Die Geschichte von Seelen der Wolken


夜天の物語



第六章  前編  雲が集う時



ベルカ暦486年  エトナヴェットの月  白の国 ヴァルクリント城 回廊



 ヘルヘイムの侵攻より、既に半年近くが経過している。


 あの戦いでヘルヘイムが負った損傷は決して軽いものではなく、何よりも黒き魔術の王サルバーンが戻らなかったこともあり、再度の侵攻を企てる様子はこれまでのところは見受けられない。


 だがしかし、王がおらずともヘルヘイムには地獄の法の管理者にして執行者たる執政官アルザングがいる。彼がいる限りヘルヘイムに終焉は訪れることはなく、今は黒き魔術の王が戻るその時まで新たな少年王が立っている。


 そして、ヘルヘイムは尽きること無き野心に満ちた魔人の国、最大の標的たる白の国へは侵攻せずとも、近くの世界に存在している幾つかの国は、まるで砂の城であるかのように容易く落とされた。


 恐るべきことに、その中にはたった3人の手によって滅ぼされた国も存在したという。


 ヘルヘイムより流出する異形の技術と野心は尽きることなく、ベルカの地には未だ濃い暗雲が立ちこめている。


 それを良しとする夜天の騎士達ではないが、彼らの性質上、侵攻するには向いておらず、ヘルヘイムへ攻め込み王に代わって地獄の法を支配する“蟲毒の主”アルザングの首を取ることは難しいため、現在は守勢に徹しているが、それで問題はない。


間違いなくヘルヘイムの軍勢は再び白の国へと押し寄せてくる。その時こそが決戦の時であり、全ての決着がつくであろうことを、互いの陣営の誰もが確信していた。


 この戦いは人の国の戦争ではなく、利益や代償のことなど考えない戦争の怪物が起こす戦争。己の野心と欲望のままに攻め込み、それを撃ち砕くことを使命とする騎士達がそれを迎え撃つ。


 それまでの期間は決戦の準備期間であると同時に、最後の憩いの暇でもある。そして、白の国においては、ある一人の未完成の融合騎が、皆に癒しの風を運ぶ役を担っていた。



 「あっ、ヴィータちゃんです」


 「おっ、フィー」


 環状山脈に囲まれながら存在する白の国、その中心に聳えるヴァルクリント城回廊にて。


 半年前は若木であり、今は正騎士となった少女が、自分より小さなかわいい人形と出逢う。


 身体の小ささは相変わらずだが、今ではほとんど人間と変わらない姿となっている。精神の発育に合わせ、身体もまた相応のものに調律の姫君が作り変えているため、彼女は日々人間らしくなっていっている。


 「どちらへおでかけですか?」


 「お出かけも何も、あたしはこの城を守る騎士なんだから、今はどこにも行かねえよ」


 「でも、ローセスはよくどこかへ出かけますし、リュッセはもう半年も旅に出たままですよ?」


 「………そうだな、まあ、一年前のシグナムと兄貴みたいに、ラルカスの爺ちゃんと一緒に旅して回ってんだよ」


 「お爺ちゃんも、ずっとあえなくて、さびしいです」


 「そっか………きっとすぐ会えるって」


 「ヴィータちゃんも、さいきんあまりあそんでくれないですし………」


 「うー、わりい、正騎士ってのは色々と忙しいんだ。これまでなかった書類仕事とかもやんなきゃいけないし、他にもたくさんあってな」


 「じゃあ、わたしもてつだうです!」


 「いやいや、おめえにはまだ無理だって」


 「そんなことないです! こんなにりっぱにしゃべれるようになりましたもん!」


 「まあ、しゃべるだけは、な」



 それは、紛れもない事実であり、調律の姫君の技術の冴えに、ヴィータは改めて驚嘆する。


 特にこの半年の間に、フィーの知性というか、人格のレベルは目に見えて向上している。どうやら、調律の姫君が現在全力を挙げて完成を急いでいる“夜天の魔導書”に関する技術がそのまま応用されているらしい。


 その辺りの詳しいことまではまだヴィータは知らされていないが、融合騎“ユグドラシル”と守護獣が一つとなった事例が、夜天の魔導書の守護騎士システムの完成を飛躍的に早めたという。


 <ザフィーラは守護獣だけど、兄貴のユグドラシルとリンカーコアを核とすることで、単体の生命体のように動いている。例の、守護騎士システムもそれに近い方式、融合機能を持たない融合騎みたいになるってことだけど>


 そして、そちらが進歩することで、同じく完全人格型融合騎の雛型であるフィーもまた大きく進歩した。


 だが、彼女はまだ自身の“コア”を保有しているわけではないし、胸に収まったカートリッジとほぼ同様の専用の魔法石がなければ動くことすらままならない。


 なにより―――


 「おめえはまだ、ベルカ語が読めねえだろ」


 「ううう………」


 成長したとはいっても、その知識はまだお子様であった。


 「まずは、書き取りをしっかりとマスターすることと、足し算引き算を覚えることだな。少なくともそれが出来なきゃ、書類仕事は出来ねえよ」


 「ヴィータちゃんは、いつごろからできたのですか?」


 「そうだな―――――四歳頃かな」


 「はやいです!」


 「ったりまえだ、騎士を目指すんなら読み書きは当然として数学にも強くなきゃ話にならねえ、飛行魔法の慣性制御に限らず、魔法ってのは複雑な数学分野でもあるからな」


 中世ベルカ、この時代において既に数学というものは高度に発達しており、複雑な計算がなされている。


 自然の力を借り受けることで成り立っていた、古代ベルカのドルイド僧の技術とはやはり異なり、その根幹にはアルハザードより流れた技術があるのは否定できない事実。



 <だからと言って、ぶっ壊していいわけじゃねえ。まあ、あの野郎、黒き魔術の王サルバーンはアルハザードから流れてきた技術を喰って、極めて、凌駕して、大元そのものをぶっ壊すつもりらしいけど>


 流れてきた技術を学び、研鑽し、さらに発展させ、自身が組んだ筏を強化し戦艦と成す、そして、大元そのものを自身が作り上げた戦艦によって破壊し、凌駕したその時こそ、自らの築き上げた技術を誇ることが出来る。


