Die Geschichte von Seelen der Wolken


夜天の物語



第三章  中編  破滅への前奏曲




ベルカ暦485年  エルベレスの月  白の国  知識の塔




 “人のために生きることは真に己の道なのか、騎士たる者よ心せよ、騎士の魂は誰がために”



 「君はどう感じた、ヴィータ」


 「難しい、よな。そもそも、それが分かってれば誰も悩んだりしねーだろ」


 「……違いない」



 苦笑いを浮かべながら、赤い少女と黒髪の少年は共に歩く。


その距離はとても近く、まるで寄り添うかのように。



 「僕は、悩んでばかりだ。これでは隊長失格だな」


 「馬鹿、お前以外の誰が隊長を務めるんだよ。あたしも他の奴らも皆認めてるし、頼りにしてんだからもっとしゃんとしろって、ちょっと難しい課題が出たくらいで落ち込むな」


 とは言いつつも、リュッセの悩みは非常に根が深いものであることをヴィータも理解している。いや、理解しているからこそ、彼女は彼の隣を歩きながら声をかける。


 彼女らが歩いている知識の塔は“若木”達が座学を学ぶ際に多く使用されると共に、各国から訪れる“調律師”達もかなりの頻度で使用する白の国の象徴的な施設。


 そこには白の国の歴史が全てあると言われ、騎士達が残した武術の指南書から過去の調律師達のデバイス研究に関する文書など、その道を志すものにとっては宝庫の如き空間といえるだろう。


 その塔の一室で“若木”の中の年長者6人が騎士たる者が備えるべき心構えに関する講義を受けていたが、抱いた感情はそれぞれにとってなかなかに表現しがたいものであった。



 騎士とは、何か?

 誇りとは、何か?

 我等の魂は、誰がために?



 その答えを見つけ、それを守り抜くための力を身につけた瞬間こそが、彼らが正騎士となる瞬間であるのかもしれない。しかし、正騎士ですらその答えは不変のものではあり得ない、でなくば、主に背く騎士など存在するはずもないのだから。



 「本当、難しいな。騎士は誰のために戦う? 何を守って戦う? そして――――もし、仕えていた主を裏切るならば、その騎士は一体何に価値を見出したのだろう?」


 「主が仕えるに値しない奴なら、まずはぶん殴ってでも矯正するのも騎士の道とは思うけど………んなことしたら、反逆罪だもんな」


 「主に背く騎士、主を守って死ぬ騎士―――――――主がいなくなって、残される騎士。何も出来ず残された者は、何を成す、何を成せる?」


 「何か出来るだろ、少なくともお前は、あたしらを率いて戦うことが出来るんだから」



 それは、ヴィータの心からの言葉であったが。



 「ありがとう、ヴィータ」



 リュッセが返した言葉は、彼女の望むものではなかった。



 <ちげーて、励ましとかじゃなくて、本心だよ>


 と思うヴィータだが、まだ幼い彼女にはどこまで言葉に出して伝えるべきで、どうすればリュッセに己の想いが届くのかが分からない。


 ただ、いつも皆を率い、夢と自信に溢れていた少年が、悲しみに沈んでいる姿を黙って見ていられる精神を、彼女は持ち合わせていなかった。


 「ったく、そんなに悩んでんなら、一旦隊長職を退いて休んだらどうだよ。その間はあたしが代わりを務めてやるし、弱ったお前くらいあたしが勇敢に守ってやるよ」



 そんな彼女の、少々背伸びした発言は



 「それは無理だな、君は単体での戦闘能力なら僕と同等だが、集団戦での戦略が甘い、隊長になるのはまだ早いだろう。それに、この状況で、僕が抜けるわけにもいかないだろう?」


 「そうだけど……」


 冷静に彼によって返され、しぼんでしまう。


 話が騎士としての在り方といった概念的な部分から、戦術とった実践的な部分に移ればいつも通りの明晰さを取り戻すのも、リュッセが既に騎士としての精神性を完璧に有していることの証明。


 例えどんな悲しみの淵にあろうとも、騎士たる者は戦となれば冷徹なる殺人者とならねばならない。


 リュッセという少年は、骨の髄まで騎士なのだ。彼女の兄、ローセスがそうであるように。


 「今や、ベルカの地の幾つもの国で騎士が反乱を起こしている。ストリオン王家の没落を筆頭に、各地で王家に背き、反乱を起こす者が現れ始めた」


 「しかも、騎士だけじゃねえんだろ、ある意味で爺ちゃんの昔の同族といえる連中も蜂起してるって話だし、ほとんど王国の騎士に討伐されてるらしいけど、それでも軽く見ることも出来ねえ」


 「騎士の誇り、それ自体が失われているのだろうか……………僕の国のように」


 「ミドルトンも、今や内乱中…………元気出せ、っても無理か」



 リュッセの故国ミドルトンはそれなりに大きな国であったが、かなり前から内乱の危険や下手をすれば国が二分する危機すら囁かれていた。


 そして、それは僅かな時を経て現実の者となったが、故国が危険な状況にあってもリュッセは帰還することはなかった。



 「いや、大丈夫だ。僕の両親もこうなることが分かっていて、もう破局は避けられないと悟ったからこそ僕をここに残したんだろう」



 リュッセの家はミドルトンの王家を守護する役割を持つ家系であったが、先の内乱で滅んだストリオン王家と同じ運命となったミドルトン王家を守るために戦い、反乱軍によって殺された。


 そして、いくら奮闘しようとも多勢に無勢、彼らが守るために命を懸けた王族も、死の運命から逃れることは叶わなかった。ただ、王都から離れた場所に暮らす王家の血を引く人間は存在したため、彼らを神輿とした王軍と反乱軍がぶつかり合う戦乱の真っただ中に現在のミドルトンはある。


 つまりもう、リュッセには帰るべき家も、守るべき主君もいないのだ。



 「そうなのでしょう、騎士シャマル」


 己の魂を預ける場所を失った少年が、自分達の背後で見守るように物陰に隠れていた女性に対し、振り返りながら声をかける。どのような状況にあろうとも、彼の気配を探る技能が錆びつくことなどあり得ない。


