Die Geschichte von Seelen der Wolken


夜天の物語



第2章  中編  最果ての地の叡智




ベルカ暦485年  クヴァルイースの月  白の国  ヴァルクリント城  夕月の間



 帰還した騎士達と“若木”達が訓練を終えた後。


 ヴァルクリント城の夕月の間に、ある意味で白の国の最高指導者とも呼べる面子が集い、円卓を囲んで座っていた。


 通常の国家であれば、王の下には宰相やそれぞれの国政を司る者ら(多くは貴族階級)がおり、彼らが座る円卓も、この白の国ではいささか異なる。


 無論、国政と呼べるかどうかは別として、人々が暮らす場所であり、諸外国とも対等な立場にいる国家である以上、運営を司る者らはいる。


 しかし、“学び舎の国”においてはそれらの意義はさほど大きいものではない。極論、誰もいなかったとしても、諸国の有識者が人材を派遣して何とかするだろう、という認識が白の国に住む者達にすら存在している。


 学院として在るからこそ意味がある白の国にとって、内政も外交もそれほど大きな問題ではなく、技術の継承と研鑽こそが最重要の事柄である。普通の学院あれば、収支を釣り合わせる必要もあるが、国際博物館的な要素すら持つ白の国では、あまり考える必要のない事柄でしかなかった。


 そのため、白の国における“替えが効かない要人”とは――――



 白の国の実質的な国主であり、デバイス技術の第一人者である“調律の姫君”フィオナ


 歴戦の勇者にして、その武名は遠国まで響き渡り、若木達に武術を継承する“烈火の将”シグナム


 薬草の知識や、魔術品を作る技術を修め、各国からの調律師や“若木”に伝えていく“湖の騎士”シャマル


 味方を守り通すための武術を極め、将を支え、姫君を守る不落の防壁、“盾の騎士”ローセス


 百年を超える時を白の国と共に在り、その技術を教え広め続ける“放浪の賢者”ラルカス



 この五人となるのであった。


 当代の王は病に伏せっており、一日の大半を眠っている状態。もしこの五人にもしものことがあれば、白の国は大きく揺らぐこととなる。


 教えるものなき学び舎ほど、意味のないものはないのだから。




 「まずは、改めて言わせてほしい、皆、御苦労だった」


 この場では立場上最も上位者となるフィオナが、まず労いの声をかける。


 「ラルカス師は最早語るまでもないが、将とローセスは半年にも及ぶ旅を続け、シャマルもその間一人で白の国を支え続けてくれた。本当に、感謝の言葉もない」


 「いいえ、姫君。我ら白の国に仕える騎士として、当然のことを成しただけです」


 「はい、わたしも騎士シグナムも、労苦と思ったことはありません」


 「私も、同じ想いですよ姫様。確かに大変ではありましたけど、これも騎士の務めです」


 「ふむふむ、まったくもってその通り。特に儂などはいつもの通りに諸国を渡り歩いたに過ぎんからね、改めて礼を言われるに値することではないだろうよ。だが、それとは別に礼を言うのはよいことだ、礼を言われて悪い気分になる人間とは、実際に働いていない、もしくは働けなかった者くらいであるから」



 フィオナの言葉に対して、それぞれがそれぞれの性格を表した言葉を返す。特に、賢者の言葉は長かった。



 「そうか、ありがとう。……………それでは、まずは将に聞きたいのだが、異国の騎士達の武勇はいか程だった?」


 「そうですね、今回の旅では訪れていない国も多くありますから一概には言いきれませんが、やはりヴェノンやアルノーラ、ミラルゴの騎士は大国だけあって精強でした。その他にも、ミドルトンやロドーリルなど、保有する数は大国に及ばないまでも、精強な騎士団を抱える国は多くあります」


 「では、古代ベルカの戦技の継承という点では、特に問題は見受けられない、ということか」


 「はい、少なくともかつて伝わっていた技術が廃れたという話はありませんでした。こと戦技という観点においては、ベルカの地に陰りは見うけられません」


 「そうか、それは何よりだ………」


 やや安堵の表情を見せるフィオナだが、騎士たる者、主君にとって嬉しい知らせばかりを届けるわけにもいかない。


 「ですが、技術はともかくとして、戦う者達、またはその上位に立つ貴族階級の精神にはやや陰りが見受けられます」


 「精神………か、具体的にはどのような?」


 「そちらの説明は、私よりもローセスが適任でしょう。私は近衛隊長という役柄故に、諸国家の上位者と面談することが多かったですが、ローセスはその間、一般の騎士達と親睦を深め、彼らの話を聞いて回っておりましたから。このような事柄は、下から上を見上げた時ほど実感しやすいものです」