 流れてきた船に乗り込み、自分達で独自に船を改良し、安全に航海することを良しとする精神は、黒き魔術の王サルバーンの中には微塵も存在していなかった。


 そしてその事実を、夜天の騎士達もまた知っている。半年前の戦いにおいて放浪の賢者が彼らへ残した遺産の一つが黒き魔術の王の目的、いや、精神性に関する事柄であった。


 「むずかしいです〜」


 「あたしも一人で学んだわけじゃねえよ、兄貴に教えてもらった部分も多いし、何より、先生方だな」


 白の国には魔法以外を教える教師達や技術者も数多い、それゆえの“学び舎の国”。


 「じゃあ、フィーもいっしょにまなぶです」


 「おう、そうしておけ、だけど、最低限読み書きや足し算引き算を覚えてからにしておけよ、それまでは姫様に教えてもらえ」


 「う〜、でも、さいきん姫様も忙しそうですし」


 「まあ、な、あの人も、色々あんだよ」


 「ヴィータちゃんも、忙しそうですし………」


 「う〜ん、あっ、ちょっと待ってろ」



 何かを思いついた騎士の少女は、自室へと大急ぎで向かう。



 「いつまでですか〜」


 「ほんのちょっとだ、すぐ戻ってくっから」



 そして、宣言通り、彼女が戻ってくるまでに有した時間は1分に満たなかった。



 「はやいです」
 

 「そりゃあな、あたしだって騎士だ。んで、お前にあげるもんがある」


 「わあっ、うさぎさんです!」


 「姫様の手作りのうさぎだ、お前にやるよ」


 「いいのですか? これは、ヴィータちゃんのたいせつなものなのではないですか?」



 フィーはまだ知能が完全ではないが、こういうことには鋭い、ある種の“直感”というものが優れているのか。


 彼女がただの人形であれば“直感”というものはあり得ない、高度な知能を備えたデバイスであっても、直感を持つ物などない。


 ならばこそ、直感というものを持っている小さな彼女は、ただの融合騎なのではなく、新たな命の可能性そのものなのだろう。



 「ああ、もの凄い大切だし、姫様から贈られた宝物だった。でも、あたしにはもう必要ないものだからな、お前が持っててくれた方がいい」


 「そうなのですか?」


 「ぬいぐるみ、ってのはな、小さな子が遊ぶためや、家族や大切な人との繋がりの証として持つものだろ。だから、今のあたしにはいらねえんだよ、フィーはあたしの妹のようなものだから、代わりに持っていて欲しいんだ」


 今の彼女は、鉄鎚の騎士ヴィータ、夜天の騎士の一番槍にして、最も早く騎士となった若き刃。


 もし、シグナムが騎士となった時代と同じ情勢であるならば、ヴィータも若木時代に主君から贈られた思い出の品として大切に保管していただろう。いや、今も当然その気持ちはあるが―――



 「あたしと姫様の絆、繋がりを示す証は、こいつだ。だからそれは、フィーが持っていてくれた方がいい、そう思うだろ、アイゼン」

 『Ja.』


 鉄の伯爵グラーフアイゼンこそ、夜天の守護騎士たるヴィータと夜天の主たるフィオナを繋ぐ絆そのもの。


 彼女はローセスより鉄の伯爵を受け継ぐことで騎士となり、主従の誓いは、グラーフアイゼンに懸けて行われたのだから。


 「じゃあ、責任もってわたしがあずかりますです! 大事にします!」


 「頼むぜ、んじゃ、そろそろあたしは訓練に行くから」


 「今日もですか?」


 「ああ…………ヘルヘイムの軍勢との決戦も、そう遠くはねえからな……」


 最期の言葉はフィーには聞こえぬほど小さいものであったが、そこには小さき騎士の覚悟が宿っていた。


 <多分、後半年くらいか、それまでにあたしも騎士として“完成”しなきゃならねえ>


 彼女はフィーと別れ、訓練場へと向かう。


 今や夜天の騎士の一人となった彼女は、若木達の教導もまた仕事の一つであり、彼らへの訓練と並行しながら己を鍛えることもせねばならない。


 そして、さらにそれ以外に大きな仕事があり―――


 <今は、ザフィーラとシャマルが向かってるんだったか、そんなに遠くない世界のはずだけど、いつ帰ってくるかね>


 夜天の騎士達は最後の決戦に向け、休むことなく準備を進めていた。











ベルカ暦486年  エトナヴェットの月  ミドルトン王国領  イアール湖



 「ふむ、まだ透明色か」

 『ソウデス、フシュフシュ』


 心が引きこまれるかと思われるほど透き通った水を湛える湖、イアール湖。


ベルカの地に点在する王国の一つ、ミドルトン王国の中でも屈指の美しさを誇るその湖畔に、一人の守護獣が佇んでいる。


 かつては烈火の将と共に訪れ、ベルゲルミルやスクリミルといった巨大生物の調査を行い、親友との再会を果たしたその場所、だが、今ここにいる彼はその時の盾の騎士そのものではない。


 盾の騎士ローセスの意志と権能を引き継ぎ、夜天の守護騎士達を守る盾となった彼は、“盾の守護獣”。


 融合騎“ユグドラシル”をもはや完全に身体の一部となした、一個の生命体でもある彼は、己の意志によってのみ、守るべき対象と打倒するべき敵を見定める。


 そして守るべき対象と打倒するべき敵が何であるかなどそれこそ語るまでもない。ヘルヘイムの魔人達との来るべき決戦、その時の布石のために彼は今ここにいるのだから。


 「クレスがここにいるならば、ミドルトン王国全域は頼めたのだが、な」

 『彼モ忙シイデスカラ』


 “鷹の目の狩人”に限らず、かつて白の国で学び、放浪の賢者の薫陶と共に騎士となった者達も各地で活動を進めている。ハイランド王国の雷鳴の騎士カルデンはその筆頭であり、彼も配下の騎士達までもが動いてくれているが、その他はほぼ全員が単体で動いている。


 彼らの多くがそれぞれの王国の騎士隊長クラスかそれ以上の役職に身と置いているため、白の国の先達の横のつながりは侮れないものがある。むしろ、この繋がりが“列王の鎖”の要ともなっており、中世ベルカにおける騎士の黄金時代を支えていた。


 彼らの働きかけもあり、ベルカ列強の王達はほぼ同じ結論に達している。あのヘルヘイムはあってはならない国である、と。


 ベルカの歴史の中には、ベルカ全土を統一しようとする野心によって各国へ進軍した国家もある。だが、“列王の鎖”と呼ばれる盟約がそれを阻み、非道、卑怯と呼ばれる策略によって伸張したところで残る国から袋叩きにされるのがおちであった。


 しかし、現在ベルカの地を覆っている影は野心と欲望。各国の王家や騎士達そのものが野心の虜となり、ストリオンやミドルトンのように内乱状態に陥った国もあり、ヘルヘイムによって直接滅ぼされた国もある。


 「このミドルトンも今や内乱状態、だが、簒奪が成功した例は未だヘルヘイムのみ、“列王の鎖”はまだ腐ってはいないようだ。一部の王家が腐敗しようとも、末端はまだ無事であった」