 「………ご免なさいね、貴方のお父様とお母様からは、“貴方は自分の意思で仕えるべき主君を見つけなさい”、と言伝を預かっているわ」



 そして、シャマルもまたこの少年が成熟した精神を有していることを知りぬいているため、隠すことなく真実を話す。


 後の時代ならば、まだ11歳の子供に話すべきことではないと非難されることもあろう。だがしかし、今は中世のベルカであり、リュッセは騎士見習いたる“若木”の隊長。


 誰でもない、社会システムそのものが認めている。彼はもう、守られるだけの子供ではないのだと。



 「…………今のミドルトン王家は、簒奪や謀略が溢れる毒の壺であったと聞きます。ですが、以前父と母が言っておりました、自分達はミドルトンに長く仕え過ぎた、今更、道を変えることは出来ないと」


 「だから、リュッセをここにか………ほんと、難し過ぎるって」



 騎士として主君に尽くす心がある。


 その主君がもはや民のために尽くす心を失っているならばどうすべきか。


 そして、自分の子供にはどのような道を歩ませるべきか。



 騎士としての在り方と、親としての心とは、どうしてこうも相容れぬものなのであろうか。



 「ストリオンもミドルトンも、きっかけは野心を持った騎士なのでしょう。ですが、既に人心が王家から離れつつあったことが最大の要因なのですね、カルデン殿の仕えるハイランドでは反乱を影は見られないと聞きます」


 「そうね………ヘルヘイムの“黒き魔術の王”が野心と欲望を駆り立てているのは間違いないわ。けど、それぞれの国に火種があったのも確か、彼はまさしく暴嵐となってその火種を炎にしてしまった」



 その表現に、ヴィータは違和感を持った。そして、シャマルという女性はこのような時に的確な表現を使うことを知っているからこそ、その意味を確かめるべく問いを投げる。



 「暴嵐だったら、火種なんて消し飛ばされちまうんじゃねえの?」


 「大師父が言うには、彼はそういう存在らしいわ。火種に風をあてて焔にするようなものではない、消し飛ばすつもりで暴嵐を叩き込み、それでも消えなかった者にのみ力を与える。いいえ、彼の嵐に耐えきる頃には山火事を起こしている、ようなものだとか」



 それこそが、黒き魔術の王サルバーン。放浪の賢者ラルカスが警戒し、危険な存在であると認める由縁であった。



 「それで、反乱に及ぶ箇所はそれほど多くなくとも。どれも致命傷になるほどの大規模な内乱となるのですね」


 「そういや、鎮圧に成功してるのって、カルデンのおっちゃんくらいか。シグナムと兄貴とザフィーラも“ハン族”ってのを止めたけど、あれはただの暴走だって話だし。反乱が起こったところは、どこも戦いが続いている」


 「貴方達には、まだ知って欲しくはない事柄だったわね。こうなってしまった以上は仕方ないけど」



 ベルカの地を覆いつつある影については既に白の国のみならず、ベルカに生きる誰もが知ること。


 だが、黒き魔術の王の正体については意外と知られていない。なぜ具体的な名前が表に出てこないのかはシャマルも預かり知らぬ事柄であったが、リュッセの家族が間接的とはいえサルバーンの犠牲となった以上は黙っていることも出来ない。これは、彼の騎士としての道に関わることなのだ。


 そして、夜天の騎士ローセスの妹であり、いずれはその一人となるヴィータもまた同じく。



 「でもさ、逆に考えればチャンスだろ。サルバーンってのが駄目な王家をぶっ潰してるなら、残ってるのは割と良い王家ってことで、後は、あたしらがサルバーンをぶっ潰せばベルカの溜まってた泥や膿をまとめて洗い落とせるって」


 「君は、本当に前向きだな」


 「後ろ向きで誰かが救えるなら、あたしだって今頃後ろ向きになってるって」


 「そうだな、その通りだ」



 そんな、二人の光景を見守りながら―――


 <ヴィータちゃんは、本当に優しい子ね>


 湖の騎士は内心で微笑む。


 “若木”の中では最も戦技に優れ、精神的にも成熟しているリュッセだが、故国で内乱が起き両親が王家と共に死んだともなれば平静ではいられまい。表向きは平静でも、やはりまだ11歳の少年、その心は深く傷ついているに違いないのだ。


 その知らせを受けてより、シャマルはクラールヴィントを用いてリュッセを可能な限り見ていたが、一日のほぼ大半、ヴィータが彼の隣にいることに直ぐに気付いた。


 シャマルに限らず、同輩の“若木”四人もそのことには気付いていたが、リュッセ本人には気付いている様子はなかった。周囲の変化に気が回らないほど彼の精神が傷ついていた証であり、ヴィータはそれを理解した上でずっと彼の傍にいたのだ。



 深い悲しみにいる時に、一人でいることはあまりに辛いから。



 ヴィータという少女は、リュッセという少年を独りにはしなかった。




 「それでさリュッセ、お前はこれからどうするんだ?」


 「僕か?」


 「そうだよ、さっきまで話してたけど、“人のために生きることは真に己の道なのか、騎士たる者よ心せよ、騎士の魂は誰がために”の教えの通り、お前の魂は、誰のために振るうんだ?」


 「……これまでは、父と母と同じようにミドルトン王家を守るために振るうだろうと考えていた、彼らは、僕の目標であり憧れであったから、だけど―――――」



 既に父と母は亡く、守るべき王家も潰えた。


 一応、血を引く者を立てて反乱軍と戦っている者達もいるが、彼らが王族を飾り程度にしか思っておらず、覇権を握ることのみを目的としていることなど誰もが知るところだ。そもそも、本当に王家の血を引いているかすら怪しい。


 そもそも、リュッセの家は王家の血を引く者を守るわけではない、民を安んじ、国を保つために尽くす者の身を守護するために存在していたのだ。


 ミドルトン王家が既にその資質を失いかけていたことは事実であるが、王家が滅べば戦乱が巻き起こるのは確実であり、苦しむのは民。だからこそリュッセの両親は騎士として仕え続けたが、自分達の息子は手元で育てず、6歳の頃には白の国へと送りだした。


