Die Geschichte von Seelen der Wolken


夜天の物語



第五章  後編  鉄鎚の騎士、盾の守護獣




ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南部  風の谷




 「ぬ、ぐ、あああああああああああ!!」


 裂帛の気合いと共に繰り出される拳が、押し寄せる異形の軍勢を撃ち砕く。どれほどの数をもってして攻め込もうとも守護の盾を貫くことはかなわない。


 盾の騎士の防御は堅固にして鉄壁、数の優位は圧倒的なものではあるが、防衛戦に徹したローセスを破ることは烈火の将ですら不可能だと認める程、異形が寄り集まったところで成せるものではない。


 無論、彼とて人間であり限界というものは存在する。しかし、既に白の国内部に攻め込んでいた空戦力の大半は打ち破られ、人造魔導師の一号(アイン)、二号(ツヴァイ)は撤退し、残りは全滅、“破壊の騎士”サンジュと“虐殺者”ビードも既にない。


 つまり、今もなお激しい攻防が繰り広げられるこの風の谷へ援軍が到着するのも遠い話ではないだろう。ローセスが守る風の谷こそが最大の激戦地であることは夜天の騎士の誰もが理解しており、現に、ヴィータは立ちはだかる魔導機械達を破壊しながら駒を進め、シグナムもまた白の国内部に脅威がないことを確認し次第向かう予定であった。


 「フェイルノート、焼き尽くせ!」


 さらに、ローセスの背後の陣取り彼を援護する“鷹の目の狩人”との連携は絶妙の一言に尽き、このまま行けば援軍が来るまで十分持ちこたえることは可能であっただろう。



 ヘルヘイム軍の司令官にして黒き魔術の王の片腕、“蟲毒の主”アルザングがこの戦場に現われることがなければ。



 「はあっ、はあっ、はあっ」


 ローセスの息は荒く、その表情にも明らかに焦りが見られる。攻めよせる大群を薙ぎ払い、風の谷を死守してきた彼ではあるが、今押し寄せてくる者共はこれまで戦ったことがない存在、すなわち―――



 <蟲―――これほど厄介な存在とは>



 蟲、そう、それは蟲と呼ばれる存在だ。


 自然に生きる虫ではなく、様々魔術による加工が施され生物を殺す、中でも人間を殺すように調整された者共。


 虫という存在は極めて単純な理に沿って動いており、最も“機械”に近い生物であるともいえる。人間を再現するロボットの製造は困難を極めるが、蟻と動きをする“蟻ロボット”は実に単純なアルゴリズムのみで製造可能。


 そしてこれらは古代ベルカの時代にドルイド僧から分派した、“蟲使い”と呼ばれる者達が作り上げた技術、それを受け継ぐ魔術師、いや、呪術師とも呼ぶべき存在こそ―――



 「呪いを衣として身に纏え、呪いが水のように腑へ、油のように骨髄へ、纏いし呪いは汝を縊る帯となれ。我が眷属たる蟲共よ、息絶えし腐肉を苗床に顕現し、生ある者を喰らい尽くせ」



 “蟲毒の主”アルザング、彼がそう呼ばれるのはヘルヘイムの象徴たる蟲毒の壺の法を管理する執政官であるばかりではない。古代ベルカの蟲使いの技を継承し、あらゆる毒を操る技術と組み合わせ、黒き魔術の王の薫陶の下、破壊を司る業へと昇華せしめたからに他ならない。


 この蟲共こそ、ベルカの地に現われた原初の“戦闘機械”とも言える。己の意志など持たず、命を失うことを恐れもせず、ただ定められた法則に従って活動を続ける生体兵器。


 動物には生存本能というものが存在するが、虫、特に蟻のような単純なものになるに連れてそのようなものは薄れていく。女王蟻を守るために兵隊蟻が何万匹死のうとも、理は何も狂ってなどいない、それが彼らの存在意義であり、命そのものも短いため人間の尺度に従って“価値”というものを定めるならば、彼らほど低い命もあるまい。


 最果ての地より流れ出る生命操作の業によって“人間”をベースに他の生物を加え、生存本能というものを失くした上で戦闘に特化させた存在が改造種(イブリッド)であるが、“蟲毒の主”アルザング個人の手駒たる蟲共は、そのような手間をかけることなく、命を捨てて襲い来る。



 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」


 そして蟲ばかりではなく、改造種(イブリッド)の攻勢も弱まることはない。むしろ、彼らの穴を埋めるように蟲共は存在しており、押し寄せる黒い森はいよいよその密度を高めていく。



 「く、おおおお!」


 ローセスの拳が異形の頭部を完全に砕き、その活動を停止させる。


 はずが―――



 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」



 インゼクトと呼ばれる虫がある。


 古代ベルカの蟲使いは主に偵察に用いた召喚虫であるが、禁呪に近い使役法として“他者に宿ることで制御する”というものも存在した。


 遙か後の時代においては、ガジェット・ドローンと呼ばれる魔導機械を制御し、その性能を高めるという用途で使われることとなる召喚虫だが、“蟲毒の主”アルザングが生きる中世ベルカにおいては魔導機械も作られたばかりで発展はしておらず、彼の操る蟲も機械を操ることを可能とはしていない。


 だがしかし、生体ならば話は別である。彼は生命操作技術に深く精通しており、黒き魔術の王には敵わぬまでも人道魔導師を作り出すことを可能とした魔術師。ならば、彼にとっては機械よりも“人体”の方がよほど制御しやすく、蟲が操作するならばその個体が生きているかどうかなど関係ない。


 すなわち―――


 <蟲を用いた――――屍体操作術(ネクロマンシー)>


 それが、“蟲毒の主”が盾の騎士を仕留めるために用いし策、本来の予定ならばここで蟲を用いた屍体操作の業は使うはずではなく、最終決戦において対策を練られてしまう可能性が高いが、陸の防御の要たる盾の騎士は何としてもここで排除しておきたい。


 当然、最も排除したいのは回復の要たる湖の騎士であるが、彼女はヴァルクリント城の医療塔におり、賢狼が城の周囲を固めている以上は困難きわまる。ならば、戦場が固定されており、最前線で戦うしかあり得ない盾の騎士が第二の目標となる。



 「縛れ! 鋼の軛!」


 脳や心臓を破壊しても敵が止まらない、防衛戦を展開する者にとってこれほどの悪夢はないだろう。蟲に操られ、押し寄せる異形を止めるには肉体を完全に破壊するか、大地に縫い止める以外にないが。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
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「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」


 ここにきて、数の暴力というものは最大の力を発揮する。押し寄せる敵全てを鋼の軛によって止めていては、ローセスの魔力はすぐに底をついてしまう。



 「降り注ぐは炎、全てを焼き尽くす流星となりて、眼下の敵を灰燼ヘ帰さん……ウルスラグナ!」



 クレスが放つ爆炎の矢、ウルスラグナも蟲共相手には有効打となり得るが、放てる数に限界がある。既に彼の手や焼けただれ、一部は炭化を始めている部分すらある。どんなに多く見積もっても、あと数発が限界であることは明らかであった。


 可能であれば、蟲共を操る術者を倒すことこそが最善なのだが、“幻惑の鏡面”がそれを許さない。中世ベルカの魔法技術といえる射撃魔法や近接での一撃と併用することは不可能であったが、蟲共を操る古代ベルカの召喚魔法
に限り、アルザングは“幻惑の鏡面”と同時に発動させることを可能としていた。



 「続け、続け、続け、女王たる蟲は既にない、我こそが汝らの王たる者なり。死にゆく者共の屍を苗床とし、今こそいで参れ」



 ローセスの周囲に散らばる幾百の死体、それらを中心に方陣、古代ベルカの召喚の陣が展開され、改造種(イブリッド)の身体を媒体とし更なる蟲共が召喚されていく。


 この世の基本的な理の一つに等価交換というものがある。転送魔法とは基礎を異にする召喚魔法では術者の魔力を対価に差し出すことで召喚虫を顕現させるが、代わりの対価があるならばその負担も軽減される。