 黒き魔術の王サルバーンに触発され、似たような真似を試みる騎士達が各地にいる。


 ヘルヘイムの野心に踊らされ、国を大きく揺るがせたり、二分するところまではあるが、簒奪が成功し新たな統治者として民衆に受け入れられた者は未だいない。つまり、“力有る者は、力無きもののために”という中世ベルカの価値観はまだ根底から揺らいではおらず、そう簡単に崩れたりはしていないということだ。


 ある意味で、ヘルヘイムの存在は良い効果をもたらしてもいる。上の腐敗が末端に広がる前に強大無比な外敵が現れたことで、各国の王族、騎士達の精神は締め直されており、政争などにかまけていれば、ヘルヘイムにもろとも滅ぼされるという危機感がベルカの国々から“退廃”というものを取り払いつつある。


 「黒き魔術の王サルバーン………良くも悪くも、あの男は前進しかしない。反乱を起こし、国を奪う方向性か、王と騎士達が一丸となり、国を保つ方向性かの違いはあれ、今のベルカは“凄まじい速度で前に進んでいる”」


 ヘルヘイムから流出する野心と欲望は見事なまでに二極化を促している。


 黒き魔術の王サルバーンは、どちらでもない曖昧な態度、というものを許す精神性を持っておらず、容赦なく踏み潰していく。早い話、ヘルヘイムと同調し戦火を巻き起こすか、ヘルヘイムと敵対し、王と騎士の本分を果たすか、それ以外の選択肢など用意されてはいないのだ。



 「だが、野心家達はなぜ気付かぬのだろうか、国を奪ったところで、結局はヘルヘイムに飲み込まれるだけだというのに」

 『人間デスカラ、フシュフシュ』



 しかし、ヘルヘイムと同調することに意味はない。仮に簒奪に成功したところで、ヘルヘイムは容赦なく蹂躙していくことだろう、逆に、その時支配者の地位にあるならば、それは殺してくれと頼んでいるようなものだ。


 ヘルヘイムの掟は弱肉強食、国家を攻め落としたならば、その地は戦功一番のものに与えられる。降伏は許さぬ、最大限の抵抗をしてみせよ、それでこそ我等の糧とする価値がある。


 肉食の獣を前に、草食獣が降伏することに意味はなく、肉食獣の真似をして自分達は貴方の同類だと訴えたところで何の意味があろうか、標的が肉食獣であろうが草食獣であろうが、この怪物は区別なく喰い尽していく、歯ごたえのある獲物だった、か、そうでなかったかの違いでしかなく、怪物の牙が収まるなどありえない。



 弱肉強食



 ただそれだけが、ヘルヘイムの掟。


 人間世界の理ならば、“この相手を敵にするのは骨が折れる”と思わせることが出来れば、優れた獣はそう簡単に手出しはしないため、肉食の獣となることに意味はある。


 しかし、黒き魔術の王の国にはその道理は当てはまらない。強さを示すことは“壊しがいがある”という印象しか与えず、真っ先に標的にされるだけ、つまるところ、ヘルヘイムを滅ぼすか、滅ぼされるかの二択か、もしくは、地位や権力を全て捨て、ヘルヘイムの一員となるか。


 今の権力を維持したまま、ヘルヘイムの矛から逃れる方法などありはせず、一度全て捨て、己の力によって這い上がる以外にヘルヘイムの権力者となる道はない。



 「あれは人の国ではない、獣の国でもない、獣の意志を備えた人ならざる者達、魔人の国だ」

 『デスガ、世界ハ許容シテイマス』


 それは歪みではあるはずだ、だが、それはあくまで人間の目から見た場合の話であり、自然にとってはそうではない。


 弱肉強食は自然界においては至極当然の理、むしろ、自然にとっては人間国家の方がヘルヘイムに比べれば歪んでいるのかもしれない。



 「そうだな、賢者の石の色がそれを示している。私も賢狼であった頃ならば、それを感覚で分かっていたのだろうが」

 『彼ハ、モウイマセン、ローセスモ、イマセン、貴方ハ貴方デス』


 機械精霊には、そのように感じ取れるらしい、放浪の賢者がいない今、彼らの意思を理解できる者はいないが、それでも友誼に厚い彼らは白の国に力を貸し続けてくれている。


 賢狼ザフィーラが、盾の守護獣となって、今も守り続けているように。


 「お前は、どう思う? 世界は、私達に力を貸してくれるであろうか」


 『キット無理デス。老師ノ友達デアッテモ、気マグレデスカラ』


 「だろうな、私達が変わり種なのだ。ベルカ列強の国々とヘルヘイムが終わらぬ戦争を続けたところで、自然にとっては関係のないことだ、力を貸してもらえる道理はないな」


 『デモ、中ニハ変ワリ種モイマスヨ』


 「それも確かだ、2個ほどは既に黒色となり、7個ほどは灰色となっている。だが、全体から見ればほんの一部だ」


 ザフィーラの目の前に鎮座している結晶、“賢者の石”と命名されたラルカスの魔力光そのものである真球の石は、“我関せず”を旨とする自然の意志そのもののように無色透明のまま。


 これを観測し、透明のうちは石が力を失わぬように定期的に魔力を込めていくことが、今の夜天の騎士達の役目の一つである、無論、他にも数多くの仕事が存在しており、シャマルもまたそのために動いている。


 「今はまだ、その時ではないのだろう。逆に言えば、これらが必要とならぬに越したことはないのだがな」


 『老師サマ、黒イ風ガ吹キソウデス、フシュフシュ』


 「ああ、大師父が残した言葉である以上、間違いはあるまい」



 機械精霊の言葉は時々意味が分からないものとなるが、ザフィーラには何となく言いたいことが分かった。



 「黒き魔術の王サルバーンは必ず戻ってくる。彼が戻ってくるその時こそ、私達の最期ともなるだろう」










ベルカ暦486年  エトナヴェットの月  白の国  ヴァルクリント城  研究室



 「シャマル、戻っていたか」


 「報告が遅れてごめんなさい、先に、こっちの処理を済ませてしまわないといけなかったから」


 白の国を離れて任務についていたシャマルとザフィーラ、二人はそれぞれに役割を果たした後合流し、クラールヴィントの転送魔法によって白の国へと帰りついていた。


 そして、シャマルの前には淡く輝く魔力の結晶がある。夜天の騎士ならば見慣れた結晶、魔力の源、リンカーコアである。


 「蒐集の成果はどうだ?」


 「まあ、順調ね、焦って集めたところで姫様が進めている夜天の魔導書の方が出来ないと意味ないし、少しずつ進めてはいるから、まだ結構かかるけど間に合わないことはないと思う」