 それ故に、リュッセには故郷の記憶はそれほど多くない。彼の記憶の大半を占めるのは、白の国における仲間と師との輝かしき日々なのだ。



 「だからさ、お前も夜天の騎士になっちまえって」


 「え?」



 そして、その言葉はあまりにも意外であり―――



 「ああ、それはいいわね。夜天の騎士に必要なものは白の国を守る覚悟と、伝えられてきた技術を後代に伝える意志。大師父だって当然白の国出身じゃないんだから、貴方がなっても何の問題もないわ」


 「え? い、いえ…」



 湖の騎士シャマルが即座に賛成したため、その混乱に拍車がかかる。



 「いい考えだろ、何気に数が少なくて後継者が極わずかなのが、白の国の最大の問題なわけだし」


 「そうね、やっぱり騎士の子供の方がリンカーコアを持って生まれる可能性は高いし。でも、ヴィータちゃんも隅におけないわね、未来の旦那様候補を今のうちに確保しておこうってことかしら?」



 リュッセもまたそうであるように、騎士同士が結婚し、子供が生まれた場合の方がリンカーコアを宿して生まれる可能性が高いのは事実。


 そして、白の国の近衛騎士、すなわち夜天の守護騎士が白の国を守り、技術を修め、後代に伝えることを使命としている以上、後継者を作り出すことも重要なこととなる。


 そう言った面からみても、リュッセとヴィータという組み合わせはかなり順当なものであるのだが。



 「たりめーだろ、こいつみたいな優良物件なんざ滅多にいねえし。そもそも、あたしより弱い奴なんて旦那とは認めねー」


 中世ベルカに生きる騎士見習いの少女の男女の仲に関する価値観は、非常に真っ直ぐなものであった。この辺りが、シグナム、ヴィータと、薬草師が本分であったシャマルとの違いであろうか。


 「じゃあ、意地でも負けるわけにはいかないな」


 「はっ、あたしを嫁にしたけりゃ、絶対負けんじゃねえぞ。でも、いつかあたしが勝つけどな」


 「矛盾、だな。でも、矛盾を孕んでこその騎士か」


 「応よ」



 そんな、微笑ましいのか、仲睦まじいのか、猛々しいのか判別がつきにくい会話を行う少年と少女を見ながら、シャマルは心の底から思った。



 <やっぱり、ヴィータちゃんはローセスの妹なのね。根本部分がそっくりそのままだわ>


 まさしく二人は騎士の兄妹。


 ローセスとヴィータの絆において、騎士という要素は最早不可分なのだろう。


 そして――――



 <まずい、まずいわ。つい最近20歳になったばかりのローセスと18歳の姫様はおろか、11歳のリュッセと9歳のヴィータちゃんにすら先を越されちゃいそう………>


 この時代のベルカでは、15〜18歳程が一般的であり、20歳になればやや遅め、25を超えれば危険水域に入り、30を過ぎればほぼ絶望的。


 特に騎士の場合はさらに早いことも多いため、リュッセとヴィータならば15歳と13歳くらいでくっつきかねない。この場合のくっつきとは肉体的な接合をも兼ねたりする。



 <カルデンさんって、独身だったわよね、シグナムとくっつく気配はないし………いや待って、いっそのことクレス君って手も………ローセスと同年代だから20歳、うん、十分範囲内よね、6歳差なら………>



 仲良く手を繋ぐ、ことなどなく、仲良くデバイスを打ち合いながら空を駆けていく赤い流星と白い流星(リュッセいの魔力光は白)にヤバい方向へ思考が飛びつつあるシャマルが気付くことはなかった。


 余談であるが、ここを通った人々は悉く彼女をスルーしていき、しばらく後でたまたまやってきたザフィーラが思念を飛ばして正気に戻すまで彼女の脳内の暴走は続くこととなった。


 どういう思考の果てに至ったかは不明であるが、その段階におけるシャマルの脳内では男性化したシグナムが夫であり、ローセスとクレスも二号、三号とした逆ハーレムを構築していた。その脳内風景を誰かに見られた日には彼女はクラールヴィントのペンダルフォルムで首をくくっていたかもしれない。















ベルカ暦485年  エルベレスの月  白の国  ヴァルクリント城付近 草原




 「凄い………機械が、空を飛んでいる」


 「………確かに」



 黄昏の空、フィオナが指さす方向をシグナムもまた見入る。落日の残光を浴びて輝きながら、懸命に風に乗る小さな影。



 「見事に、空を舞っています。魔法の力を使うことなく、いずれはリンカーコアを持たぬものでも空へ舞い上がることを可能とする知恵の結晶」



 魔法が古くから存在するため、魔法の力を用いない純粋な機械というものはベルカの地には存在していない。デバイス達はいずれも魔力を動力とする魔導機械。


 しかし今、フィオナとシグナムの視線の先で空を舞っている白い翼は、風を受けて飛び上がり、魔法の力を借りることなく進んでいる。いわゆる、滑空と呼ばれるものであり、鳥よりも翼竜に近いものではあるが、流体力学などの原型が生まれつつあるのは確かであった。


 それを作り上げたのは他ならぬ彼女であるが、その姿は翼を広げた白い鳥のように見える。ただの機械仕掛けであるのは間違いないのだが、フィオナにはそう見えるのだ。



 「白の国を舞う自由の翼………いつかは、鳥のように自身で羽ばたきながら動けるようになるだろうか」


 「そうですね、いつかは可能となるでしょう。ですが、機械仕掛けから作られた生命にそぐわぬ翼であることもまた事実です。恐ろしい用途に使用されるようなことがなければよいのですが………」



 シグナムとしては、まずそれを第一に危惧せずにはいられない。


 人に便利さをもたらすものは、戦争の道具ともなりうる。レヴァンテインはある意味でその象徴であり、それを扱う騎士は常に力に溺れず、自身を戒める心を忘れることは許されないのだ。