 ローセスがこれまで粉砕してきた改造種(イブリッド)の死骸、それら全ては蟲共を呼ぶ餌となり、その蟲共が屍体を操り、さらには蟲自身もローセスの肉を喰らおうと押し寄せる。


 それはまさに、ヘルヘイムの法たる“弱肉強食”の具現。倒れた者は糧となり、戦火はどこまでも広がっていく。地獄の法を司る執政官アルザングの真骨頂にして、ヘルヘイムの法においては“無意味なるものは存在しない”のだ。



 【いやいや素晴しい、何とも素晴しい限りだよ、これはまさしく一つの完成形と言って差し支えあるまい! 蟲を用いて屍体を操り、彼らが生み出した屍を苗床にさらなる蟲が生み出される! それは何と華麗なる地獄の法の具現! 恐るべき無限循環であろうか! 故に君こそ黒き魔術の王の片腕! 絶対者たる王の地上における代行者足り得る!】


 ドルイド僧ならぬベルカの騎士、もしくは魔術師には感知できぬ狭間より、道化が眺め、ただただ嗤う。

 その黄金の瞳が見つめているのは白の国の門たる決戦場か、はたまた遙か先の未来の光景か。

 【黙れ―――――道化めが】


 そして、“蟲毒の主”は古代ベルカの流れを受け継ぐ蟲使いであるため、その存在を微かながら感知しており、それだけに疎ましい。


 ある突然、彼が信奉するただ一人きりの王の前に現われた異形の道化、何をするわけでもなく、ただ王の傍に侍り、嗤うだけ。


 その存在が――――彼にとってはこの世の何よりも厭わしかった。



 「随分と粘ったものだが――――これまでのようだな」


 だが、“蟲毒の主”は自身の心を瞬時に抑え、戦場に集中する。魔術師であろうとも一度戦場へ出てきた以上はその法に従わねばならない、さもなくば無意味に果てるのみであろう。


 「命を穿て、“カルハロス”」


 その手に握られるのは漆黒の弓と、禍々しい幽気を漂わせた凶なる矢。


 それは烈火の将シグナムに放たれた奇襲の矢と同系統のものではあるが、そちらが力を測るための矢であれば、こちらは命を確実に奪うための絶命の矢、纏わりつく灰色の魔力も先の矢とは比較にならない。


 そして、彼の持つ“毒化”の魔力変換がその一矢を必殺のものへと昇華させる。純粋な威力のみでもローセスの防御を貫通しうるが、ただの傷ならば治療魔法によって回復し得る。しかし、“蟲毒の主”の毒をくらっては、いかなる治療魔法であっても回復することはかなわない。



 「さらばだ――――盾の騎士ローセス」



 そして、押し寄せる異形と蟲の大群の前に満身創痍となり、まともに動くことすら不可能になりつつあった盾の騎士へと、必死の一撃が――――



 「死ね」



 放たれた。










ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南西部  上空



 「――――!?」


 行く手を阻んでいた魔導機械や空戦型の改造種(イブリッド)を撃滅し、風の谷へと駒を進めようとしていた若木の少女は、例えようもない感覚を捉えた。


 <何だ? 今のは―――――何だ?>


 それは考えたくない事柄でありながら、考えなくてはならないこと。


 彼女が、夜天の騎士を目指す若木である以上、そこから目を逸らすことは許されない。今まさに、彼女の人生における最大の分岐点が訪れようとしており、彼女の人生はそこで決することを、放浪の賢者は過去に観ていた。



 (お前が騎士となるその時は、そう遠いことではない。だが、お前がこの道を進み続けるならば、烈火の将を超える誉れと共に、最も大切なものを失うかもしれん)



 最後の夜天の騎士が生まれる時がやってくる、それはもうそぐ傍まで。


 守護の盾は、既に砕けたのだから。











ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南部  風の谷



 その光景を見た瞬間、クレスの時は止まったといってよいだろう。


 矢、それは彼が最も見慣れた武器であり、彼が愛し、弓と共に成長してきたものであった。


 だがそれが――――彼の親友の胸から生えている。


 それも、ただ胸であるわけではない、それは心臓があるとされる場所だ。



 停止の時間は、一秒か、それとも二秒か。



 彼が行動を再開した時には、ローセスの胸から血が噴き出しており―――




 「アイゼン!」

 『Raketenform!(ラケーテンフォルム)』


 親友の取った行動に、我が目を疑った。










 「はああああああああああああああああ!!!」

 『Explosion!(エクスプロズィオーン!)』


 そう――――彼は待っていた。


 “蟲毒の主”アルザングが自分に止めを刺すべく、最後の一撃を放つ瞬間を。敵が先に打倒した小物、“虐殺者”などとは格が違う強者であるが故に、最後は己の手で止めを刺しに来るその一瞬を。


 押し寄せる異形と蟲共と戦い、魔力のほとんどが尽きた状態において、彼は待ち続けた。


その時こそが、“幻惑の鏡面”によって姿を隠したまま蟲共を操る敵手を仕留める唯一の機会であると悟ったが故に、最後の罠を用意したのだ。


 それは、己の心臓を囮とし、敵の一撃を防ぐことなくあえて受け、防御ではなく反撃に全力を注ぎ込む必死の策、それを行ったが最後、自身の命が果てることなど大前提。


 頭の螺子が飛んでいるとしか言いようがなく、仮に思いついても誰が実行するというのか、と呆れたくなるほどの策とも呼べぬ特攻精神。


 だが、彼が夜天の騎士であり、先に散った白光の騎士リュッセの先達であることを考慮すれば、それは当然と言える選択でもある。彼らはまさしく、狂気の煉獄に生きる悪鬼羅刹と呼べる存在であろう。



 「ラケーテン―――――!」



 そして、魔力がほぼ底を突き、まともに拳を繰り出すことすら厳しくなったローセスが“蟲毒の主”を仕留める方法はこれしかありえなかった。“蟲毒の主”の固有技能“幻惑の鏡面”を看破することは彼には不可能であり、遠隔召喚される蟲共の出所を突きとめる手段はない。


 ならば、これしか方法はあり得なかったのだ。姿を隠している手段や敵が矢を放つことまでは知りようがなかったが、盾の騎士ローセスに止めを刺すならば何らかの強力な攻撃手段を用いるはず、その時こそ、“幻惑の鏡面”が薄れる唯一の機会、最強の矛と身を隠す暗幕は決して共存できないものなのだ。


 それはまさしく、戦場に立つ者達にのみ結ばれるある種の“信頼”が成せる技。“蟲毒の主”が黒き魔術の王の片腕である以上、戦場の理を知らぬ筈もない、ならばこそ、最後は己の全力を以てして仕留めにかかるはず。常人には理解できず、理解するべきでもない、修羅の道理がそこにはあった。



 「グアサング!」


 だが、ローセスが“蟲毒の主”の心情を察したならば、逆もまた然り、アルザングもまた盾の騎士ならばこの程度のことはやりかねんと想定した上で、カルハロスによる絶命の一撃を放っていた。


 そして今、彼の手に握られるのは漆黒の剣。烈火の将シグナムと炎の魔剣レヴァンティンの紫電一閃すらも受けとめた、頑健なるアームドデバイス、“毒の切先”グアサング。



 「ハンマァァァーーーーーーーーーーー!!!」


 「はああああああああああああああああ!!!」


 激突する鉄鎚と剣。


 二つの武器は火花を散らし、互いに相手を破壊せんと鎬を削り合う。


 だが、拮抗では意味がない。アルザングにとっては防ぎきるだけで勝利となり、多少の傷を負おうとも問題はない。対して、ローセスはここで敵の頭部を粉砕せねば勝利とは成りえない。


 鉄の伯爵が持つ二つ目の姿にして、噴出機構のエネルギーによる大威力突撃攻撃を行うための強襲形態ラケーテンフォルム、そこから放たれる渾身の一撃をすら、“蟲毒の主”は防いで見せた。もはや、盾の騎士の万策は尽きた―――