 「そうか、では、しばらくはこちらで作業に専念することになるのだな」


 「ええ、“蔵知の司書”は姫様にしか使えないし、あれを夜天の魔導書に組み込むのも“調律の姫君”たる彼女だけ、だけど、その源になるリンカーコアは私の担当だから」


 「さらに、今は“夜天の王”でもある。姫君と呼ぶのは本来妥当ではないのだがな」


 白の国の王、すなわちフィオナの父は長らく伏せっていたが、半年前の侵攻の後に息を引き取った。


 当然の如く、後継者であるフィオナは白の国の王となったが、特に変わるものはなく、さらに―――


 「構わないでしょう、白の国は――――もう、終わるのだから」


 それは既に、国民全員に告知されていることであり、彼らの移り住む先の確保を、白の国より巣立っていった騎士や調律師と連携しながら行い、この半年で大体の準備は終わっている。


 白の国にはヘルヘイムの槍が突きつけられており、民を守りながらの戦いでは夜天の騎士達に勝ち目はなく、何よりも民をこれ以上危険に晒すわけにはいかない。


 フィオナの決断は早かった。この半年はヘルヘイムを迎え撃つためであると同時に、白の国を終わらせるための準備期間でもあり、夜天の騎士達はそのために動きまわっているのだ。


 それ故、彼女の称号にも大して意味はない、姫であろうと王であろうと、国そのものがなくなれば意味をなさない。



 「そう言えば、武術関係の書物の搬送はどうなってるの?」


 「大体はハイランドに移すこととなった。やはり、武の技を伝えるならばあそこ以上の国はない、既に一部は移され始めている」


 白の国の“学び伝えるため”の物は続々と国外へ運び出されていっている。これらは決して戦火に潰えてよいものではなく、ある意味では人命以上に守り通さねばならぬものだ。


 そうして、“戦うため”のものだけが残っていく。夜天の騎士然り、デバイス然り、カートリッジ然り、様々な魔術兵装然り。


 ヴィータがフィーに忙しいと言った理由は、それらの担当がシグナムとヴィータであるからに他ならない。だが、シグナムには他にも多くの役割があるため、ヴィータの比重はかなり大きいといえる。


 「お前がしばらく動けぬのならば、私が蒐集に出よう。それに、各国の宰相や騎士団長達に伝えねばならんことも多い」


 シグナムは、白の国の近衛騎士隊長、この“学び舎の国”においては軍事部門の最高責任者である。


 簡単に言えば、フィオナを中心に、内政方面はシャマルが補佐を、外交方面ではシグナムが補佐している状況だ。通常の国政との違いは、“国を保つ”ための方策ではなく、“国を終わらせる”ための方策である部分だろうか。


 流石にその辺りはまだヴィータは関与していない。だが、トップの指示の下、実際に動く現場指揮官としての役割が彼女にはあり、若木達を率いて書架の整理を始めとした様々な作業を行っている。


 「貴女も忙しいわね、烈火の将の留守の間にヘルヘイムの軍勢が攻めてきたらどうしましょう」


 「問題ない、というか、分かって言っているだろう」


 普通に考えれば、これらの作業を進める上で最大の懸念は準備が整わぬうちにヘルヘイムの再度の侵攻がある場合だが、その可能性は極めて低い、どころか、ほとんどゼロと断言できた。


 なぜならば―――


 「ヘルヘイムは、黒き魔術の王サルバーンの国だ、こちらの準備が整わぬうちに急襲し攻め滅ぼすといった“人間らしい戦略”を彼の国が取るはずもない。新たに立った“闇統べる王”とやらの内心は知らないが、“蟲毒の主”が執政官である限り、地獄の法は揺るぐまい」


 ヘルヘイムにおいて、完全勝利とは“傷を負わずに敵を打倒すること”ではなく、“万全の敵を完膚なきまでに叩き潰すこと”であるために。


 「でしょうね、………私は、アルザングと実際に戦うことはなかったけれど」


 「気にするな、というのは、無理な話か」


 「相手がサルバーンで、不意を突かれたなんて言い訳にもならないわ。癒し手が何よりも必要とされる時に、何も出来なかった………私がちゃんとしていれば、リュッセも、ローセスも」


 「それ以上言うな、誰もお前を恨んだりなどしていない」

 『Ja.』


 烈火の将に応えるように、白光の騎士リュッセの魂、破邪の剣アスカロンが輝く。


 デバイス内部の収納スペースにはリュッセの遺髪があり、コアユニットにも“あるもの”が残されている、彼の魂、アスカロンはただ静かに応えていた。


 「悔やむことなどいつでも出来る、そうだろう?」


 長々と語る必要はなく、シグナムとシャマルの間にはそれだけで十分であった。


 「そうね――――彼らの意志を継ぐならば、決戦の時に二度としくじらないこと、絶対に、黒き魔術の王サルバーンと蟲毒の主アルザングを滅ぼすこと、それしかないわ」


 「ああ、それに―――私達も僅かに遅れるだけの話だ」


 ヘルヘイムとの最終決戦、死ぬつもりなど毛頭ないが、その可能性が極めて高いことも覚悟している。


 良いか悪いかは別として、白の国のデバイスは“無理が効く”ように設計されている。リンカーコアを限界以上に酷使して最後の一撃を放とうとしても、騎士の魂たちはそれに応える。


 鉄の伯爵グラーフアイゼンが、盾の騎士ローセスの命を囮にした最後の突撃に最期までつき従ったように。


 だが、それ故に―――


 「ヴィータちゃんは、今どうしてるの?」


 「ザフィーラと訓練している。既に、彼の障壁を打ち破れるほどにアイゼンを使いこなしている」


 「そう………まだ、半年なのに」


 夜天の騎士となってからのヴィータの成長は速い、いや、速過ぎる。


 土台を整え、じっくりと身体を造りながら鍛えていく手法ではなく、身体への負荷など無視し、ただひたすらに追い詰めるように鍛え上げているのだ。


 肉体とリンカーコアを限界を通り越した段階まで追い込み、シャマルの治療によって無理やり回復させる。そんなことを繰り返していれば、リンカーコアはあっという間にガタが来ることは間違いない。



 「何を言っても、ヴィータは止まるまい。これを覚悟した上で、グラーフアイゼンを受け継いだのだから」


 一度ならず、シグナムやシャマルは止めようとした。


 だがしかし―――


 (あたしに必要なのは、平穏に余生を過ごすための寿命じゃねえ、サルバーンとの決戦の時に、あいつらを叩き潰すための力だ。どの道、力が足りなければ殺されんだろ、だったら、身体が無事でも意味ねえじゃんか)