 「火を得ては人を焼き、鉄を得ては人を切り、それもまた、人の歴史か………」



 調律の姫君の美しき声にも、憂愁の陰りが見受けられる。白の国に伝えられる書物は、まさしく人の歴史を伝えるものであるために。



 「自由に空を舞うための翼は、死を振りまく悪魔の翼となるかもしれません。いいえ、恐らくいつかはそうなるでしょう」


 中世ベルカの治の季節は列強の王達と彼らに仕える騎士達の存在によってもたらされていることは事実であり、調律の姫君フィオナと剣の騎士シグナムはその体現者と言ってよい。


 だがそれは、王族や騎士が力を持って君臨することが最善であることを意味するわけではない。要は、“力有る者は力無き者のために”、“力有る者はその責任を忘れるべからず”という価値観こそが平和の時代を支えているのだ。


 ドルイド僧であれ、騎士であれ、後の時代の選挙によって選ばれた指導者であれ、人の上に立つ者がそのような意思を持ち、それらが貴いとされる価値観が存在するならば、その時代は平和の世と呼ばれることだろう。


 逆に、王や騎士が増長の果てに特権階級として君臨し、人々から搾取するだけの存在になり果て、金と暴力のみで指導者となり、人々を支配するようになれば、乱世がやってくるのは避けられない。



 「機械技術も、魔法技術も、結局は人の心次第ということだろうな。サルバーンが操る生命操作の業すら、純粋に子の幸せを願う心によって運用されるならば、悲劇が生み出されることもないだろう」


 「はい、ですが、戦争に利用されれば果てなき悲劇を生み出すこととなる………いいえ、既に生み出されている」



 烈火の将は、“ハン族”という森の民が辿った悲劇を思い起こす。戦う力しか持たない彼女には彼らを殲滅する以外の選択肢はなかったが、あのような悲劇を生みだす技術は無暗に広めるべきではないと強く思う。


 少なくとも、野心家たちの煉獄とも呼べるような世界に彼の技術がもたらされれば、何が起こるかなど考えるまでもない事柄であった。



 「ローセス………お前は、何を想いながら部族を率いていた青年の心臓を貫くこととなったのだろう……」


 戦う力を持たない彼女にはそれを知る術はなく、ただ、機械仕掛けに乗って空を舞う青年を見つめるしか出来ない。


 この機械仕掛けは調律の姫君を中心に白の国に存在する技師達が作り上げたもので、まだ安全性が確立されていない試作品であるため、事故が起きても自力で飛べるローセスがテスト飛行の操者となったのも当然といえた。



 「姫君、お気になさることはありません。我々騎士は戦いの場では余計な雑念を持つことなく、敵を倒すことにのみ集中します。彼の敵に対してローセスに想うことがあったとしても、それは戦う前か後での話、彼が敵に死を与えた瞬間には、既に次の敵のことを考えていたでしょうから」


 「将、それでは慰めになっていないぞ。まるで、ローセスが血も涙もない戦闘機械であるかのように聞こえてしまう」


 「申し訳ありません。ですが、騎士には時に戦闘機械となることも求められます…………む」


 「どうした?」


 「いえ、少々嫌な想像をしてしまっただけです」



 シグナムの脳裏を掠めたものは、現在ローセスが乗る“機械”がやがて進歩し、空を往く騎士や魔導師を墜とすことを可能とする“戦闘機械”となった光景であった。


 いずれはそうなるだろうと言ったのは他ならぬ彼女だが、あまり想像したいものでもない。どう贔屓目に見ても、人々に幸せがもたらされる光景とは思えなかった。


 その心情をある程度察したフィオナはあえてシグナムの想像したものを問わなかった。もっとも、ちょうど同じ時にシャマルが脳内で想像、いやむしろ妄想していた光景を知れば、問い殺さずにはいられなかっただろうが。



 「近いうちに、乱世の炎がこの国にもやってくる。果たして、私はこの国の人々を守り切れるだろうか……」


 「守り切れるとも、なぜならお前さんは誰よりもこの地の風に愛されているからね」



 まるで気配などなく、初めからそこにいたかのように、むしろ、本当に初めからそこにいたのかもしれないが、少なくとも二人の女性は知覚していなかった存在が、フィオナの独白に応えた。


 そして、そのようなことが可能な人物といえば白の国に唯一人しかありえず、それを理解している二人もまた慌てずに言葉を返した。



 「お久しぶりです、大師父」


 「お帰り、ラルカス師」


 「うむ、ただいま、と言いたいところではあるが、ここは儂のお気に入りの場所ではあるものの帰るべき場所ではない故に適当ではないな。言葉というものの扱いには最新の注意が必要だとも」



 彼独自の、語りかけるような教えを説くような、はたまた自身にのみ言っているかのような言葉はフィオナとシグナムの二人に、放浪の賢者がやってきたことを強く認識させた。


 そして、二人は同時に理解した。彼がこの場に現れたことの意味を。



 「ラルカス師、貴方がここにやってきたということは、嵐が近いのですね」


 「よくない知らせというものは、唐突にやってくるものだよ。特に、答えを期待しない問いなどを投げてしまった際には嫌なものまでくっついてくることも多い、それは大変だ、答えを知ることを恐れるあまり問いを投げることを忘れてしまう」


 「大師父、申し訳ありませんが、私達にも理解できるように語ってはいただけないでしょうか」



 ラルカスの返事に対して、フィオナとシグナムの顔には同時に疑問符が浮かんでいた。二人とも放浪の賢者とはある程度長いだが、未だに理解しきれない事柄が多いのが現状だ。



 「すまないね、ここしばらく人と話していなかったために、少し話し方を忘れてしまったようだ。人と根本から違うものとばかり話すのも考えものだ、自分が人であったことを忘れてしまいがちになってしまう」