 「はい」



 シグナムの言葉を、ローセスは気負うことなく肯定する。彼もまた、己の役割を理解しており、自分はそれを勤め上げたという自負を持っている。



 「ローセス、お前が感じた、陰りとは?」


 「一言で述べるならば、誇りの欠落、となりましょうか。民の守るためにある騎士達の中にも、自身の栄華のために力を振るう者が見受けられ、また、貴族の言いなりとなっている騎士も多く見受けられたのです」



 人の世界である以上、それは決してなくならないものである。


 しかし、古代ベルカ時代には“戦士”と呼ばれていた存在が“騎士”となり、貴族階級とは似ているようで異なる機構を持つに至ったのは、権力とは別のものに意義を見出し、戦う力を振るうことを目指したからこそ。


 騎士が権力の言いなりとなり、自身の栄華のために戦うならば、それはただの暴力装置と変わらず、“騎士”である意味が失われるのだ。


 後代はともかく、この時代のベルカの騎士達は、古代ベルカの気骨を受け継ぎつつも、尊くある在り方を己に課しているのだから。



 「また、騎士に限らず、一般の兵士達にも精神的な堕落が多く見受けられました」


 「それはつまり、正規軍というよりも、むしろ盗賊に近い者が増えている、ということだろうか」


 「はい、魔法の力を持たない者らには、わたしたち騎士のように戦うことだけを生業とすることは稀少です。戦時においては兵士として出陣する者も、戦が終われば故郷に戻り、農夫など、それぞれの暮らしに戻るのが常ですが」


 「だが、元の生活に戻らず、かといって国軍に仕え続けるわけでもなく、戦地に武装したまま留まり、夜盗と化す者が増えてきている………のか」


 「その通りです、悲しむべきことですが」



 フィオナの推察をローセスが肯定し、若干の沈黙が訪れる。



 「確かに、悲しいことではあるけど、別にそれは珍しいということでもないわよね」


 そこに、これまで発言しなかったシャマルから意見が出る。


 「ああ、それは間違いない。他の懸案事項があったため注意して見ていたからこそ、我々も気付けたに過ぎん。もし、大国同士がぶつかり合う大戦でも起きれば、現状を遙かに上回る精神の堕落が起きるだろう。戦というものは、兵士や貴族、そして民の心をも荒ませる」


 それは、実際に戦火の中を駆け巡った経験があるシグナムだからこその言葉であった。


 しかし、それを逆に見るならば――――



 「それはつまり、各国の兵士達の心が荒んできている、ということは、大きな戦が近いことを示している可能性がある。という理屈が成り立ってしまうということね」


 「その通りだ。大きな目で見れば別に取り沙汰する歪みではなく、治があれば乱があるのは古代ベルカの頃からベルカの地の常。しかし――――」


 「此度の歪みは、繰り返される国家の興亡に伴う治と乱、列王達が行う戦争による荒廃とは、異なる要素を含んでいるのではないか。そう、将は感じたのだな」


 「はい、外れて欲しい予感ではあるのですが」


 「悪い予感ほど当たってしまうものさ、少なくとも、儂が見てしまうものは、悪いものほど良く当たる。用心するに越したことはあるまいよ」



 放浪の賢者が、目を閉じたまま、誰に語りかけるわけでもなく、語る。



 「ラルカス師、貴方はどう思われる?」


 「ふむ、そうだね、まずはお前さんの得意分野であるデバイスに関してからにしようか」



 呟きつつ、放浪の賢者は纏う衣の内より、魔道書の形を成すデバイスを取り出す。


 これこそ―――



 「夜天の魔導書……………完成は近いのでしょうか?」


 「いいや、まだまだ、というべきかな。旅をする機能、致命的な破壊を受けるとも蓄積された情報を損なうことなく再生する機能、これらは一応の完成を見たものの、肝心の部分はこれからとなっているのだよ」


 「蒐集行使、ですね」



 放浪の賢者が持つ、予言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)と並び、彼を賢人と言わしめる技能、蒐集行使。