 その言葉に、反論することは出来なかった。


 ヴィータが夜天の騎士となるというのは、つまりそういうことであり、それこそが盾の騎士ローセスの唯一の恐れであった。


 だからこそ、彼は放浪の賢者ラルカスの己の未来を観てくれと頼んだのだ。その時に、自分が迷うことなく決断を下せるように、決められないまま命が尽きるようなことがないように。


 嘆きの遺跡に潜るその時も、ローセスの心は狭間で揺れ動いていた。しかし、予言が成就する時には、彼の中には迷いはなかった。


 盾の騎士ローセスは、白光の騎士リュッセと同じく、骨の髄まで騎士であったから。



 「でも、私はやっぱり、ヴィータちゃんには無邪気に笑う姿が似合っていると思うわ」


 「それは私も同感だ」


 だがしかし、それは言っても詮無いこと。


 ヴィータは既に、ローセスやリュッセと同じように、騎士として生き、騎士として死ぬ道を選んだのだから。


 その覚悟の証として、フィオナから貰った少女としての品を、フィーに託したのだから。


 中世ベルカの時代に生れついた、一人の人間としてのヴィータの人生は、グラーフアイゼンを受け継いだ時に定まった。



 「騎士とは、悲しいものね」


 「でなくば困る。皆が憧れ、誰もが騎士になろうと思ってしまえば、騎士がいる価値などなくなるのだからな、我らは、人間世界の狂気を受けとめる煉獄の蓋だ」


 「うん………私達も、覚悟の上で受け継いだものね」


 夜天の騎士の年長二人は想いを馳せる。


 彼女らが夜天の騎士となった時は、まだヘルヘイムという国は存在しておらず、ベルカの地に暗雲は立ち込めていなかった。


 だが、夜天の騎士となった時から、どのような終わり方も覚悟はしていた。


 これは、その終わりが最も無慈悲で、最も強大な力と共にやってきた、ただそれだけのことである。







ベルカ暦486年  エトナヴェットの月  白の国  ヴァルクリント城  調律の間




 「万事順調、とはまでは申せませんが、賢者の石も夜天の魔導書の順調に仕上がりつつあります。これも、貴方のおかげです、ラルカス師」


 数々のデバイスが並び、幾多のデバイスが作り出されているその空間の主たる女性は、ある一つのデバイスに対して独り言とも聞こえるように言葉を紡ぐ。


 いや、本来ならばそれは独り言でしかあり得ない。そのデバイス、シュベルトクロイツは純粋な魔導の杖であり、魔法発動体に過ぎない、グラーフアイゼン、レヴァンティン、クラールヴィントのような知能は持ち合わせてはいないのだ。


 『いやいや、それは紛れもなく君達の成果だとも、儂はただ石を置き、精霊達に語りかけたただけ、さらには仕上げを全て君達に任せて遠い世界に旅立っているときている、これでは大師父と呼ばれるにも問題があるというものさ』


 にもかかわらず、そこからは彼の放浪の賢者の声が響いているが、それは彼の肉声ではあり得ない。


 放浪の賢者ラルカスは、黒き魔術の王サルバーンを封じ込めるため、自身諸共、次元の狭間へと突き落としたのだから。彼の空間転移の業によってですら帰還も通信も叶わぬ遠き世界へ、彼は旅立ってしまったのだから。



 「まったく、ここに残されているのはデバイスに録音された音声に過ぎないというのに、なぜ会話が成り立つのでしょうか」


 『さてさて、なぜだろうね』


 その理由を、フィオナは理解している。


 半年前、白の国の戦いが一先ずの終結を迎えた時、盾の守護獣ザフィーラが再び嘆きの遺跡へと赴き、既に亡霊も怪物もいなくなった遺跡をそのまま下っていき最下層へと到達した。


そこで彼が発見したものは、放浪の賢者と黒き魔術の王が雌雄を決したその空間に、墓標のように突き刺さったシュベルトクロイツのみであり、その他には争いの痕跡が一切見られなかった。


 だが、それも当然の理屈、封鎖結界によって空間の位相をずらし、現実空間とは違う座標で戦いを行う技術は中世ベルカはおろか古代ベルカの時代より存在するが、ラルカスとサルバーンの両名の決戦場となったその空間は、通常を遙かに超える魔力によって紡がれた異空間と化していたのだ。


 そして、最後の激突の際にラルカスは風の力を借りて通常空間へとシュベルトクロイツを帰還させた。夜天の魔導書へと記すべき術式、黒き魔術の王サルバーンを封じ込めるための秘術の全てをそこに刻み、最初の夜天の主たるフィオナへと託すために。


 「貴方には、観えていたのですね。今こうして私と話している光景が、そして、その通りに貴方が録音したのですから、噛み合わないはずもない」


 嘆きの遺跡に赴くのに先立ち、ラルカスはフィオナに、シュベルトクロイツに録音のための機能を取り付けてくれと頼んでいた。そしてそれを伝言ではなく“会話”となさしめているのは、放浪の賢者が持つ予言の権能によるもの。


 『確実というわけではないよ、未来は千変万化、儂が観たものだけが世界の全てであろうなど、そのようなことはありえんとも、未来は無限の可能性を秘めているのだから』


 「そうなのかもしれません、ですが、貴方ならば、本当に未来の全てが観えているのではないかと、時々思ってしまいます。そして、人間である私達に合わせてあえてそれを言わないでいるだけのような」


 そう考えているのは、他ならぬサルバーンなのではないかと、フィオナは思う。


 白の国の後継者であり、夜天の主である自分よりも、放浪の賢者の弟子でもある夜天の騎士達よりも、真に放浪の賢者の真髄を理解しているのは、黒き魔術の王サルバーンではないか。


 シュベルトクロイツに込められた、二人の相克の記録を参照するたびに、彼女はその想いに囚われた。





■■■




 「撃ち抜け! 夜天の雷!」


 「滅殺せよ! 破壊の雷!」



 純白の雷電と漆黒の雷電。


 完全なまでに背反する二つの雷が、それぞれの術者を消滅させんと喰らい合う。


 だがしかし、それは互角ではあり得ず、極大の魔力の相克がもたらした爆発が晴れた時、その光景からいずれが競り勝ったかは明白であった。



 「ふうっ、ふうっ、まったく、呆れるばかりの力だ」


 「当然だ、貴方を超えるため、貴方を破壊するために築き上げた力だ。この私がな」


 「君らしい、ああ、なんとも君らしい、やはり、君の根源は“挑む”ことにあるようだ。見下すことでもなく、現状に満足することでもなく、ただひたすらに上を目指す、だからこそ君は踏み潰される者達のことを顧みない、なにしろ、上しか見ていないのだから」