 「貴方は、いったい何者と話していらっしゃったのですか」


 「多くは、機械精霊なる彼らだよ。ほらちょうど、お前さんの頭上にもおるとも」



 古代ベルカの技術の真髄を知る老人が指した先は、フィオナの顔の少し上であり。



 『老師サマ、オヒサシブリデス、フシュフシュ』



 そこには、一体の機械精霊がふよふよと浮かんでいた。



 「ふむふむ、機械精霊767番“アカシア”、君は風が好きかな、それとも風が君が好きなのか、いやいや、風が好きな君こそが風なのか、それとも、そうでないのかな?」


 『ソウデス』


 「それは良かった。いや、良いことかどうかは儂が判断できることではなく、君達にとっても判断できることではないとも、ただ、無意味ではないがね」


 『ボクハ、ココニイマス』


 「そうとも、それが成せる以上は意味がある。君達は人間ではないのだから」


 『オ守リシマス』


 「任せたよ、君が好きなものは儂もかなり好きでな、土や火も好きではあるが、放浪者たる儂には水と風が気が合うようだ。無論、そうでないかもしれんがね」


 『オ元気デ』


 「ああ、また会おうとも、いつか、遙か先の未来において会える機会があるならば」



 そして、機械精霊の姿が消える。放浪の賢者に言わせれば、人間には知覚しにくい状態になっただけらしいが、彼女ら二名にとっては違いが分からない。



 「あれで、会話になっていたのだな……」


 「流石というべきか、何と言えば良いのか……」



 放浪の賢者が精霊と心を通わせる時の言葉は、人間に理解できるものではなかった。そも、人間ではない存在に語りかけるための言葉なのだから、当然なのかもしれない。



 「ようやく勘が戻ってくれたかな。さて、お前さんの問いに答えるならばそれは是となる、ヘルヘイムという名を冠した黒き魔術の王の領域に異形の落とし子の嘆きが満ちておるとも、遠からず、ここへやってくるだろう」


 「狙いは、“竜王騎”でしょうか?」


 「まず間違いなくそうだろう。無論、それだけではないが、それを狙ってくることは間違いない。ならばこそ、我々はそれを守るために彼の地へ潜らねばならんとも、危険は伴うが危険を冒さずして嵐を退けることは出来んよ」


 「大師父、“竜王騎”とはいかなるものなのです? 姫君より“聖王のゆりかご”と同時期に現われたアルハザードよりの流出物であり、白の国に封印されたロストロギアであるとは窺っておりますが」



 シグナム、シャマル、ローセスの三人は元より、フィオナすら白の国に眠るロストロギアの詳細については知らなかった、そもそも詳細が伝えられていないのだ。



 「あれを“竜王騎”と呼んだのは儂が最初であるため、一応名付け親ということにはなるかな。それと、中身については儂も詳しくは知らぬよ、“観た”ことだけはあるが、鍵がない限りは彼の心は儂にも分からないのさ」


 「彼? では、それは生体兵器なのですか?」


 「儂にとっては、彼のアルザスの守護者、ヴォルテールをさらに上回る真竜を機械と融合させ、次元干渉を行うロストロギアを動力として備える、といった存在に感じられた。少なくとも次元跳躍の力を持つことは間違いないだろう、その他の部分については設計者ではないので断言はできないがね」


 「それは………」



 絶句するシグナムを責められるものは誰もおるまい。ラルカスが示した存在は、まさしく怪物と呼ぶに相応しく、大陸どころか次元世界そのものを容易に破壊できるような力を持つとしか思えない化け物だ。



 「そんなものが、この地に眠っているのですか………」


 その事実に旋律を隠せないフィオナであるが、放浪の賢者はその言を否定する。


 「いいや、アレが眠っておるのはこの世界ではなく、どの世界でもない。以前、次元世界を列島と例えたが、ベルカの地を島国とするならば、アレは海底で眠っておる。この地に在るのはあくまでそこと繋ぐ門を顕現させるための鍵でしかなく、それ自体に大きな力があるわけではないのだよ」


 「大師父には、それが“観える”のですか」


 「観るだけが限界ではあるがね、その門を閉じることなど出来んし、干渉することも出来ん。儂の力はあくまで見るだけで手を伸ばすものではないからね、まあ、もし伸ばせていれば今頃喰われておったであろう、深淵に手を伸ばせば、いつの間にか深淵から手を伸ばすことになってしまうものだ」



 それは、放浪の賢者以外には誰も理解できない狭間の逸話。


 だがしかし、ある一人がその深淵の一端を見つけ出したがために、その男は黒き魔術の王となった。



 「では、私達の成すべきことはただ一つですね」


 「“竜王騎”の鍵を求めて襲い来るサルバーンから鍵を守り、彼を仕留めること」


 「それしかないであろうね、あれの目的も大体掴めたが、驚くほどに何も変わっていなかった。サルバーンは変わったわけではなく、ただ、より高みへと進もうとしているに過ぎんようだ」


 「それは、つまり…」


「竜が歩けばそれだけで人間など踏み潰されることとなる、あれにとって、人間国家の存亡はその程度のものでしかないようなのだよ。昔から、上ばかりを見て足元を見ない傾向があったが、あれには誰よりも高く飛べる翼があった故、地面を顧みる必要がなかったのだろう」



 サルバーンが意図して国家を滅ぼしているわけではなく、彼が動いた結果として国家が滅びた。


 ラルカスが語る内容は、つまりそういうことであった。



 「なんと、傲慢な……」


 白の国の王女として民を想うフィオナにとっては、その在り方は決して認められるものではない。だが、黒き魔術の王は彼女の想いなど顧みることなく攻めよせてくる。


 「傲慢か、確かにあれは自分が傲慢であることを堂々と誇る男であった。逆に、あれにとっては謙虚である人間こそ理解不能なのだろうよ、単純と言えばあれほど単純な男もいまい」


 「しかし、他者を顧みない絶対的な存在に、なぜ多くの野心家たちが従うのでしょうか?」



 そこだけは、シグナムにとって理解できない部分であった。サルバーンに忠誠を尽くそうとも、報われることがあるようには思えないのだ。



 「実に簡単な理屈だよ。滅多に他人のことを褒めることのない人物から自分だけが褒められれば気分が良くなるものだが、サルバーンはその究極系と言える。あれはほとんどの人間など虫同然に思っているようだが、野心や向上心を持つ者に対しては“人間”であると認めることがある。フルトンは、あれが対等と認めた唯一の存在であったよ」



 かつては対等であり、共に白の国で学んだ二人の天才。サルバーンもその頃はまだ“人間を踏み潰さないように気を遣って歩く巨人”であった。虫のように見える人間の中に、自身と対等と認められる存在がいたからこそ。