 『我に―――――砕けぬものはなし!』



 はずもない。盾の騎士ローセスが魂、鉄の伯爵グラーフアイゼンが“自らの意思”によってカートリッジをロードし、必滅の一撃を叩き込むべく“蟲毒の主”へと迫る。



 「何―――だと!?」


 果たして驚愕は黒き剣を構えし魔術師のもの、使い手たる盾の騎士は己の“全ての力”を両腕に込めており、デバイスにカートリッジロードを命じる余裕すら存在していない。にもかかわらず、カートリッジが自動でロードされ、黒き剣を砕かんと迫る鉄鎚の猛威は増していく。


 「盾の騎士ローセスが魂、鉄の伯爵グラーフアイゼンを、舐めるな!!」


 その叫び、その咆哮は普段の彼からは想像もつかない。


 だがしかし、ローセスはヴィータの兄であり、湖の騎士はその精神性は非常に似ていると称した。つまりは、そういうことなのだ。


 「ぶち抜けえええええええええええ!!」
 『Jawohl!(了解)』



 そしてついに、鉄の伯爵の先端が黒き剣に罅を入れ―――



 「馬鹿な! グアサングが――!!」


 烈火の将シグナムの紫電一閃すら防ぎきったその刀身を――――砕いた。



 その瞬間



 「がはっ!!」

 『Mein Herr!(我が主)』


 横合いから飛び込んできた一撃によって、“蟲毒の主”を砕くはずの鉄鎚は、主ごと遠方へと飛ばされていた。



 「ふ、ふふふふ、まさか、ここまで追い込まれるとは、いささか侮ったか。私もサンジュのことを笑えんようだ」


 “蟲毒の主”の隣に佇むは、彼の最後の防衛線、護衛用の人型の蟲であった。


 身体能力こそ高いが、複雑な指令をこなせるだけの知能が備わっていないため、“主に近づくものを攻撃せよ”といった自動防御機構程度の役にしかたたず、遙か未来の召喚師の少女、ルーテシア・アルビーノに仕える召喚虫ガリューに比べれば遙かに劣る存在だが、この際はそれで十分。


 盾の騎士は鉄の伯爵ごと護衛蟲によって吹き飛ばされ、最早動くことも敵わない。当然だ、むしろ、魔力が底を尽き、心臓を貫かれた状態から万全の状態の烈火の将の紫電一閃以上の攻撃を繰り出したことこそが異常なのだ。


 それも失敗に終わった今、彼の死は速やかに訪れる。“蟲毒の主”の剣、グアサングを砕くまで迫ったという功績のみを残して。




 だが――――




 爪牙




 それは鋭き刃であり、命を奪う死の鎌。それが、一陣の風となって突き抜けた。



 「――――がっ」



 その風を感じ、反射的に身体をずらしたのは流石と言えるが、無傷ではあり得ず―――



 “蟲毒の主”アルザングの右腕は、鮮血をまき散らしながら宙を舞っていた。



「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォ!!!」


僅かに“遅れて”、魔を祓うと言われる賢狼の咆哮が響き渡る。それはすなわち、先の奇襲が音速を超えた魔の領域で行われたものであることを示していた。



 「賢狼―――!?」


 驚愕と同時に、アルザングは飛翔し空へと舞い上がる。大地を駆けるならば何よりも速いとされる賢狼と地上でやり合う以上の愚行はなく、そも、彼の刃は盾の騎士によって砕かれており、片腕も飛ばされた状態だ。


 蒼き賢狼ザフィーラは一瞥をくれるとすぐに踵を返し、離れた位置に横たわっていたローセスの下へ急行、彼を背中に乗せ、鉄の伯爵グラーフアイゼンを咥え、風の谷へと疾走する。



 「させぬ」


 しかし、アルザングもまた一流の戦闘者。すぐに冷静さを取り戻し、再び漆黒の弓カルハロスを顕現させ、盾の騎士を背中に乗せているために急激な方向転換が不可能な賢狼目がけて狙いを定める。


 如何に速くとも、ほぼ一定の速度で一直線に進むだけならば、狙撃することは容易い。当然、並の技量では不可能であるが、彼の技術は並というものを遙か後方に置き去っていた。


 とはいえ、片腕を失っている以上は命中率が下がるのも事実。魔力の矢を代わりに用いることで片手のみでの射撃を行うことは造作もなく、その際は弓というよりも射撃管制のデバイスとして働くこととなるカルハロスだが、やはり両手に比べれば放つまでに時間がかかる。



 「させないのは、こちらだ!」



 そして、弓の名手は彼一人ではない。風の谷に陣取り、ザフィーラの前進を阻まんとする異形を撃ち貫きながらも、同時に“蟲毒の主”へ矢を放つは鷹の目の狩人クレス。


 やはり、アルザングにも動揺と焦りはあったのだろう。己の権能“幻惑の鏡面”を再構築しないまま追撃に移ってしまったことがそれを示しており、“蟲毒の主”がついに見せた隙を見逃すような男ならば、クレスが鷹の目と呼ばれることなどあり得ない。


 「ちい!」


 クレスが放った矢を回避し、自分がまだ完全に冷静さを取り戻していないことを認識した“蟲毒の主”は、ザフィーラをこの場で仕留めることを諦め、状況の把握のために思考を働かせるが、そもそも賢狼がこの場にいることそのものがおかしいことに即座に気付く。


 そも、彼が湖の騎士シャマルではなく、盾の騎士ローセスに狙いを定めたのはヴァルクリント城の座す調律の姫君には常に賢狼ザフィーラが守りについており、そちらの防備が万全であったからに他ならない。ということは、城の守りをあえて捨て、賢狼を前線へ送り出したということか。



 「―――まさか、な」



 しかし、事実は空想よりも奇なるもの。アルザングの前で展開された光景は、蒼き賢狼ザフィーラが調律の姫君の守りを捨ててこの場に馳せ参じたわけではないことを如実に物語っていた。











 「ローセス! 生きているか!」


 「姫様!」


 その光景に驚愕したのはアルザングのみではなく、クレスもまた同様であった。


 外から駆けつけた彼は知る由もない、機械仕掛けの白い翼。調律の姫君フィオナと白の国の魔導技師達が作り上げ、武器を積まず、リンカーコアを持たぬ人々でも空を舞うことを可能とした希望の翼を。


 そして、ただ一人でそれを操り、最大の激戦地である風の谷へフィオナ自身が飛んでくるなど、およそ考えられることではない。しかし、夜天の騎士達の主であり、白の国の継承者たる彼女はただ守られ、城の中で無事を祈るだけに甘んじる精神を持ってはいなかった。儚い印象が強い月の如き乙女ではあるが、同時に芯の強い女性でもあるのだ。


 「どうしてここに!」


 「すまんが、説明している暇はない。状況はグラーフアイゼンからの信号によって把握している、今は行動に移す時だ」


 風の谷の状況は芳しいものではない、クレスの援護によってザフィーラがローセスを背負ったまま風の谷の谷間まで帰還したが、そこで手詰まりでもあった。


守りの要であるローセスが墜ちた以上はザフィーラがここを守るより他はないが、彼の能力は専守防衛に向いているものではなく、クレスの援護がなければ少々辛い。クレスもまた既にウルスラグナなどの強力な矢を放つことは出来ないほど消耗しており、かといって、ローセスを抱えて逃げ切れるほどの魔力も残っていない。


 というよりもそれ以前に、狩人であるクレスは空戦を得意としていない。彼の能力は狙撃に特化したものであり、壁役と組むことで最大の力を発揮するが、単独での戦闘能力は決して高くはないのだ。


 だがしかし、瀕死のローセスをこの場に放置して迎撃に専念することも出来ない。ザフィーラには可能かもしれないが、騎士ではないクレスには親友を見捨てて防衛に専念するという修羅の精神が備わっておらず、それを成すには彼とローセスの絆はあまりにも強すぎた。