 「私が超えてきたもの、私が培ってきたもの、私が学んできたものは全て私の内にある。他を顧みる必要などどこにある、見据えるならば未だ高みにある存在であろう」


 「なるほど、ならば、あの哀れな少女達も、未だ目覚めぬ君の娘も、そして、君の唯一の代行者たる蟲毒の主も、全ては君の内にあるのだろう」


 “虐殺者”ビードや“破壊の騎士”サンジュ、彼らもサルバーンの叡智の一部を譲り受けた者達であるが、サルバーンの世界には認識されていない。


 例え上しか見ていなくとも、人間は別の存在を知覚することは出来る。サルバーンにとっては見据えている存在がラルカスであり、その先にある破壊すべき目標がアルハザード、ならば、シュテル、レヴィ、ディアーチェは髪の毛のようなもの、そこに在ることは認識しており、頭に手をやれば触れることもあるだろう。


 そして、蟲毒の主アルザングは黒き魔術の王サルバーンの影、常に下に在るが故に決して視界に入ることはないが、意識せずとも在ることは理解しており、同時に、自分と不可分の要素である。サルバーンという存在はアルザングという影を通して初めて下界に影響を与えるのだから。


 上を目指して飛翔する彼にとって、影は不可欠の存在ではない、しかし、不可分の存在であり、サルバーンが“影を切り離すことは出来ない”という不可能を踏破することに意義を見出したならばその限りではないだろうが、それは彼の興味を引く事柄ではなく、アルザングもまたそれを知った上でその後を追い続けている。


 振り返ることなど一度もなくとも、“お前ならば私の後についてこられる”と、振り返って確かめる必要すらないのだと、黒き魔術の王はその背中で告げていた。



 「だがしかし、ヘルヘイムの他の者達は、君の世界の中にはいない。ローセスに敗れた虐殺者も、リュッセに討ち取られた破壊の騎士も、哀れな七人の少年少女も、嘆きを放つ異形達も、君にとっては垢のようなもの、紛れもなく君の一部ではあったものの、在ることに意味のない価値なしだ、君が、価値なしにしてしまった」


 「貴方ならば、己の垢にすら価値を見出すのであろうな、自分から落ちた垢を何年と眺め続け、どのようなカビが生えるかを観察しながらその生命の形を見守る、といったところか」


 「流石は我が弟子、儂のことをよく分かっておるようだ。以前、そのような道を君に勧めた覚えがあるのだがね」


 「それは私には不可能なこと、何しろ、生き急ぐことしか知らぬ男だ」


 「それもそれで、美徳ではあるのだが、まあ、それは置いておこう」



 会話を重ねるうちにラルカスの呼吸は徐々に整っていき、会話を合わせながらサルバーンはただそれを待つ。


 放浪の賢者と黒き魔術の王の戦いは常にその形で進んできた。二人が同時にそれぞれの魔法を放ち、必ずサルバーンが競り勝つ、そして、次の魔法を放つまでの間、師と弟子の会話を交わす。


 純粋に戦技を競う戦いであるならば、既にサルバーンは百回を超えるほどラルカスを殺しているだろう。戦闘者としての能力ならば、二人の間には比べるべくもないほどの隔たりがある。


だが、それでは足りない、彼の目的はラルカスを殺すことではなく、ラルカスを超えることだ。余裕ではなく、慢心ではなく、ただ己の在り方、生き様の全てに懸けて、サルバーンはラルカスが術を紡ぐのを待っている。




 貴方の全てを見せてみろ、私はその尽くを凌駕して見せよう




 サルバーンの内にあるのはただそれだけ、放浪の賢者が述べたように、どこまでも単純で、呆れ果てるほどに傲慢な理念を掲げ、ただひたすら己の道を突き進む男こそが黒き魔術の王なのだから。



 「期待をかけてくれるのは嬉しいが、そろそろ品が尽きてきたようだ。ラグナロクも夜天の雷も、儂の持つ魔法の中では最も破壊に秀でたものなのだがね」


 「だが、それは貴方の全力ではあるまい。放浪の賢者の業の真価が破壊にあるなど、ベルカの地に生きる誰もが思っていまい、まして、この私が貴方の真価を見誤るとでも思うか」


 「思わんよ、ただ言ってみただけだ。見ることも、語ることも好きなのでね」


 「そうか」



 二人の大魔導師は、普通の魔導師の力など及ぶべくもない領域で己の秘術をぶつけ合った。


 そして、その全てにおいてサルバーンが競り勝ち、戦闘魔法においてならばサルバーンがラルカスに勝ることは戦う前から分かりきっていたことでしかない。


 故にこそ、これまでの魔術戦はまさに“語り合い”なのだ。長らく離れていた師と弟子が巡り合い、存分に語り合っていただけの話。


 それでさえ、余人が知れば笑いたくもなるような極限の戦いであったが、これより行われるは人智を超えた戦い。



 「そろそろ、友の準備も整ったようだ、儂の最後の業、君の望みどおり披露するとしよう」


 「ならば私はそれを踏破しよう。私が築き上げた魔術の全てに懸けて」



 放浪の賢者ラルカスの最大の秘術と、黒き魔術の王サルバーンの最大の秘術が、ついに相克する。



 「我はあまねく次元の海を渡る者、あらゆる時空の壁を超え、果てなる先を観通す者、なぜなら時間も空間もまた我の友であり、我は友に助力を惜しまぬ、だからこそ友よ、今こそ願う、その力、我に貸してはくれぬであろうか、決して無駄にせぬことをここに誓おう、一にして全、全にして一なる我が友よ」


 風が集う。


 いや、一般的に風と呼ばれるものが大気の流れであるならば、それは風とは呼べないはず。


 しかし、放浪の賢者にとっては確かに風であった、ありとあらゆる場所に遍在するが故にどこへでも行ける。その力を借りられるならば、次元を渡ることも、全てを観通すことも、そして、その男を次元の果てへと飛ばすこととも容易でしかない。


 それは、古代ベルカのドルイド僧達が精霊と呼んだ力、世界の一部であり、自然であり、ある意味で世界そのものでもある彼ら。その力を借り、奇蹟の技を振るうことに最も長けたものがラルカスであるならば――――



 「我はあまねく次元を砕く者、あらゆる叡智を修め、覇道を果てまで踏破せし者、時間、空間、名もなき存在に至るまで我が糧であり、我はその全てを力へと変える、故にこそ世界よ、今こそ命じる、その存在の全て我に差し出せ、決して無駄にせぬことをここに誓おう、一なる我が、全なる貴様ら全てを喰らう」