 だが、デバイスに知能を与え、人間と同等の心を持つ融合騎を作り上げるための研究を進めたフルトンは“他人のこと”を顧みながら歩みを進めたが、サルバーンはどこまでも己の技術を極めるために飛翔した。


 フルトンにとっては、サルバーンは悪に染まったように感じるが、サルバーンにとってはフルトンこそが堕落した存在であった。高みを目指すための翼を生まれ持ち、かつてはそのために羽ばたきながら、力を恐れて羽ばたくことを忘れた者。



 「誰よりも力を持ち、誰よりも傲慢なる者。そのような存在に認められることは、王位を簒奪するよりも優越感を得られるものなのだよ、人の世界に君臨する王者ではなく、サルバーンという神に認められた超越者、ということになるかな。そしてその神も従う者達に対して無関心ではなく、自身が認める在り方を崩さぬ限りは弟子と見なすのだよ」


 「………方向性が逆なだけで、目指しているものは同じということですか、私も、先達の夜天の騎士達に自らの後継者と認められることこそが、何よりの喜びでした」


 「そう、あれの理念は騎士のそれよりも遙かに単純で分かりやすい、それ故に、人を惹きつける力に満ちておる。優しさや思いやり、それは人間の持つ素晴らしさではあり、それらを備える王は賢君とされる。しかし、他者を踏み潰し、喰らい潰し、己の理想を叶える覇道もまた、人々が求める王の在り方。故にこそ、黒き魔術の王」




 そして、しばしの沈黙が訪れる。


 放浪の賢者ラルカスは問われたことは返し、相手が聞きたいことを持つならば先んじて応えることもあるが、己の考えを整理している段階の人に対して口を開くことはない。精霊に対しては気が向けば話しかけるが。


 シグナムにとっては、聞くべきことは全て聞いた。サルバーンの目的とそのための行動が分かった以上、後は騎士たる本分に従うのみ。黒き魔術の王が求める“鍵”を賭けて、彼と雌雄を決す以外の道などありはしない。



 だが、自身が戦う力を持たず、愛する者達を戦場に送りだすしか出来ない調律の姫君にとっては、最も来てほしくないものが来てしまった瞬間でもあった。



 「姫君、そろそろローセスに飛行を止めるよう伝えてきます」



 主の想いを察した将は、静かにその場を離れる。こうした時に余分な言葉を発さず即行動に移るのも彼女の特徴と言えるだろう。


 そして、憂いを抱えた調律の姫君と、いつもの如く佇む放浪の賢者がそこに残る。賢者の眼は全てを見通す故、彼女の想いもまた理解しているはず。



 「ラルカス師………」


 「話し合いでは解決は出来んよ、フィオナ」


 だからこそ、戦う以外の選択肢はないものかと思う彼女の想いを、放浪の賢者は静かに否定する。


 「あれは、話し合いに応じる心を持っておらぬ。いやいや、懐かしくもあるがね」


 「懐かしい?」


 「古い話さ、そう、古い話だとも」



 彼が述べたのはただそれだけ、どうやら、彼女に語ることではないようである。



 「案ずるなとは言えんが、そう悲嘆することではないよ。少なくとも、お前さんが守るべき白の国の民、彼らの未来が闇に覆われていないことは儂が保証する」


 「観えたのですか?」


 「そういうことにしておこう。この国はどこよりも風に愛された土地であり、君は風に祝福されて生まれてきた。先程、アカシアも言っておったように、風の精霊達は君を好いているとも、故に、心配はいらない、君がそう願うならば、風はきっと戦火を防いでくれるとも」


 放浪の賢者ラルカスは深い意味を持つ言葉を伝える時、フィオナを“君”と呼ぶ、彼風に言うならば言葉には意味がある、といったところなのだろうか。


 「風ならば、シャマルではないのですか?」


 「ふむ、確かに彼女は風の癒し手ではあるが、風に祝福されたのは君なのだよ。風が優しき癒し手であるのも、心からの声援(エール)を贈ってくれるからこそだ、君は騎士達を支える存在であり、運命は君の手の中にある」


 「………よく、分かりません」


 「いつかは分かるさ、長き夜と旅の果てに、最後の夜天の主がきっと証明してくれるとも」


 強く支える者、幸運の追い風、祝福のエール


 最後の言葉は、フィオナの耳には届かなかった。それは、人に語り聞かせる言葉ではなく、世界に語る言葉であったから。


 ただ、それとは別にフィオナはラルカスの言葉の真意を考えていた。


 確かに、彼は言ったのだ、守るべき白の国の民の未来は闇に覆われてはいないと。


 ならば―――



 「ラルカス師、騎士達の未来は、どうなのでしょうか?」


 その民達を守る存在の未来は、どうなのだろうか。


 「儂の予言はこういう時によくないものばかりを当ててしまう。それ故、見ないことにしておるよ」


 「ですが、ローセスは」


 「気になるかね?」


 「………はい、主としては恥ずべきことだと分かっているのですが…………私は、ローセスの未来が最も―――」


 「それを責めることは誰にも出来んよ、人とは、そういうものなのだから。優先順位がなければ、愛とて意味無き言葉の列になってしまうだろう、君達人間は精霊ではないのだよ」


 「…………」



 そして、調べのような祝詞のような不可思議な旋律を伴い、古い言葉が紡がれる。



 それを聞き終えた時、彼女が何を想い、何を成すか。



 その答えは、僅かな先の未来へと。










ベルカ暦485年  エルベレスの月   ヘルヘイム  地下の神殿跡



 絶対に、それを目にしてはいけない

 絶対に、それを耳にしてはいけない

 それは人の身では理解してはならぬ絶対の領域、故に触れることは禁忌と心得よ

 もしその禁を破ったならば、あらゆる全てを失うだろう。そして、あらゆる叡智を得るだろう

 魂なるものがあってしまえば、それすら奪われ、吸収される。そして、回路に組み込まれるのだ

 人の世の果て、人の及ばぬ領域で蠢く者共に触れるべからず

 我らが犯した禁を忘れるな、それは触れてはならぬものだ

 行ってはならぬ、言ってはならぬ

 命惜しくば引き返せ、人の世を守りたくばすぐ戻れ、ここより先は何もない、あるのはただ破滅のみ

 もし、忠告を聞かずに進むのであれば

 我らの嘆きの全てを、お前は知ることになるだろう







 「くだらんな」


 そこは、ある文明が築いた超巨大建築物の極一部が僅かに残る旧き遺跡の最下層。


 極一部しか残っていないが、その一部分こそがその他の部分を破壊した力を宿す中枢であることは、ロストロギアや古代の遺跡に通じた者たちならば然程時間かけずに知ることができ、同時に恐怖するだろう。