 「ローセスは私が城まで逃がす、お前とザフィーラはこの谷を死守してくれ、いずれ将が駆けつけてくれる、それまで持ちこたえてくれ!」


 「了解しました! 姫君!」


 そんな内心の動揺と困惑を打ち消すほど力強い声がクレスの心を突き抜け、彼は反射的に返答していた。これも、彼の弓の師である烈火の将シグナムの教導の賜物というべきか。



 「ザフィーラ、頼んだ!」
 

 ≪承知≫


 蒼き賢狼もまた、全てを知った上で彼女を護衛しながら風の谷へと駆けてきた。


 すなわち、フィオナがここに来た理由はローセスを助けるではあったが、それがもう間に合わないことも悟っており――――



 ≪戦場において負傷者は“足枷”にしかならぬ、死にゆく者のためではなく、命を懸けて守る者のために、戦場に足を踏み入れるか≫



 彼女は、ローセスの死が逃れられないことを知った上で、愛する男が仲間の足枷とならないよう、彼を後方へ下げるためにやってきた。それは、どれほど悲しい決断であったかは人ならぬ身では想像するより他はないが―――



 ≪ままならぬものだ。ローセスは命ある限り戦い続ける男、死なない限りは、決してこの場から退くことはあり得まい。ローセスが死に直面した時のみが、愛する男を戦場から遠ざけることが可能となるとは≫


 それが、騎士と主の間に結ばれる愛の絆の宿命ならば―――


 騎士とは、何と重い業を背負った存在であることか。


 だが、ローセスという男はそれを全て覚悟した上で夜天の騎士が一人、風の谷を守護する盾の騎士となったのだ。何度生まれ変わったとしても、この男がその道を違えるとは到底思えぬ。



 ならばもし、ローセスという男と、フィオナという女が、その運命から解き放たれるとするならば―――



 ≪白の国が滅び、フィオナが姫でなくなった時しかあり得まい。例え国が滅ぶとも、ローセスは騎士であり続けるだろう≫


 それはあり得ぬ仮定でしかないが、賢狼は二人が普通の人として共にある光景を見てみたいとも深く思うのだ。


 最も気高き刃が逝ってしまったと風達が嘆いている。賢狼たるものの知覚によって、リュッセが騎士として死んだことをザフィーラは既に悟っていた。そして今、ローセスも騎士として倒れた。


 彼に名を与えた放浪の賢者の予言は、またしても的中してしまったようである。ならば、残りの騎士達の運命も、逃れられぬものなのだろう、黒き魔術の王サルバーンは、それほど恐るべき存在だ。


 騎士として生まれ、騎士として死ぬ。それが彼らの定めであり、それに準じる気高き魂を感じたからこそ、賢狼たる彼はその在り方を見届けようと思った。


 だが、同時に思う、その真価を図るには、彼らが人間として生きた場合と比較する以外に方法はないのではないかと。もっとも、人の命はただ一度きりであり、それこそ不可能な事柄ではあるが―――



 (いやいや、不可能ということはない。君の器が役目を果たし、賢狼たる魂が風に還るその時に、騎士として生き、騎士として死んだ彼らの気高さを、君は本当の意味で知ることが出来るだろう。同時に、騎士がどれほど儚く悲しき存在であるかも)



 彼に名を与え、人と共に在ることを可能とした不思議な老人は、確かにそう言ったことがある。


 それが何を意味するかはまだ分からないが――――



 ≪我に―――――成せることを≫



 賢狼ザフィーラは、盾の騎士ローセスを乗せて空を舞う白い翼を見つめながら、己の成すべきことを悟りつつあった。













ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南部  



 風の谷を抜け、一路北へ進路をとるフィオナは、片手で操作を行いながら、残る腕で愛する男の身体を支えていた。


 「冷たい―――な」


 その身体からは急速に体温が失われつつあることが、嫌でも分かってしまう。


 盾の騎士ローセスの体内には融合騎“ユグドラシル”があり、そう簡単に主を死なせることはない。“蟲毒の主”の毒とはいえ、そう簡単に彼を殺せはしない、このまま無事に城までたどり着ければ、僅かではあるが助かる見込みもあるはず。


 だがそれは、誰よりも治療の技に長け、薬草師としての知識を備えた湖の騎士シャマルが健在であればの話、黒き魔術の王サルバーンの戦略は容赦というものが微塵もなく、傷つき倒れた者達が助かる可能性というものを根底から潰していた。


 シャマルがいない今、“蟲毒の主”の毒を解毒することが出来る者は、白の国に存在しないのだ。



 「馬鹿…………私を、決して一人にしないと、お前は誓ってくれたと言うのに」


 それは、彼が盾の騎士となった時、騎士の宣誓と共に、フィオナという女性を愛する男として誓った言葉。



 (君を、決して一人にはしない)



 だが、その言葉はもう果たされることはない。


 だからこそ、彼女の瞳からは、涙が流れているのだろう。



 「誓い……は………違え……ません」


 「ローセス……」


 意識があるのか、ないのか、それすらも定かではない霞がかかった言葉ではあるが、彼は言葉を返す。


 どこまでも愚直に、不器用に、己の信念を貫き通す。それが、盾の騎士ローセスの騎士道であった。



 「む―――」



 そんな二人の時間に、無粋なる闖入者が現れる。いや、同時に危険なる襲撃者でもある存在が。



 「魔導機械――――数は7機ほど、“蟲毒の主”が呼んだか」



 フィオナの推測通り、それは“蟲毒の主”アルザングが派遣した待ち伏せであり追手であった。


 風の谷から北目がけて飛び去った白い翼の行先はヴァルクリント城しかあり得ぬと推測した彼は、その方面で残っていた魔導機械を集結させ、追撃を命じた。既に7機しか残っていなかった事実は、白の国の若木達の優秀さを示すものでもあった。


 とはいえ、戦う力を持たない白い翼にとっては危険極まりない存在である。風の谷へ向かう時はザフィーラがいてくれたが、今は守る者はおらず、敵にとっては調律の姫君を殺す千載一遇の機会であろう。



 「お前達、ローセスを任せていいだろうか」


 だがそれも予想された障害であり、フィオナがやるべきことは決まっている。故に、迷うことなく実行に移すのみ。


 『オ任セヲ、フシュフシュ』

 『オ任セヲ、フシュフシュ』

 『オ任セヲ、フシュフシュ』

 『オ任セヲ、フシュフシュ』

 『オ任セヲ、フシュフシュ』


 その言葉に応じ、五人、いいや、五個というべきかもしれない機械精霊達が応え、五人がかりでローセスの身体を乗せ、ゆっくりと下降しつつ前進していく。


 彼らはローセスとザフィーらの友であり、白い翼に共に乗り込んでいた。友誼に厚い者たちなのである。


 彼らが離れると同時に、フィオナは進行方向を東へ転じ、魔導機械を己の方へと引きつける。それらの狙いは白い翼であり、瀕死のローセスを狙うとは考えにくい。


 そして、フィオナが進路を取った方角の先にはまだかなりの距離があるが烈火の将シグナムがいるはずであり、ローセスを乗せた機械精霊達が進む方向には―――


 「くっ!」


 そこまで考えたところで攻撃が飛来し、彼女は可能な限りの制動を行い、攻撃を回避していく。そのため、大きく見れば同じ空域を旋回しているような軌道となってしまうが、背に腹は代えられない、


 他のことを考える余裕もないまま、フィオナは決して諦めることもなく、魔導機械の攻撃を躱し続けた。











ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南西部  



 かくして予言は成就し、その時は訪れる。


 フィオナの行動もそのための予定調和であったかどうかは定かではないが、放浪の賢者ラルカスならば、きっと否定したことだろう。


 自分が観た光景のみが定まった未来であるなどあり得ない、未来は千変万化であり、だからこそ未知なる輝きに満ちているのだと、夢見る少年のような口調で彼はいつも語っているのだから。



 『Die gegenwartigen Bedingungen als oben erwahnte.(現状は、以上の通りです)』


 白い翼から離れ、機械精霊達の背に乗っている間、鉄の伯爵グラーフアイゼンは己の主に事の経緯を説明していた。


 ローセスが己の肉体を用いた格闘戦によって風の谷を守護している間、その戦況を可能な限り調律の姫君へと伝えていたこと。賢狼ザフィーラを伴って、かつてローセスも乗った白い翼によって彼女がやってきたこと、現在はザフィーラとクレスの二人が風の谷を守っていること。