 簡単に言えば、見た魔法を即座にコピーし、フルパフォーマンスで再現することを可能とする技能であり、これは、聖王家において秘伝とされる技能でもあった。


 戦う相手が用いる魔法、戦技をその身に吸収し、自由自在に扱う、古の聖王の業。


 古代ベルカより続く聖王家、その血筋には強力な魔力を秘めており、やがては総称して“聖王の鎧”と呼ばれることになる技能の先駆けともいえる。


 そして、放浪の賢者はそれを誰から学ぶことなく編み出し、その機能を“夜天の魔導書”に組み込むことをも可能としていた。



 「とはいえ、プログラム体である魔導書が見ただけでコピーするというのも無理のある話。そこで、シャマルの持つ技能を利用することで解決しているのだがね、もう少し改良が必要であろうと思う」


 「シャマルのリンカーコア摘出、ですか」


 「とりあえずは、私とローセスが“旅の籠手”と“鏡の籠手”にて魔法生物からリンカーコアを抜き出し、夜天の魔導書の分身である“魔法生物大全”に書き記す、という方法を取っています。まあ、大半において使用するのは“鏡の籠手”のみですが」



 シャマルの持つ転送魔法は数多くあるが、その中でも強力かつ汎用性の高いものが“旅の鏡”である。


 シグナムとローセスが持つ籠手はシャマルの能力を二つに分けたようなものであり、“旅の籠手”は物理的に離れたものを掴む機能を、“鏡の籠手”はリンカーコアを対象とし、傷つけずに干渉する機能を持つ。


 厳密に言えば“旅の鏡”の効果自体はほぼ“旅の籠手”のみであって、リンカーコアに干渉するのはある意味で外科手術的な技術となり、治療に特化したシャマル固有の特性といえた。


 ちなみに、ラルカスも同様の技能を持つが、彼の場合はドルイド僧独自の魔術に由来する他の類の無い魔力運用を行うため、別の品で再現することが難しく、コスト的に意味がないものとなってしまうため使われない。



 「この夜天の魔導書は儂だけのものではない。もし儂だけで作っていたならば、ただ書き込まれた文章を放浪しながら保持するだけのものとなっていたであろうから、それでは、儂の記録が彷徨うことと何ら変わりない」


 後に再生機能、転生機能となる部分を作り上げたのは紛れもなくラルカスである。


 しかし、彼の持つ蒐集行使を、リンカーコアを蒐集することで夜天の魔導書によって再現することを可能としたのは、シャマルの手腕による部分が大きい。そして、さらにもう一つ。



 「お前さんがこれより作り上げる管制人格と守護騎士プログラム、それこそが、この魔道書に本当の意味をもたらすものとなるとも。どのような技術があろうとも、そこに伝えるべき意思が伴わなければ意味はないのだから」


 「まだまだ、未完成ではありますが」


 守護騎士プログラム


 それは、プログラム体でありながらも意思を持ち、夜天の魔導書と共に在り、人々のために残すべき、伝えるべき技術を考察し、実行に移していく意識体であり、管制人格は彼らを含めた全体の統括を担う。


 簡単に言えば人工の精霊であり、自然の流れの中に在る精霊にラルカスが機械精霊として言葉を与えたように、人が人のために意思持つ存在を作り上げる。


 知能持つ人工物という意味における先達がグラーフアイゼンであり、レヴァンティンであり、クラールヴィント。彼らは意思持つ機械であり、主のために考え、自身で動くことこそ出来ずとも、人のために在り続ける。


 そして、完全人格型融合騎の雛型であるフィーは、守護騎士プログラムのプロトタイプであった。



 「人間の心を投影するならば、既に可能な段階まで出来ています。特に魔法人形技術が進んでいるアイラなどでは、魔法こそまだ使えないものの、人間とほとんど違わない融合騎も製作されているほどです」


 「うむ、それなら儂も存じているよ。今回の旅ではアイラへは往くことはなかったが、あそこにはフルトンがいる。お前さんの大先輩と呼べる男であったかな」



 現在においても一部の調律師達が人格を有する融合騎の開発に成功しつつあり、その第一人者であるアイラの調律師、フルトンという人物も、かつて白の国で技術を学んでいた。


 彼は、フィオナの父の友人でもあり、フィオナ自身幼い頃に何度か会い、短期間ながらも調律の技の教えを受けたことがあった。


 「はい、以前彼から便りが届きまして、スンナとスクルドという二機の融合騎を作り出したと。そして、片方のロードとして、将にお願いできないかという打診も」


 「私が、ですか?」


 「何でも、スクルドの方はまだ搭載すべき能力が決まっていないそうなのだが、スンナの方は炎熱能力の補助、すなわち、火力の上昇という方針で行くらしいのだ。よって、炎熱変換の魔力特性を持つ将が、ロードとして相応しいとのことだった。将が留守にしていたので、とりあえずは保留ということになってはいるが」


