり、正騎士であるシグナムやシャマル、ローセスには遠く及ばない。


 それ故、シグナムは礼節の他にも、服装などにも気を使う。戦闘の際や森に潜る時などは実用性のみを重視するが、白の国の近衛隊長という肩書を持つ以上、街で歩く際にみずぼらしい格好をするわけにもいかない。


 無論、必要以上に飾り立てるのは醜悪極まりないが、質素の中にも相手が不快に感じないような配慮というものは不可欠なのである。


 彼女の入浴好きも、そうした周囲への配慮が高じてのものといえる。やはり彼女とて女性であり、身体を清潔に保つことに手間を感じることはあっても、嫌いなわけはなかった。



 「む、到着したか」


 だが、水浴びをし、心地よい解放感に包まれながらも、彼女の意識の一部は常に周囲に振り分けられる、これもまた、シグナムが近衛騎士である故の特性と言える。


 王族の傍に侍る騎士は、いかなる時も、周囲への警戒を怠らない。どのような状況においても、主を守り抜くことが近衛騎士の使命であるために。



 「クレスは――――念話が届かんほど遠くへ行ってしまったか、どうやら入れ違いになってしまったらしいが、まあ仕方あるまい」


 立ちあがりつつ、クレスの気配を探るが、近くにはいない。


 湖の騎士シャマルと風のリングクラールヴィントならば、容易に探査可能であるが、あいにくとシグナムとレヴァンティンは戦闘こそが本領であり、探査を得意とはしていない。


 クレスもまた本業が調律師である以上、魔法に特化しているわけではない。ベルカの地ではシャマルやラルカスのような存在の方が稀なのである。


 探査を諦め、シグナムが視線を上げた先には、高速でこちらへ飛来する一人の騎士の姿がある。


 そして、その手には鉄の伯爵、グラーフアイゼンが握られている。グラーフアイゼンは優れた魔法補助能力を備えているため、飛行魔法を用いる際には起動させた方が燃費は良くなる。


 特に、ローセスは魔力量が豊富なタイプではなく、純粋な魔力量ならばヴィータの方が上をいくため、グラーフアイゼンの補助は彼にとって重宝するものであった。



 「早かったな、もう少しかかるかと思ったが」


 「貴女が担当されたベルゲルミルに比べれば、スクリミルは容易い相手でした。わたしとて、夜天の守護騎士の一人ですから」


 彼女が振り返ると、そこには妹と同じ燃えるような赤い髪を持ち、185センチを超える堂々とした体躯でありながらも、同時に豹のごときしなやかさを兼ね備えた男性が立っていた。顔立ちも整っているため、シグナムやシャマルと並び立てばかなり絵になるのは、白の国の誰もが知るところである。


 彼こそ、白の国の“調律の姫君”を守る近衛騎士の一人にして、夜天の守護騎士の一角である、盾の騎士ローセス。


 放浪の賢者の護衛として旅に同行する、19歳の若さながら既に幾度もの死線を越えてきた歴戦の騎士であった。



 「それよりもシグナム、いくら人目がないとはいえ、そのような格好はあまり褒められたものではないかと」


 「問題ない、仮に誰か来たところで、アレを見れば自然と避けていくさ」



 アレ、とは無論、未だに横たわっているベルゲルミルである。


 確かに、ここに第三者が来たところで、その姿を見つければただちに踵を返すことだろう。真竜とまではいかないものの大型の魔獣に自分から近寄ろうと思う者など、ほぼ皆無である。


 というか、それが倒れ込んでいる湖で水浴びをするシグナムの方があり得ない。ただしかし、“魔法生物大全”に書き込まれたページより、ベルゲルミルの体表には毒の成分はなく、むしろ虫などを遠ざける香りを放つタイプの植物に近い成分があることが確認されている。


 ルアール湖が有数の透明度を誇るのは、そのような成分を体表に持つ生物が多様に生息しているからではないか、と剣の騎士は予想している。その知識を自身の水浴びのために使うのは、ちょっとした役得のようなものか。