 そして、盾の騎士ローセスが、もう助からない命であろうことを。


 鉄の伯爵グラーフアイゼンは、偽ることなく伝えていた。そも、デバイスが主に虚言を弄することはあり得ないのだ。


 【そうか、だが、ザフィーラとクレスではいささかきついな。彼の戦いは大群を食い止めるには向いておらず、あいつももう限界だろう】


 もう喉がまともに動かないため、ローセスは念話による対話を行う。先に逝ったリュッセが行ったように、命を振り搾れば声を出すことも出来るだろうが、それには些か早い。


 【それに、フィオナ姫を………一人には出来ん】


 だからこそ、彼は念話を飛ばす。近くにいるはずであり、彼の後を託せる存在へと。


 【来てくれ………ヴィータ】


 鉄の伯爵グラーフアイゼンの、新たな主となるに相応しい、自分と同じ赤い魔力光を備えた少女を。


 彼は、待っていた。













 「兄貴!」


 果たして、彼女が到着するまで要した時間は1分か、それとも、2分か。


 その正確な時間を計ることに意味はない。重要なことは、彼女が間に合ったということ、それだけである。


 ローセスが待っていた少女、ヴィータが到着した時、彼は血塗れで地に伏していた。機械精霊達にグラーフアイゼンが語りかけ、地に降ろしてくれと頼んだがために。



 「おい……おいっ! バカヤロー、しっかりしろよ!」


 「だい、じょうぶ…とは……流石に……言い……難いな」


 「なんで……なんでだよ………夜天の騎士は無敵なんじゃなかったのかよ!」


 「すまんな……不甲斐……無い………兄で」



 口を開くことは、命を削るに等しい、空気が肺を通るだけで血管をズタズタに引き裂いていく。


 それでも、盾の騎士ローセスは念話を用いることはなく、己の言葉で妹へと語りかけた。自分が妹に言葉を伝えられる機会は、これで最後であると誰よりも悟っていた。



 「不甲斐無いなんて、そんなことあるかよ! あたしにとって兄貴は憧れなんだぞ!」


 倒れ伏す兄を抱え、何とか上体を起こそうとしながら、彼女は必死に語りかける。そうしなければ、兄の命が即座に尽きてしまうという強迫観念に似た想いを必死で拒みながら。



 「そうか…………ヴィータ、よく……聞け」


 「………はい」


 だが、彼女もまた夜天の騎士を目指す若木であり、理解する、理解出来てしまう。


 自分の兄が今、人生で最大の決断を迫られていることを、そして、盾の騎士ローセスに恐れというものがあるのなら、ただそれだけであったということを。


 だからこそ彼は、自身の破滅に繋がる危険を知りながら、放浪の賢者に願ったのだ。己の未来を観てくれと。



 「…………アイゼンを、お前に……譲る時が………きた」


 「………」



 その意味など、問うまでもなかった、察するまでもなかった。


 夜天の騎士が一角、盾の騎士が墜ちる。ならば、その後を継いで誰かが黒き魔術の王が率いるヘルヘイムの軍勢と戦わなければならない。


 その後継者に、自分が選ばれたのだと。


 そして、隊長であるリュッセではなく、副隊長である自分であるという意味を。


 破邪の剣アスカロンが、鉄の伯爵グラーフアイゼンへと伝えた、悲しき事実を。


 彼女は、悟ってしまった。



 (お前が騎士となるその時は、そう遠いことではない。だが、お前がこの道を進み続けるならば、烈火の将を超える誉れと共に、最も大切なものを失うかもしれん)