 「まあ、よいのではないかな、シグナム。お前さんがロードとなるならば、その子も安心できよう。もっとも、完成まであとどのくらいの時間がかかるかは分からんがね。融合騎を完成させるというのは並大抵のものではない」



 それを誰よりも理解しているのは、夜天の魔導書にそれを組みこむために研鑽を続ける、放浪の賢者と調律の姫君の二人であろう。



 「ただ、フルトン殿も気にかけていたのが、融合騎の人格のことだ。彼女らは人間の人格を投射する形で作られており、“人間ではない己”、“永き時を生きる己”に倦み疲れるのではないか、と心配しておられる」


 「やっぱり、そこがネックになるのね」


 「人間と、デバイスの違い、ですか」


 シャマルとローセスもそれについては思うところがある。


クラールヴィントとグラーフアイゼン


 人間と共に在りながら、人とは違う意思を持った彼らを知るからこそ、人間に近い人格では悠久の時を生きることが難しいことが理解することが出来る。


 二人は騎士として常人を遙かに超える精神の強さを持ってはいるが、悠久なる時の磨滅に勝てる自身はなかった。


 僅かなりともそれを成し得ているのは、放浪の賢者のみであったから。



 「姫君、夜天の魔導書に組み込む管制人格や守護騎士プログラムを、レヴァンティンのような完全に人間とは異なったプログラムとするわけにはいかないのでしょうか?」



 そしてそれは、レヴァンティンと共に戦うシグナムも同様である。



 「それは、可能ではあるのだが………」


 「しかしそれでは、今度は“人間のために必要な技術”を選別する段階で問題が出てきてしまうのだよ。シグナム、お前さんも知っておるように、レヴァンティン、グラーフアイゼン、クラールヴィントの思考は人間とは異なっており、それ故に人間らしい考えを本当の意味で理解することは出来ない。これは彼らが彼らである限り避けられんことであり、同時に、彼らにとっての誇りなのだから」


 『Ja』

 『Ja』

 『Ja』


 賢者の言葉に、三機のデバイスが同時に応える。


 自分達は、そのような存在であると。


 それ故に、自分達には意味があるのだと。


 騎士達の魂は、静かに答えていた。



 「夜天の魔導書がただの装置であるならば人間の意思は必要ない。たが、人間のための技術を旅しながら蒐集していくという目的で作るのであれば、やはりそこには人間と近しい思考を持つ管制人格と、書を悪意から守る守護騎士プログラムが必要となる。しかし、人間をそのまま模写したのでは、今度は悠久なる時の流れに擦り切れてしまう、これは中々に難しい」


 「それ故に、ラルカス師の構想の下で私はフィーを製作した。あの子は私にとって娘であり妹のようなものだが、その自由な在り方は人間とも機械とも異なり、精霊に近い」


 「確かに、機械精霊とあの子は良く似ているわ」


 「共に、ヴィータの遊び相手、という面でも同じですね」



 それは、シャマルとローセスにも実感できる事柄である。



 「さながら、人間の命題にも、機械の命題にも縛られぬ、“自由の翼”といったところかな。この夜天の魔導書を託すならば、そのような存在こそが相応しいと儂は思うよ。人と共に在りながらも、例え人が滅ぶとも意味を失わない存在こそがね」



 デバイスは人間のために機能するからこそのデバイス。


 しかし、夜天の魔導書に託される願いは、そうではない。


 人間のために必要な知識や残すべき技術を蒐集しながらも、それを成すのは人間のためだけには動かない自由なる精霊。


 それは一見矛盾しているが、そうではない。


 逆に、人間のために必要な技術を、人間のためだけに機能する存在が管制人格として集めるのでは、それは非常に危うい。人を害する技術を集めるよう命令された場合、それは人のために人を殺す技術を永遠に集め続ける機構と化してしまう。