 この先に、未知の力が潜む事実に、その力を、自分達が得ることが可能であるという幸運に。



 「所詮、この程度か」


 だが、彼にとっては唾棄すべきものでしかなかった。落胆も、ここまで来れば笑い話でしかない。


 彼の前にあるのは、滅んだ文明の時代に生きた者達が最後に残した辞世の句とでもいうべき石碑。その奥にあるものを彼は探し求め、それを効率よく進める手段としてニムライスという国を滅ぼし、ヘルヘイムと呼ばれる国家、というよりもむしろ組織と呼ぶべきものを作り上げもしたが。


 「古代ベルカのさらに前、人の歴史を鑑みればあり得るはずの無い年代の地層に眠るロストテクノロジーの遺跡、今回こそはと期待したが……………」


 肩を落とすにしては堂々と立っている人物は、外見上は30歳程に見える。しかし、実年齢は70を既に超えているが、この人物に老いという概念があるのかどうかは疑わしい。


 それほどまでに精悍な顔立ち、それほどまでに目に宿る野心。


 そして何よりも、ただいるだけで人間を窒息させるほどの強大な覇気。老人というものが持つ筈の老成した静かな佇まいが、この人物からは微塵も感じ取ることが出来ないために。


 銀色の髪も、180を超えるだろう体格も、整ってはいるがそんなことは問題ではない。ただこの人物が在るだけで弱い生物は死に絶えると錯覚するほどの空間を、その男は居ながらにして形成していた。



 「君の望むものはなかった、ということかな?」



 そして、そんな男の後ろに立ち、まるで朝の挨拶でも交わすかのように話しかける男もまたあり得ない存在であった。いやむしろ、不気味さではこちらの方が際立っている。


 遠目であろうとも判断できる、特徴的な紫の髪に、深遠な知性を漂わせながらも、同時に狂気を湛えた黄金の瞳。そして何よりも、泣き笑いの道化の仮面のような、それでいて、どこまでも心の底から喝采しているような、異形の笑み。


 フルトンという稀代の調律師が邂逅し、“不可思議”と感じた男が、黒き魔術の王の後ろに控えるように立っていた。だが、口から飛び出す言葉には相手を立てる要素は微塵もない。



 「この程度のものに滅ぼされたのであれば、古代文明とやらは所詮その程度のものだった、それだけのことだ」


 「それは酷いな。彼らは彼らの時代を必死に生き抜き、様々な物語を築きあげ、その果てに滅んでしまった。それに、せめて名前くらいは呼んであげたまえ、ベルカのように彼らの文明にも名前があるのだから、その愛と憎しみの織り交ざった悲劇の舞台を無価値と断じるのは、あまりにも可愛そうだとは思わないのかね?」


 「思わんな、文明として最盛期を迎え、自然の摂理によって衰退していき、その果てに滅んだならば敬意の一つも評しよう。だが、自分達の技術に驕り、溺れ、その果てにアルハザードの知識を求め、挙句に最盛期を迎えることなく消し飛んだ敗北者など、顧みるにも値せん」


 「だがしかし、君が使っている生命操作技術の多くもまた、彼らが遺したものではないかね。私に求めてくれれば提供する用意があると言うのに、君は頑なに断り続けるのだから」


 「技術そのものに貴賎はない。それが、彼の国で学んだ我が師よりの教えであり、私もまたそう考えている、ようは、力に溺れるか、力を使いこなすかの話だ、貴様の悪意の籠った契約とやらを断る理由は、もう飽きるほど言った筈だが?」



 道化を演じるように言葉を紡ぐ男に対し、黒き魔術の王の返事はそっけない。


 道化の言うとおり、この遺跡の上層や中層に眠っていた生命工学に関する知識と技術、それらは確かに彼も使用しているが、それを求めて発掘したわけではなくあくまで付随品に過ぎない。そしてそれらも、所詮は遙か過去にアルハザードより流れ出したものの亜流の品に過ぎず、つまりは模造品を模造しているようなものだ。


 もっとも、黒き魔術の王が再現した技術はそれらを上回り、より大元の技術に近いものであったが、それをこの道化に対して誇るのはそれこそ道化というものだ。


 ヴンシュと名乗るこの男こそ、アルハザードの水先案内人。無限の欲望を秘めし者にして、無限の欲望に応え続ける無限循環システムなのだから。



 「君の研究成果は、君だけで成し遂げてこそ意味がある、だったかい。やれやれ、君の弟子たちの幾人かは不死や不老に興味があるようだが、師たる君にないというのも滑稽な話だね」


 「俺には興味がないだけだ。あれらが不死不老を求めるならばそれもまた野心と欲望の形の一つ、まあもっとも、それらを得たところで有効に使えそうな者はいないが、不死などあり得んと諦め、漫然と生を消費する塵芥に比べれば多少は見込みというものがある。お前から見れば同類だろうが」


 「まあそこは、見解の相違というものだがねえ。不死を願うことも欲望なれば、人として死ぬことを願うのもまた欲望、そこに差などありはしない。もしそれに差を付けるとしたらそれは私ではなく人間の役目だ、そう、人間である君だからこそ己の主観に従って欲望に優劣を決められる。それを、他人に押し付けることが出来る、何とも素晴しいことではないかね」



 自分の価値観を他者へ強制させること、それもまた人間の欲望の形だと道化は笑う。そしてそれを最も迷いなく実行する男がここにいるからこそ、欲望に応えるシステムの一部たる道化はここにいる。