 そして、今こそ、自分が騎士となるその時。


 彼女が望み、覚悟を定め、そして、心のどこかで来てほしくないと恐れていた時は、今ここに。



 「怖い……か?」


 その内心を見透かしたように、優しい声で兄が問う。


 「うん………怖いよ…………あたしだって、女の子なんだぞ」


 「そうだな………俺は……お前を………騎士には……させたくなかった」



 それは、偽らざる彼の本音。


 騎士という存在がどのようなものであるかを知る者ならば、己の妹や娘を騎士にしたいとは思うまい。いや、弟や息子であっても同様だろう。


 騎士道とは、茨の道であり修羅の道、9歳の少女が歩むには、あまりに辛く重い道だ。


 しかし、彼女が騎士になろうとすることを誇らしく思う気持ちもある。その矛盾を内包し、許容してこその騎士であり、それは死を覚悟して戦うよりも、あるいは辛い心の葛藤。



 「でも、あたし以外の誰が――――――アイゼンを受け継ぐってんだよ」



 そうして、彼女は兄の手より、盾の騎士の魂、鉄の伯爵グラーフアイゼンを受け取る。


 その瞬間、彼女の歩む道が定まった。もう二度と戻ることの出来ない、修羅の煉獄を突き進む道を。


 彼女は選び、その一歩を踏み出したのだから。



 「アイゼン……ありがとう………そして、妹を頼むぞ……」


 『Jawohl. Mein Herr.(了解、我が主)』



 その命令を、彼は決して忘れない。


 遙かに永き旅において、その身が幾度砕けようとも。


人の欲望、怨嗟の声、積み重なる深き闇が、夜天の空を覆うとも。


 鉄の伯爵グラーフアイゼンは、主人に託された命題を、ただの一度も忘れることなく、ただの一度も違えることはなかった。



 「ヴィータ……お前の……名を」


 そして、烈火の将が少年に贈ったように、盾の騎士もまた―――


 「鉄鎚の騎士………誉れ高き、夜天の騎士の………一番槍だ」


 妹であり、弟子でもある彼女へと、贈ったのだった。






 「………鉄の伯爵、グラーフアイゼン―――――今からは、このあたし、鉄鎚の騎士ヴィータが、お前の主人だ」


 『Jawohl. Mein Herr.(了解、我が主)』



 そして、少女は騎士として最初の言葉を、己の魂となった彼へと向けて放ち。



 「フィオナ姫を………頼む」


 最期まで、兄としての言葉よりも、騎士としての言葉を贈った彼の言葉に従い、赤き流星となって飛び去った。







 そうして、その場には血塗れの青年だけが残る。


 魔力も尽き、己の魂も託し、命そのものすら消えかけている霞のように微かな存在。


 だが、彼の命はまだ尽きていない。融合騎“ユグドラシル”は最後の瞬間まで働き続け、盾の騎士を死なせはしない。


 そう、例え何も出来ずとも、命ある限りは。


 決して、無価値ではないのだ。














ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南東部  上空




 白の国の上空にて行われていた、人々夢を託された白い翼と、破壊の意志を託された死の翼の演舞は唐突なる終わりを迎えた。


 意思を持たぬ魔導機械には何の感慨もなかったであろうが、白い翼を操る女性には、それが何を意味しているかは即座に理解できた。


 彼女を追跡していた7機の魔導機械、その戦闘の1機を撃ち貫いたのは凄まじい速度で飛来した鉄球であり――――



 「グラーフアイゼン!」

 『Schwalbefliegen.(シュヴァルベフリーゲン)』



 空に響き渡るその声の持ち主を、調律の姫君はよく知っていたから。


 そして、その少女が鉄の伯爵グラーフアイゼンを持って戦っている意味を、兄をヴァルクリント城へ連れていくことではなく、自分を助けることを優先した意味を。


 放浪の賢者ラルカスの予言を、彼女は実感と共に理解していた。



 「ヴィータ――――」


 その少女に、何と言葉をかけるべきか。


 なぐさめ? いいや、違う


 怒り? そんな身勝手があってたまるものか


 いたわり? そうしてやりたいが、この場で必要なものはそれではない


 ここはまだ戦場であり、彼女は既に夜天の騎士、そして自分は夜天の主なのだから。


 答えなど、初めから一つしかないのだ。



 「風の谷へ、救援に向かってくれ。将も向かってくれるだろうが、彼女は空の守りを優先せねばならない、敵の空戦力が消滅したと確認できるまでは厳しいだろう」


 「分かりました。姫様」


 「クレスは、多分限界が近い。彼を退かせ、ザフィーラと共に将が来るまで持ちこたえてくれ」


 「はい、前線のことはあたしらに任せ、姫様は城へ」


 「ああ…………そうしよう」



 ヴァルクリント城周辺に敵はいない、仮にいたとしてもシグナムが既に片付けているだろう。


 ならば、城へ戻るフィオナをヴィータが護衛する必要はない。彼女には、行くべき場所が他にある。


 リュッセが逝き、ローセスが果てた今、彼女が戦わなければならないのだから。



 「ヴィータ、お前は、お前だけは………どうか、死なないでくれ」


 それは、いつか妹になるはずであった少女への、心からの想いであり。


 「あたしは、死なねえよ……………絶対に」


 誓うように言葉を残し、騎士となった少女は戦場へと飛び立った。













ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南部  風の谷




 「く、そおおおおお!!」


 狂乱の嵐


 今のクレスの精神状態を表すならば、それが最も相応しいと思えるほど、彼の心は荒れ狂っていた。


 許せない、許せない、許せない、許せない、許せない!


 白の国を墜とさんと迫りくる異形の群れが、それを率いる“蟲毒の主”が、全ての元凶たる黒き魔術の王が。


 そして、何よりも、目の前で親友を死なせた自分自身が!



 「がああああああああああああ!!!」


 心は狂乱の檻に囚われながらも、しかし手は冷静に、放たれる矢のコントロールは乱れることなく異形の頭部を撃ち抜いていく。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」


 だがしかし、“蟲毒の主”の召喚虫、インゼクトが込められた異形達は頭を失ってなお前進を続ける。狙撃手にとっては最悪の相性であり、片腕を失ってなお蟲を操る性能に衰えが見られないアルザングの戦闘者としての能力も並ではなかった。


 「ならば――!」


 冷静ではいられない脳を必死に抑え込み、クレスは戦法を切り返る。すなわち、頭部や心臓を狙うのではなく、足を砕いて進むことそのものを不可能とする戦法へと。


 しかし、それすらも然程効果のあるものではない。動く機能を失った異形は後続の異形に引き裂かれ、新たな蟲の苗床となる。異形の絶対数も減っていないわけではないが、未だに5000を超える大群であることには変わりなく、底というものがなおも見えない。



 「お……のれ!」



 そして最大の問題は彼自身の肉体と魔力。度重なる大威力射撃と休む間もない連続精密射撃は彼のリンカーコアを消耗させ続け、フルドライブ状態も同然の酷使が続いている。彼の魔力量は豊富というわけではなく、このままでは自壊の危険すらあり得る。



 ≪まずいな≫


 問題はクレスばかりではない。前線で敵を食い止めるザフィーラもまた自分達の不利を痛感していた。


 彼の戦闘スタイルは他を寄せ付けぬ圧倒的な速度と爪牙によって敵を引き裂くというものであり、ローセスのような境界防御を得意としていない。特に、このような専守防衛の局面においては鋼の軛のような範囲攻撃がどうしても必要不可欠となる。


 だが、彼はいくら速くともその攻撃は一撃一殺が限界、強敵を屠ることは出来るが、雑魚の大群をまとめて相手に出来るものではない。シグナムならば連結刃による空間攻撃が可能であり、シャマルならば竜巻によって吹き飛ばすということも出来るのだが。



 【クレスさん! ザフィーラ! どいてくれ!】


 そこに、念話が響き渡る。


 その声は戦場に似つかわしくない幼い少女のものであったが、備える精神と覚悟は既に騎士のそれ。僅かに前までは騎士見習いであった少女であるが、今はもう騎士なのだ。


 念話に応じて咄嗟に離脱しつつ、後ろを振り返った二人が見たものは、盾の騎士ローセスが魂である鉄の伯爵グラーフアイゼンのフルドライブ形態、ギガントフォルム。


 しかし、その大きさはローセスのそれをさらに超え、城壁であろうと一撃の下に砕き潰すと言わんばかりの威容を見せていた。



 「ギガントシュラーク!」

 『Explosion!(エクスプロズィオーン!)』



 大地を鳴動させ、爆砕の一撃が異形の軍勢へと叩き込まれる。風の谷に殺到し、密集していたことが仇となり、ただの一撃で500近い改造種(イブリッド)と大量の蟲共が弾け飛ぶ。



 「鉄鎚の騎士ヴィータと、鉄の伯爵グラーフアイゼン! ここから先は、一歩たりとも進ませねえ!!」



 自らが叩き潰した死骸の地平の上に降り立ち、騎士となった少女は堂々と宣言する。命なき屍は厚みというものに欠けており、死骸の山という表現は似つかわしくなく、やはり地平という言葉が適当だろう。


 「ヴィータ……」


 その姿を、クレスは悲しさと共に見つめていた。肝心な時に援護が出来ず、ローセスを目の前で死なせてしまったことへの自責の念による狂乱を吹き飛ばす程の光景が、そこにはあった。


 砕き潰した異形の屍の上に堂々と立ち、揺らぐことなく敵を見据え、鉄の伯爵を構える紅の鉄騎。


それは宗教画の一つであるかのような雄々しくも神秘的ですらありながら、同時に悲しき姿であった。


そこに、憐み、哀愁といった感情は浮かばない。それは覚悟を持って戦場に立つことを選んだ少女に対する侮辱というものだろう。


 だからこそ、ただただ悲しい。少女がその道を選んだことを尊く想いながらも、クレスは悲しい想いを抱くことを禁じえなかった。



 「鉄鎚の騎士―――」


 そして、驚愕は攻めよせる異形を率いる“蟲毒の主”も同様、いや、それ以上であったかもしれない。


 若木の副隊長である彼女が到着することは可能性が高いと見ていたが、彼女も賢狼と同じく範囲攻撃を持ち合わせておらず、近接での一撃以外に脅威となるものはない。それ故に、星光の殲滅者シュテルに彼女は遅れをとった。


 ならば、異形の軍勢と蟲共の前には意味を成すまい、接近戦に特化したベルカの騎士の戦い方では、黒い森を防ぎきることなど不可能なのだ。



 「フランメシュラーク!」


 だが、目の前で展開される光景はその予想を裏切っており。


 「シュワルベフリーゲン!」


 炎を発生させる衝撃波、遠隔攻撃を可能とする鉄球の複数同時制御、さらには鉄鎚を巨大化させての渾身の一撃。


 今のヴィータは、攻撃力ならば白光の騎士リュッセを上回り、盾の騎士ローセスと互角、いや、僅かながら凌いでいるかもしれない。それほどの脅威が風の谷に降臨していた。



 「しかし、所詮は子供、あのペースでは魔力が持つまい」


 だがしかし、司令官アルザングの戦術眼はどこまでも冷静であった。鉄鎚の騎士の戦闘は盾の騎士と異なり持久戦に特化したものではない。突撃役としては誰よりも優秀であろうが、これは防衛戦、暴れるだけではすぐに力尽き、異形の群れに飲まれるのみ。


 とはいえ、“蟲毒の主”とて消耗がないわけではない。特に賢狼ザフィーラに奪われた片腕は無視できるものではなく、徐々に蟲の召喚と制御が困難になりつつあるのも確かであった。


 「鉄鎚の騎士を仕留めた時が、引き際か」


 そう遠くない先、烈火の将がやってくる。今の状態で彼女と相対して逃げ切れる自信は、流石の彼にもありはしなかった。








 ≪クレス、ヴィータを援護し、しばらくここを防いでくれ≫


 【一体何を―――】


 だがしかし、“蟲毒の主”の計算外は、賢狼の取ったあり得ぬ行動であった。


 ≪すぐに戻る、任せた≫


 【――――――了解しました】


 疑問はあったが、追及することなくクレスは彼の言葉に是をもって応えた。


 賢狼ザフィーラは無駄なことなどしない。ひょっとすれば、純粋な移動速度で最速である彼が、烈火の将シグナムを背に乗せて連れてくるつもりなのかもしれないとは思ったが、違うようにも思われる。