 「ですが、中には例外もいます。ベルゲルミルを倒すことを目的とした騎士ならば、逆に近づいてくるでしょう」


 「それならば歓迎するところだ。最近は魔法生物の相手ばかりで、他国の騎士と試合を行うことも少なかったから、ちょうどいい」


 「はあ……」



 最早何を言っても無駄であると悟り、溜息をつくローセス。



 「まったく、お前は相変わらず固いな。クレスを少しは見習ってはどうだ?」


 「あいつは軽いだけですよ、わたしには真似できません。ですが、そこが良いところでもありますが」


 「ふふふ、実直なお前と、飄々としているクレス。お前達の指導をしている時は、小さくなった自分とシャマルを見ているような気分になったものだがな」



 シャマルは飄々という態度とは少し異なるが、シグナムに比べれば軽い調子なのは間違いない。


 騎士となるための訓練を積んでいたローセスと、調律師になるために技能を磨いたクレス。


 異なる技術であるため、直接的に比較することは出来ないが、それでも互いに負けぬよう意識し合う間柄であったのは間違いなかった。それはまさに、在りし日のシグナムとシャマルのように。



 「ですが、わたしは貴女ほど飛び抜けた存在ではありませんでした。貴女は10歳にして騎士となりましたが、わたしは“若木”の中では下から数えた方が早かったですし、騎士となったのも15の時です」


 「それは確かに事実ではある。お前が10歳程度の頃ならば、お前よりも強い者はいくらでもいた」


 「ええ、ですから」


 「だがローセス、10歳の時にお前よりも強かった者らのうち、15歳の時に、お前よりも強かった者はいるか?」


 「……………」


 「そして、今のお前に敵う騎士は、どれほどいる?」


 「今、目の前にいますが」


 「私は除外しろ、お前の指導を行った師であり、将でもあるのだ。お前よりも弱くては話にならん」


 「ですが、俺にとっては貴女こそが目指すべき目標であり、それは今も変わりません、シグナム」



 どこまでも真摯に見据え、誓うように語るローセス。


 傍目には、下着姿の美しい女性を凝視していることになるが、幸か不幸かこの場にそれを指摘する人物はいなかった。



 ≪“俺”、か。ローセスが自分を“わたし”と呼ぶようになったのは騎士となってからだが、やはり性根というものはそう簡単には変わらんものか≫



 “若木”であった頃は“俺”という一人称を使っていたローセスの姿を思い出し、笑みを浮かべるシグナム。


 どこまでも愚直に、真っ直ぐに、目標へ突き進む姿こそ、盾の騎士ローセスの特徴である。


 だが、一般に情熱的と呼ばれる性格とはまた微妙に異なる。熱さは内に秘めているものの、それが表に出ることはなく、静かに滾ると表現すべきか。


 盾の騎士の渾名が示すように、彼が攻勢よりも守勢を得意とするのも、そういった精神傾向の表れであるのだろう。



 「私を目指す、か。それは別に構わんが、あまりフィオナ姫の前では口にしない方がいいぞ」


 「ええ、気を付けるとします。これはあくまで、自分の心に対しての誓いですから、主君を守ることとは切り離すべきであること、肝に銘じましょう」


 「それだけでもないが、まあ、今はそれだけでいい」



 ローセスにとって、フィオナ姫が主君としてだけでなく、一人の女性としても特別な存在であることは、シグナムもシャマルもヴィータも存じている。


 ただ、妹であるヴィータですらフィオナ姫を不憫に思うほど、直接的な愛情表現がローセスから行われることはなかった。


 しかし、彼がフィオナ姫のことを大切に思っていることは対照的に良く伝わっている。それが、騎士としてのものか男としてのものかが判別しがたいだけで。


 シャマルにはその辺が歯がゆく感じるものの、シグナムにはまた別の考えがある。



 ≪別に、騎士としての想いと、男としての想いを切り離す必要もないのだろう。むしろ、盾の騎士ローセスにとって、騎士としての在り方が自分と切り離せないものである以上、そちらが自然と言えるか≫