 風が喰らわれる。


 起きている現象そのものは放浪の賢者のそれと近しいはずなのだが、どこまでも真逆の方向へ墜ちている。


 人間とは、自然の理に沿うだけではく、歪めることをも得意とする。自然と共に在り、力を借りることが人の道であるならば、自然を喰らい、叡智を築き、我が力と成すことも人の道。



 弱肉強食



 それこそが、黒き魔術の王の道であり、自然の理でもあるが、それは彼が自然の理を尊いものとしているわけではない。彼が望み、選んだ道がたまたま自然の理と似ていたに過ぎない。



 「それが君の選んだ道か、自然を喰らい、我が力とする道」


 「弱肉強食、それが私の法だ。自然界の法に従うのではない、私は私の法に従っている。自然など遙か昔に踏破した、我が糧に過ぎん」


 「どこまでも傲慢なるものよ、その傲慢こそが、君の破滅となるやもしれんよ」


 「その時は、私は所詮それまでの男であっただけのことだ」



 言葉を交わしながらも、彼らの周囲にはもはや人間の言語では正確に表現することが叶わない“力”が渦巻いていき、巨大になると同時に収束を繰り返す。


 魔導師や魔法生物は通常、リンカーコアと呼ばれる器官によって魔力素を体内に取り込み、魔力という形をなして魔法という術式を成すが、中には体内に通さず直接空間に漂う魔力を集める技術も存在する。


 それは、魔力収束と呼ばれる砲撃魔導師の最上級技術(エクストラスキル)。


 だがしかし、この両者が行っている技術はそのさらに上をいき、一度リンカーコアを通して魔力の形をなして発動し、周辺に散布していた魔力を集める、ではなく――――



 「精霊の力を借りるのではなく、己がものとしたか」


 「精霊の力を借りることに関してならば、貴方には及ばぬ、ならばこそ、私は私の道を選んだ」



 魔力の源となる魔力素、未だ魔力の形を成していない原初のそれらをかき集め、リンカーコアを通さずに“力”と成す技術。


 一般に、魔力と呼ばれるものは数多くの種類がある。


炎熱変換然り、電気変換然り、中には毒素変換と呼ばれるものすらあり、それらは皆、“生物が使いやすいように魔力素を加工したもの”ということは広く知られている。


 それ故に、AMF(アンチ・マギリング・フィールド)などの魔力を打ち消す結界などにも、その結界と反応する“周波数”というべきものがある。同じ媒質であっても、振幅や振動の周期が異なるならば、その特性は全く違うものとなるのは自明の理。


 つまりは、あらゆる魔力の性質とは“魔力素”という媒質をどのような周波数で加工するかの違いでしかないということだ。人間ならばそれに適した周波数があり、それを可視光とするならば、赤外線、紫外線、エックス線、ガンマ線などは人間とは異なる魔力であり、可視光の中の赤、黄、青などの色分けが、変換資質のようなものだろうか。


 そして、古代のドルイド僧はまさしく原初の力を操っていた。魔力ではなく、その基である魔力素そのもの、すなわち精霊と意思を交わし、名を与え、力を借りる。もっとも、操り手が人間である以上、限界はあるが。


ドルイド僧が借りた力も結局は“魔力の塊”のようなものになるため、中世のベルカ式魔法とそれほど大差があるわけでもない、真竜などが精霊と従えるといわれることなども同様であり、魔力素の波動という点では違いはない。



 だがしかし―――



もし、際限なく精霊(魔力素)と意思を通わせ、力を借りる術式があるならば。


 もし、際限なく精霊(魔力素)を集め、支配し、隷属させる術式があるならば。




 その存在は、無限のリンカーコアを有するに等しい“魔力”を顕現させることも出来るだろう。ロストロギアと呼ばれる、アルハザードより流れた結晶が、核分裂に似た魔力素分裂とでも言うべき反応を励起させていくことで、次元を引き裂く断層すら発生させることを可能とするように。



 「さあ行こう、我が友よ、数多のジンを集中させ、今こそ無限の奈落を、果てなき檻を築き上げよ」


 「今こそここに集え、我が糧よ、幾多のジンを収束させ、暗黒の断層を、絶対なる爪牙もて全てを引き裂け」



 あくまで両者ともに人間であり、その力は無限ではあり得ない。


 だが、人間に観測不能なほどの力であるならば、既に無限と呼んでも差し支えないであろうほどの精霊の力、魔力の源がそこに集い、二人が“ジン”と呼ぶ力へと集約されていく。


膨大な魔力素を集め、リンカーコア内部で人間や魔法生物が無意識に行っている変換を術式によって体外で行い、魔力へと精錬、同時にさらに魔力素を収束させ、二つの中間のような状態の“力”へと遷移させていき、膨張、収縮を繰り返しながら大局的に見れば安定しているそれを、二人は“ジン”と呼んでいた。


 人間の肝臓と同じ機能を化学プラントによって行うならば、凄まじく巨大な設備が必要になるという。リンカーコアもまた同様であり、魔力素を取り込んで魔力と変える魔力炉心は未来においてですら発明されてはいない、必ず、魔力の形での種火が必要となっている。


 それを、この二人は自らの術式によって成していた。人間のリンカーコアが可能としているのだから理論的に出来ないはずはないのだが、それは言わば、“肝臓で行われる化学反応を全て脳で理解し、自分の手で行うこと”に等しい。


 「これを、破壊の業と成したか!」


 「無論だ、アルハザードより流れる結晶は単体で次元断層を引き起こすことを可能とする。ならば、それを我が術式のみで凌駕せずには、踏破したことになりはせん!」


 「如何にも君らしい、しかし、その破壊にベルカの地を巻き添えにさせるわけにはいかぬよ! 次元の果てへと、共に落ちてもらう!」


 「受けて立とう! 貴方が築き上げる無限の檻を、我が魔術の全てで以て破壊してくれん!」




 収束した“力”が、ついに二人の術式が支えられる臨界点へと達し―――




 「来りて集え! 悠久なる精霊の牢獄! 輝くトラペソヘドロン!」


 「全てを無に帰せ! 強大なる破壊の断層! 黒の風!」



 二人の大魔導師は、ベルカの地より遠く離れた次元の果てへと消えていった。





■■■




 「貴方がサルバーンに対して放った最後の魔法、いえ、魔法とは根幹からして異なる秘術、次元の果てへと対象を飛ばし、永遠に封印する“輝くトラペソへドロン”。あれを理解することは私には出来ません、全ての魔力を飲み込む虚数空間のさらに果てなど、想像することすら……」


 『きっと、その方が良いのであろうさ、それに、あれの名前には対した理由はないよ、まあ、願掛けのようなものでね、強い効果を望むならば、強い意味を持つ名前を与えるのが効果的、ただそれだけのことなのだから』