 「だがそれでも、私は君に興味がある。君ほど自身の欲望に忠実であり、不可能というものに反逆する意思を持つ人間はいないからねえ、君の師匠殿は残念ながら対象外だ」


 「別枠、ということか」


 「さてさて、そういうこともあるだろうが、そうでないこともあるだろうね」



 道化はただそこに在るのみで、黒き魔術の王に何かを与えたわけでも、唆したわけでもない。むしろ、そのような行動に出ていれば、即座に彼によって“この道化”は破壊されていたことだろう。


 黒き魔術の王にとって、この存在はまさしく道化、暇が生じた際に他愛ない会話でも行い時間を潰すだけのものであり、それ以上でも以下でもない。


 黒き魔術の王は“機械のように”研究を続ける存在ではなく、己の意思を持って自身の求めるものを探索する“人間”である。故に、このような道化にもそれなりの価値があった。



 「それで君は、かつての学び舎を破壊するのかね? 彼の地に眠る鍵を求めて」


 「それもある。叡智を極めるのは望むところではあるが、それよりも先に越えねばならん存在がいる」


 「なるほど、弟子としてのこだわりというものかね、そのためにベルカの地全てを巻き添えにするとは、なんと傍迷惑な男であることか、師との決着をつけたいならば自分だけでさっさと出かけてやればよかろうに」


 「何度かそれも試してみたが、その度に逃げられた。そも、逃げることを目的とする者を追うことに意義を見出すのは狩猟者であり、私は探究者だ。自分が満足できねば意味はない」



 放浪の賢者を殺すことに意味はない。それだけでいいならば、偶然彼の頭上に隕石でも落ちて彼が死んでも同じことだ。


 黒き魔術の王が求めるものは、自分の手で彼を超えることにあり、まさしく自己満足でしかなく、そのためにベルカの全てを火の海と化すことを彼は是とする。


 自然に生きる強者は、弱者のことなど顧みない。腹が減れば獲物を襲って喰らうだけの話であり、襲われる側の都合など考慮するに値しないのだ。


 そして、そのような究極的に自己中心的な人間をこそ道化は好ましく思う。誰しもがそれぞれの欲望を持つ人間の世界において、我意を通したくば他者の欲望を飲みこむしかない。矛盾を抱えつつ貴くあるという点で騎士の持つ欲望もなかなかに面白いが、所詮は不純物が混ざったものに過ぎず、純粋な宝石には至らない。



 「だからこそ、彼が逃げることの出来ない状況を作り出したか、恐ろしい男だね君は。君の弟子たち、確かええと、アルザングにサンジュにビードとか言ったかな、彼らもそれなりにやるようだが、君には遠く及ばない。あの子達は言うに及ばずだが」


 「アルザング、奴だけは多少目をかけているが、他では夜天の騎士には敵うまい。あの国の騎士は実に勇猛な者達が揃っている」


 「弟子にしたいとは思わないのかね? 上位三人より下の者達など、コインの表裏のような確率でたまたま融合騎“エノク”に適合出来たに過ぎぬのだから、彼女らは実に頼りになると思うよ」


 「それこそ愚問だ。真、我が師の薫陶を受けた騎士ならば私の軍門になど下りはしない。この程度の技術に魅入られ、誇りを捨てるような騎士など切って捨てるのみだ」


 「流石だ我が友! それほどまでに君にとって白の国は汚すこと許さぬ“聖域”であるというのに! それを自らの手で壊すことに躊躇わないばかりか、夜天の騎士達との心躍る闘争に君の心は高鳴っている! それでこそ黒き魔術の王! それでこそのサルバーン!」



 耐えきれないとばかりに哄笑を上げる道化、その表情には亀裂のような笑みが浮かぶが、それこそが素顔であるようにも、それもまた仮面であるようにも感じられる。



 「まあ何にせよ、実に面白くなりそうではないかね。君の一番弟子、アルザングが教育を担当した例の子はなかなかに見込みがありそうだ。二番弟子が受け持った子は若干不安ではあるが、それもまた一興だろう」


 「死ねばそれまでだ、戦場に泣き言は無用」


 「くくくくくくく、ああ何とも君らしい。そして、未だ目覚めぬ闇統べる王、彼女の目覚めも、実に楽しみではないかね!」


 「期待などしておらぬ、アレが真の意味で我が子ならば自身の力のみで己の道を切り開く、力及ばず死したならば、その程度の器であっただけのこと、仮に生き延びても詮無いことよ」


 「何とも剛毅なることだ。くくくく、ベルカ列強の王達において、君ほど苛烈なる王はおるまいよ! さあて、楽しい祭りの始まりだ! ベルカで最も強大なる黒き魔術の王が白の国へと槍を定めた! 解き放たれるまで時間はあと僅か! 果たして、夜天の騎士達はこの脅威を退けられるか否か! さあさあ皆様、御観覧あれ!」


 「よく言うな、貴様は何もしないであろうに」


 「その通り! 今回の私はただの傍観者! 大数式の起動キーであったフルトンとサルバーン! この二名が我が欲望を拒んだ瞬間に私は舞台へと上がる権利を失くしてしまったのだ! 故にこそ傍観者に徹しよう! 果たしてこの物語がどのような結末を見るか、観客として実に楽しみにしているとも! くくく、くくくくく、ははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」



 暗き地の底で道化が笑う。舞台の幕が上がった、いよいよ物語が始まると子供のようにはしゃぎまわり、開演をふれ回る。



 さあ、いよいよ時が始まる。



 遙かな未来、絆の物語へと至る序章は、始まりの終わりを迎えようと、時計の針を加速させていく。



 その果てに待つものは野心か、希望か、はたまた混沌か。



 未来を見る放浪の賢者はただ静かに語るのみ。



 旧き言葉によりて記されし、盾の騎士への予言は確かに告げる





           古き技を伝えし知識の塔、朱の色に染まりし時

           彼の地に吹く風の中、異形の落とし子の嘆きが響き渡る
 
           雲と闇が交錯し、雪を覆いし守護の星は瞬き墜ちれど

           墜ちたる欠片は蒼き盾、昇る紅の明星に託される





 



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