 ただ、任されたからには死力を持って守るのみ。放てる矢はせいぜいあと10本ほどであろうが、攻撃力こそ高いが連携に隙があるヴィータの背中を守るくらいはしてみせる。



 「ローセス、お前の背中を守るはずだった矢だ、決して外しはしない」


 鷹の目の狩人は、後悔の念、自責の念を押しこめ、冷徹なる狙撃手へと舞い戻る。今は冷静さこそが最大の友であり、荒れ狂う心は邪魔者以外の何ものでもない。


 鉄鎚の騎士ヴィータと、鷹の目の狩人の、最後の防衛戦が始まった。















ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南西部



 古き技を伝えし知識の塔、朱の色に染まりし時

 彼の地に吹く風の中、異形の落とし子の嘆きが響き渡る

 雲と闇が交錯し、雪を覆いし守護の星は瞬き墜ちれど

 墜ちたる欠片は蒼き盾、昇る紅の明星に託される



 死の闇へと落ちていくその淵にて、盾の騎士ローセスは放浪の賢者の予言を思い起こしていた。


 自分の魂、鉄の伯爵グラーフアイゼンは紅の明星へと託した。そうして守護の星は瞬き墜ち、彼の生命は尽きるはず。


 しかし、未だ成就されぬ文がある。


 堕ちたる欠片は蒼き盾


 欠片とは、果たして一体何を――――



 「聞こえるか、ローセス」


 「………」


 声が、確かに聞こえた。


 念話ではなく、それに近い賢狼の不可思議な能力ではなく、彼の声が。


 風のような自然な流れに乗って、心と耳の両方に響いた。



 【聞こえる】


 風に乗せるための言葉を全てヴィータに託してしまったがために、ローセスは念話でもって答える。ただそれだけが、今の彼に成せる全てであった。


 「お前の妹、鉄槌の騎士ヴィータはクレスと共に戦っている。しかし、敵の数が多い、あのままでは力尽きよう」


 【………】


 彼がそう言う以上、それは事実なのだろう。


 しかし、それならば彼がここにいるのはおかしい。


 賢狼ザフィーラは、誓約を違えない。



 ≪お前が共にあれない時は、我が見守ろう≫



 かつて、蒼き賢狼は盾の騎士にそう誓った。


 彼が放浪の賢者の供として長い旅に出ている間、まだ副隊長ですらない一人の若木であったヴィータの傍にいてくれたのは、彼だった。


 確かに、有事の際には姫君の護衛を受け持つという役割は定められていたが、それも不変のものではない。現に、ローセスを乗せて白い翼で空を駆ける彼女を護衛せず、彼は風の谷の守りを任されていた。


 そして、鉄鎚の騎士ヴィータが風の谷で戦っているならば、賢狼もまたその傍らで戦い続けているはずだというのに。


 なぜ、彼はここにいる?


 死にゆく自分を看取ったところで、事態は何も好転しないというのに―――



 「我の力では、皆を守り切れん」


 【………】


 返される言葉は、静かに、重く響いた。


 どんなに速く鋭い爪牙があろうとも、守り切ることの助けにはならない。


必要なのは爪ではなく、盾。


 いかなる脅威からも夜天の騎士達を守り切る、不滅の盾こそが必要なのだ。



 だが、その役を担っていた盾の騎士はもういない。守護の星は、瞬き墜ちたのだから。



 故に―――




 「守護獣の契約を、我に」


 【―――!?】



 その言葉は、死の淵にあるローセスにすら、驚愕の軛を打ち込んだ。


 誇り高き孤高の賢狼が、人間の守護獣となる。人間に力を貸すことすら稀というか、放浪の賢者がいなければなかったであろうに、ましてや―――



 【待て―――守護獣は、主と命を共有する。俺が死ねばお前は―――】


 それは定め、主が死ぬ時、守護獣も共に滅ぶ。


 そして、それでは意味がない。ザフィーラが守護獣となったとしても、風の谷に着く頃にはローセスの命が尽きている。


 だが―――



 「放浪の賢者ラルカスが、我に託した。通常の契約の、逆なる法を」


 死にかけている獣に、己の魔力を分け与えることによって使い魔となし、命を救うことが出来る。遙かに未来において、フェイト・テスタロッサという少女はそうして、群れからはぐれ、死に瀕していた子狼を救った。


 その逆の術式、死にかけている人間を、獣が魔力を分け与え、さらに己を彼の守護獣となす。その場合は―――



 【待て、それでは、お前の人格は―――】


 「消えることとなろう。獣の姿の時は多少残るかもしれんが、我そのものは残るまい」


 魔力を与える側が、守護獣となる。それはすなわち自身の器だけを残し、命を入れ替えることに等しい。


 盾の騎士ローセスの死にゆく命を、ザフィーラの命によって補完し、魂の器となる肉体を融合させる。複雑な術式どころではないそれを、彼の力のみで成そうとするならば、その過程で彼の魂は―――



 「だが、お前は大丈夫だ。調律の姫君に作られし欠片が、お前のリンカーコアと魂を磨滅から防いでくれる」


 【欠片………】


 融合騎“ユグドラシル”はローセスのリンカーコアと切り離せないレベルで融合している。それ故に、多少無理な力を加えたところで、彼のリンカーコアが壊れることはない。


 しかし、ザフィーラのリンカーコアは助かるまい。賢狼のリンカーコアを消費することで紡がれる守護獣の契約、その後に残るは、ローセスのリンカーコアと、“ユグドラシル”によって動く、主であり、同時に守護獣でもある存在。



 【だが―――】


 「構わん、我の命がなくなろうとも、意志は消えん。我々の命は人間のそれとは違う、我の器が消滅し、風に還る時、我は元の存在に戻るだけだ、そこにいる彼らと同じように」



 『マタ会イマショウ、フシュフシュ』

 『マタ会イマショウ、フシュフシュ』

 『マタ会イマショウ、フシュフシュ』

 『マタ会イマショウ、フシュフシュ』

 『マタ会イマショウ、フシュフシュ』



 自分の死の概念は人間のそれとは異なる、故に、お前が気に病むことはないと賢狼は語る。


 沈黙の時間は一分か、はたまた二分か。


 そして、ローセスもまた彼の意志を悟り、止めることに意味はなく、そのような時間は無駄でしかないことを理解した。



 【俺の、騎士としての魂は――――ヴィータに託した】


 「ああ」


 【だが、白の国を、仲間を、そして、フィオナ姫を守ろうとする、ローセスという男の意志はまだここにある】


 「ああ」


 身体は傷つき、血液は大量に流れ出て、もはや動く場所はどこもない。


 残る命も極僅かであり、今にも消え去る?燭の火でしかない。


 だが、意志はまだ残っている。命ある限り、決してそれは無価値ではないのだ。



 【ならば俺は、皆を守る守護獣となろう。騎士としての誇りではなく、ただ皆を守る意志を貫き通す不滅の盾に、悲しき覚悟と共に戦場に臨む彼女らを支える、守護の獣へと】



 そして、ローセスは己の意志を込めて宣言する。ザフィーラに促されたためではなく、これは確かに己の意志で選択した道であると。



 【お前の魂を――――俺にくれ、ザフィーラ。決して、無駄にはしない】


 「承知した、我が主にして我が分身、盾の騎士ローセスよ」



 それは、決して違えること無き“誓言”