 「では、私達には馴染みのないあの名称にも、深い意味があると」


 『一応はね、ただ、サルバーンに言わせれば“借り物”に過ぎんのであろう。ベルカの地が長い歴史と共に育んできた力有る言霊ではなく、よそで見かけたとんでもないものを当てはめただけだからね、まあ、これはあくまで外法だから、ベルカの言葉を与えたくはなかった、それだけだよ』


 「魔力素、いえ、魔力の形を成す前の精霊を集め、その力によって次元の扉を開き、虚数空間の果てに彼らそのものによる牢獄、言わば“次元牢獄”を築き上げる大魔法、それが、“輝くトラペソへドロン”」


 虚数空間にはあらゆる魔力を打ち消す“何か”が満ちており、あらゆる魔法がキャンセルされる。飛行魔法も転移魔法も使えず、一度落ちたが最後、二度と上がっては来られない。


 だがもしも、魔力素の振動周波数の中に、虚数空間に満ちる“何か”と反応しない帯域があり、それを用いた術式を組む事が可能ならば、虚数空間すら踏破することは出来るだろう。


 そしてその技を放浪の賢者ラルカスは有しており、その事実をただ一人知っていたサルバーンは、独力でそれを学び、習得したのだろう。ならば、今の彼は虚数空間のどこかに“門”があるという、アルハザードにすら自分の力のみで辿りつけるのではないか―――



 「いえ、違いますね、アルハザードが虚数空間のさらに奥に存在する以上、必ずそこへ渡る手段が存在する。貴方はそれを観て、彼はそれを知り、ついには独力でそれを可能とした。………この世界にもたらされる破壊は、アルハザードへの次元跳躍のための二次災害、それが、次元断層………」


 『次元干渉を行えるロストロギア、それらを励起させて次元断層を引き起こし、アルハザードへの門を顕現させることは普通の魔術師でも不可能ではないよ。だが、それでは次元断層の破壊の力に指向性を与えることは出来ぬし、虚数空間を踏破することも叶わないだろうね』


 「彼は、それを己の術式のみで可能とした。全ては、貴方を超え、そのさらに先、アルハザードへと至り、破壊するために―――――ですが、それならば」


 『サルバーンは必ず戻るであろう、アレの放った“黒の風”はそれを可能とする力を持っていた。多少の時間は稼げると思うが、座標の特定が済めば即座に“穴”を穿つことは予想するまでもない、位置的に、アレの方が近いのでね』


 「………単体で、次元断層を引き起こす魔術、そのような術式を編み出すとは」


 『これは儂のせいでもある。あれの向上心に火をつけてしまったのは過ちであったかもしれない、まあ、後は任せたよ』


 「そこで他人任せですか」


 『放浪者とは得てしてそういうものさ、儂らはただそこに在り、気が向いた時に助言を成すに過ぎない、だからこそ助言を残そう。サルバーン程“有言実行”という言葉が似合う男を儂は知らぬ、ならばこそ、アレは必ず次元の檻を破壊し、ベルカへと帰還し、白の国を破壊するだろう。その時こそが、唯一無二の機会である』


 「負ければ、ベルカの地が全て潰えることになるのですね」


『サルバーンからベルカの地を守るための最期の術式は組んである、それを生かせるかどうかは君達次第、儂は、次元の果てより見守らせてもらうよ』



 そして、唐突にシュベルトクロイツの再生が止まる。


 予め録音されていた音声が再生されたに過ぎないのだから唐突の何もないのだが、あまりにも自然に話していたために、フィオナには唐突に会話が終わったように感じられた。



 「見守らせてもらう、ですか、ラルカス師、貴方は本当に変わらない」



 サルバーンは今、ラルカスが築き上げた虚数空間の果ての次元の檻、“輝くトラペソへドロン”の中にいるはず、本来ならば、二人とも二度とベルカの地に戻ることはかなわず、放浪の賢者は命と引き換えに黒き魔術の王を次元の狭間へ封じ込めたはずなのだ。


 しかし、二人の力がほぼ互角であったならばその限りではない。牢獄を築き上げたラルカスが先に次元の果てへと飛び、サルバーンを“引きずり込む”のだから、結局は単純な綱引きとなり、ラルカスが“慣れている”ことを差し引いても決定的なアドバンテージとはならない。



 「次元を遙かに超えた場所の座標の概念は私には分からない、だが、ラルカス師が“深い”場所にいるならば、サルバーンが“浅い”場所にいるのは間違いないのだろう、例えて言うならば、ラルカス師がサルバーンにロープを巻きつけた状態で崖から飛び降りたようなものか」


 “押し込む”ことが出来るならばそれに越したことはなかったであろうが、通常の空間における魔力ではサルバーンの方が上である以上、まずはラルカスが有利なフィールドである次元の果てに先に飛び、そこから“引っ張る”より他はない。


 しかし、サルバーンもまた精霊の根源を操り、次元そのものを歪ませる術理を習得していた。ラルカスがその力を“転移”に使うように、サルバーンはそれを“破壊”に用いる。


 遠くない先に、黒き魔術の王は次元の檻を突破し、ベルカの地に再臨する。その時こそ、白の国の夜天の騎士達が最後の戦いと挑むことになることは疑いない。



 「………全員が、戦うことになるのだな 烈火の将、風の癒し手、蒼き狼、そして………紅の鉄騎」


 まだ10歳にもなっていないヴィータも、ヘルヘイムの異形の軍勢と、それを率いる蟲毒の主と、何よりも、黒き魔術の王サルバーンと戦わねばならない。


 ヴィータも覚悟した上で騎士となり、今もザフィーラと共に厳しい訓練を積んでいる。後半年もかけず、シグナムと同等の戦闘能力を発揮するようになるだろう。


 主君としては、夜天の主としては喜ぶべきであり、祝福すべきことではある。



 だが――――



 「ラルカス師――――本当に、彼女の運命は避けられないのでしょうか」



 彼女は、問わずにはいられない。


 烈火の将を超える誉れよりも、あの真っ直ぐな少女には幸せな日々こそが贈られて欲しいと、調律の姫君、いや、ローセスという男を愛した一人の女性は願う。


 それは、決して叶わないことを彼女もまた知っているが、それでも――――願わずにはいられない。



 「ザフィーラ………後どれだけの時間が残されているかは分からないが、それまででもいい………ヴィータを、守ってやってくれ」



 そして、もう一人。



 「グラーフアイゼン、私に出来ることは、お前がヴィータの力になれるよう調律することしかない……………あの子を、頼んだ………」



 愛する男のために作り上げ、今は妹へと託された騎士の魂に祈りをささげる彼女の頬を――――



 一筋の雫が、こぼれ落ちていた。



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