 それは、賢狼ザフィーラが考える事柄とほぼ等しい内容でもあった。


 兄として、妹を危険に晒したくはないと思う心。


 騎士として、妹が騎士となることを誇りに思う心。


 それらは決して両立しない事柄のようでありながら、騎士という存在はそれを併せ持っている。


 人としてはやや外れた在り方でありながら、人々から尊いとされるその生き様。


 それを、蒼き賢狼は“興味深い”と称している。



 ならば―――



 ≪男としてフィオナという女性を愛する心と、騎士として主君であるフィオナ姫を守ろうとする心、それが両立しない道理はない≫



 烈火の将シグナムは、そう考える。


 シャマルにとってフィオナが弟子であり、妹のような存在であるように、シグナムにとってもローセスは弟子であり、弟のような存在であった。


 もし、二人の行く道において、姫と騎士という立場が立ちはだかるならば。


 二人の結ばれることを認めず、彼女を権力にて奪おうとする者が現れたならば。



 ≪我が剣にて、切り払ってくれよう。烈火の将の弟と、湖の騎士の妹、その二人の道に立ちはだかったことを、後悔させてくれる≫



 シグナムは、そう心に決めていた。



 「ん? ああ、もう着いた。―――――分かった」


 「クレスか?」


 「ええ、あいつの念話が届く距離まで来ているようです」


 「そうか、ならばそろそろ引き上げ時だな」



 シグナムは水から上がり、その炎熱変換の特性を持つ魔力を身体の周りに展開する。


 流石に、完全に濡れた服を即座に乾かすことは難しいが、下着程度ならば十数秒で乾く。炎熱変換という特性は案外便利なものであった。


 そして、乾くと同時に近くの木にかけてあった服を流れるような動作で纏い、その上に騎士甲冑を具現させる。


 所要時間、わずかに40秒。



 「着替えすら、一つ一つの動作を無駄ないものとすれば、そこまで洗練させることが出来るのですね」


 「まあな、お前も修練を積めば出来るようになるさ」


 「努力します」



 もし、クレスがこの場についていれば、女性の着替えをじっと見つめていたローセスや、その視線を受けながら気にすることなく、いやむしろ、弟子に体捌きを教えるように洗練された動作を見せたシグナムにツッコミを入れていただろう。


 だが、この二人はこれが自然体なのであった。普通の人間を基準とするならばやや歪んだ在り方かもしれないが、それ故に騎士としては在るべき姿ともいえる。



 騎士が目指すべき在り方も、時代が変わり、国が変わり、人々の心が変われば不変のものであり得ない。



 だからこそ、ベルカの騎士は常に自問する。



 騎士とは、何か?


 誇りとは、何か?


 我等の刃は、誰がために?




 男が女を愛することも、女が男を愛することも、人の営みから決して切り離せぬ事柄ならば、人の世を守るべく存在する騎士の在り方とも切り離せるわけがない。




 故にこそ、烈火の将シグナムは若き二人の想いが成就することを願い、それを阻む者をレヴァンティンにて切り払うことを誓っている。




 だが、彼女は未だに知りえない。


 若き二人はおろか、白の国そのものを覆い尽くそうと蠢く黒き影を。


 彼女が考えるよりも遙かに深く、強大な闇がベルカの地に浸透しつつあり、二人を阻むものとはその闇に他ならないことを。


 その兆候は既に現れつつあり、それを調べることも夜天の騎士の旅の理由の一つである。


 しかし、闇は深く広がり、表面に出ているのは一部の影に過ぎない。



 白の国を守護する夜天の騎士と、飲み込まんとする深き闇。



 両者がぶつかる時は、近いか、それとも遠いか。




 その答えを知る者は、未来を見通すと謳われる放浪の賢者か




 あるいは――――――





追伸
 ローセスのモデル    紆余曲折の末、ユリアヌス・ドルキヌスにしました。

 クレスのモデル     性格は違いますが、口調はボク楽のシュテラを参考に。


 この二人だと、共に学んだ仲として凄くバランスが良かったので。

 投稿の際にはこの部分削除願います。




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