 賢狼の生涯において、三度しか成されぬという神聖なる誓い。


 一度目は、彼がこの世界に生まれ出で、己の在り方を自らの意志で定めた時に。


 二度目は、放浪の賢者が彼に名を与え、ザフィーラという個を得た時に。


 そして、三度目は、己の魂を引き換えに守護獣となり、主となった青年に全てを託す時に。



 「もはや、言葉は不要。我は汝であり、汝は我なり」



 古代ベルカのドルイドの業を示す方陣が賢狼を中心に展開され、盾の騎士の身体は、三角形の陣が包み込む。



 【俺達の命が尽きる時に、また会おう、誇り高き賢狼よ】


 「ああ、その時を楽しみにしていよう、誇り高き盾の騎士よ」



 光が―――二人を包み込み



 『サヨウナラ、ローセス』


 一人の機械精霊が、静かにそう呟いた。
















ベルカ暦485年  ギラルドゥスの月  白の国  南部  風の谷




 「はあっ、はあっ」


 終わること無き決戦場。


 最早そのように称するより他はないほど、数多くの血を吸いこんだ谷間は、しかしなおも血を求め続けている。


 「大丈夫か、アイゼン…」

 『Ja.』


 奮戦を続けた鉄鎚の騎士ヴィータであるが、傷だけで論ずるならば、むしろ鉄の伯爵グラーフアイゼンの方が深刻であった。


 長い年月を共に戦ったローセスと異なり、ヴィータはまだグラーフアイゼンの扱いに長けているとは言い難い。ラケーテンフォルムやギガントフォルム、誘導弾の管制制御などはローセスを上回る適正を持つが、適切な量の魔力を注ぎ込むことが出来ていなかった。


 つまりは、適量が定められた水道の蛇口に限界以上の水を流そうとするようなものであり、さらにそれを、水道自身の意思によって防ぎ止めていたのだ。


 この戦いは持久力が求められる防衛戦。敵の数は未だ膨大であり、僅かな魔力の無駄も許されない。


 ならば、魔力を注ぎ込み過ぎたことで、余分な魔力が外へ漏れだすことなどあってはならない。鉄の伯爵グラーフアイゼンは、己のフレームが軋むのを覚悟の上で、ヴィータの魔力を適切な値へと抑え込みながら戦い続けているのであった。



 (アイゼン……ありがとう………そして、妹を頼むぞ……)



 彼は、託されたのだ。彼女のことを頼むと。


 その命題を果たすためならば、自身が傷つくことなど顧みるに値しない。この身は鉄鎚、相手を砕くためならば、己が砕けることも覚悟せよ、それは必然の理。



 「らああああああああああ!!!」


 そして、鉄の伯爵グラーフアイゼンを携えし鉄鎚の騎士にもまた、恐れはない。既に魔力は底を尽きかけているが、それでも彼女は怯まず迫りくる敵を迎え撃つ。



「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
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「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」



 だがしかし、異形の軍勢にはなおも底が見えない。残り数千ほどにまで減少しているのは間違いないはずだが、僅か数騎の騎士が相手にするにはやはり数が多すぎる。



 「これまでだな」


 異形を率いる“蟲毒の主”は正確に鉄鎚の騎士の余力を見抜いていた。間違いなくこれが最後の突撃、この足が止まれば、もう後はない、黒き森に飲まれ散りゆくのみ。


 そして、己の手で止めを刺そうなどという意思は既に彼にはなかった。それを逆手に取られ、片腕を失ったばかりであり、賢狼の姿が見えないことも気がかりである。


 彼は、“幻惑の鏡面”を発動させたまま静観に徹しており、既に蟲共も召喚も止めていた。鉄鎚の騎士は満身創痍であり、鷹の目の狩人からの援護ももはや意味を成していない。


 この局面における彼の勝利は定まった。白の国を滅ぼすには至らなかったが、盾の騎士と討ち取り、後釜と思われる鉄鎚の騎士も仕留められるならば、前哨戦としては十分な戦果といえる。



 だが、そんな彼の計算は脆くも崩される。



 「縛れ―――――――鋼の軛!」



 既に堕ちたる守護の星、その欠片が蒼き盾となり、異形の軍勢を堰き止めていた。








 「―――――馬鹿な」


 信じがたい光景、信じたくないにも程がある光景。


 これまで彼が盾の騎士を討ち取るために敷いてきた万全の布陣、それを根底から覆し、彼の策を否定する光景がそこには展開されていた。


 だが――――同時に違和感もある。


かつては赤い血の杭の如き威容を誇っていた鋼の軛は、今や藍白色。しかし、以前に増して力強く、“ここは通さぬ”という意思が遠目にも感じ取れる程に。


 そして、最大の相違点は―――



 「守護獣――――だと」



 それを発生させた敵手は、盾の騎士ローセスとは似て非なる存在であった。


 燃えるような赤色であった髪は白く染まり、真紅の魔力光も同様に藍白色へと。


 体躯こそ大きな変化は見られないが、その額には守護獣の証たる水晶が存在している。


 そして何よりも、人間ではありえぬ獣の耳と、狼の尾。




 「盾の守護獣――――ザフィーラ!! 我が誇りにかけて、ここは通さん!!!」




 解き放たれる咆哮は、人間のそれでありながらも、狼の遠吠えの如く。


 その名乗りを聞いた瞬間、この決戦場にいる知恵ある者達の全てが理解した。



 盾の守護獣



 その言葉が持つ意味を。彼の名がザフィーラである理由を。堕ちたる守護星の鋼の軛が、ここに再臨した道理を。


 己の前に守るように立つ、兄のように広い背中を呆然と見上げる少女も。


 最後の爆炎の矢、ウルスラグナをつがえ、己のリンカーコアを犠牲にしてでも鉄鎚の騎士へ迫る敵を薙ぎ払おうとしていた盾の騎士の親友も。


 己の布陣が、無意味なものへと堕したことを悟り、自嘲めいた笑みを浮かべる“蟲毒の主”も。



 全員が、悟っていたのである。




 「ヴィータ、ここは私に任せて退け」


 「…………あ、ああ」


 半ば放心したまま、力強い腕に背中を押され、彼女は後方へと飛び立つ。


 それは行く先も定まらないような飛行であったが、鉄の伯爵グラーフアイゼンが彼女の傍にはある。クレスが守る谷の中まで、彼女は無事辿り着けることだろう。



 「牙獣――――走破!」



 そして、盾の守護獣ザフィーラが、ただ一人の進軍を開始する。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
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「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」


 押し寄せる異形も、彼の前では意味をなさない。例え彼の傍らをすり抜け、谷へ迫ろうとも、何よりも強固なる鋼の軛がそれを阻む。


 賢狼の強靭なる肉体に、盾の騎士の意志“ユグドラシル”が宿った盾の守護獣は、決して誰にも破れない。



 「―――――撤退せよ」



 それを悟ったが故に、司令官たる“蟲毒の主”は指令を下す。


 既に残り3000程にまで減った異形如きでは、盾の守護獣を突破することは敵わない。蟲の援護も既になく、時をかければ烈火の将も到着しよう。


 そして、己の毒も盾の守護獣には通じない。“蟲毒の主”の毒によって死にかけていた盾の騎士の“ユグドラシル”が宿っている以上、間違いなくあの身体は耐性を備えている、一つの毒によって同じ存在を二度殺すことは絶対的に不可能だ。


 これより先は、無意味に駒を消耗するだけ、ならばこそここは退くべき。



 「――――退いたか」


 そして、同じく歴戦の強者である彼も、戦が終わったことを瞬時に悟った。それまで怒涛の如く押し寄せていた異形の群れから、“殺意”や“戦意”が薄れたことを明確に感じ取ったために。


 この異形共は死ぬまで暴走するしかなかった“ハン族”の者達とは違い、司令官の指示によって、撤退させることも可能となっている。


 新たに得た情報を整理しながら、盾の守護獣は油断なく周囲を見据え、数多くの血を吸った風の谷の中心に立ち、敵が完全に退くまで身構えていた。












 かくして、白の国の戦いは、ひとまずの終わりを迎える。


 夜天の騎士達とヘルヘイムの黒の陣営、両者の相克によって多量の血が流れ、散った騎士達もおれど、終幕にはまだ早い。


 黒き魔術の王の進軍は終わったわけではなく、いずれ再び押し寄せる。


 その先頭に立つは、黒き魔術の王その人か、代行者たる蟲毒の主か、それとも、未だ目覚めぬ“闇統べる王”か。


 それはまだ、分からないが。


 一つの戦いが、ここに終わりを告げていた。






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