 一度負の連鎖へと陥った時、それは二度と脱出できぬ無限ループへと嵌ることを意味する。それこそが、デバイス、すなわち機械の持つ最も危険な側面なのだ。




 「だがそれでも、とりあえずはお前達三人とラルカス師の人格を元に、守護騎士プログラムの製作は進めている。最終的には命題というか、存在の根本を精霊に近い形に仕上げることになるが、能力や性格は恐らくそのまま残る。だから、かなり人間らしい精霊ということになると思う」


 「つまり、私とシャマル、ローセスの三人は、夜天の魔導書を守るための守護騎士となる、ということですね」


 「まあ、今も似たようなものですけど」


 「我らの魂、夜天の主と共に在り」


 「儂は一応作り手ということになるが、夜天の魔導書の主ではない。主はあくまでお前さんだとも、フィオナ。この夜天の魔導書も、元々はお前さんの先祖に依頼されて作り始めたもの、もう、80年近く昔のこととなるがね」



 白の国は技術を受け継ぎ、伝えるためにある。


 放浪の賢者は白の国と共に在り、その技術を諸国へと教え広める。


 そして、その長き人生の最後の仕事こそが、夜天の魔道書の作成であった。



 「流石に儂も老いたよ、そろそろ旅を続けるのも限界にきたようでね」



 大賢者といえども、老いには勝てない。


 彼の命がいつ尽きるか知るのは彼のみであるが、それでも、彼が白の国と共に在り続けられる時間はそう長くはない。


 それ故に、彼は夜天の魔道書を残すのだ。


 自身の代わりに、それが白の国を見守り、技術の蒐集役にして広めし者、という役割を担えるように。



 「しかし、大師父ならば、老いに勝つ手法すら御存知なのではないですか? 既に、その年齢は人間の限界を超えていらっしゃるはず」


 「ほっほ、若いねローセス。それではいかんのだよ」


 「なぜです?」



 その瞬間、ずっと笑みを絶やさなかった放浪の賢者の表情が、引き締まったものへと変化する。



 「儂を敬うことを止めはせんよ、老人を大事にすることは、限度もあれど悪いことではないからね。しかし、その者を敬う、もしくは大切に思うあまり、自然の理を超越しようとしてはいかんよ。なぜなら、そのような考えこそが、現在のベルカに広まりつつある闇の源泉なのだから」


 「!?」



 その言葉は、ローセスの心にさながら鉄鎚の如き衝撃を与える。


 彼はラルカスとシグナムと共にそれを調べるために旅をしてきたが、まさか、自分の内にすら影の一部が食い込んでいるとは、思いもしなかったのだ。



 「何も、邪なる願いのみが闇を呼ぶのではない。いや、むしろ純粋なる願いこそが破滅を呼ぶのであることが多い、これは、経験則であるため、信頼性は高いと思うよ」


 「闇…………やはり、その源はアルハザードなのでしょうか?」



 アルハザード


 それは、白の国ならず、ベルカの地に生きる者ならば、一度はお伽話の中で聞いたことはある名。


 この世の全ての叡智はそこにあり、そこには人の歴史の始まりと終わり、そして、全ての叡智が記された万能の書が眠るという。


 ただ、それを確認したものは、ただの一人もいないため、あくまでこれはお伽話である。


 そう、そのはずなのだ。


 しかし―――



 「ああ、それは疑いない、最果ての地、アルハザードより流れ出る技術は、静かに、だが確実にベルカの地に広まりつつある」



 夕月の間に、これまでを遙かに超える重い空気が流れる。



 「ベルカの地は、いくつもの次元世界より成り立つものの、それらは全て“近しい世界”。五次元の海を漂う島のまとまり、列島や諸島と称すべき距離に限定されている」


 「ラルカス師、それは一つの世界に例えるならば、広大な海の、ある海域に存在する一まとまりの数百の島々。そのうち十数ばかりが知られているに過ぎない、ということですね」


 「少なくとも、儂にはそう観えたよ。しかし、アルハザードは違う。あれは同質の島々の一つではなく、遙か彼方に存在せし本当の意味での“別世界”。その文明を築き上げた者らも、人間とは根本から異なる者たちであろう」



 放浪の賢者は語る、あれは異物であると。


 若き頃、見てはならぬものを見てしまう寸前まで至ってしまった彼だからこそ、それの異端性を理解できる。


 それは、人間が理解してはならないものだということを、彼は理解したのだ。



 「あまり気分の良い話ではないが、グラーフアイゼン、レヴァンティン、クラールヴィントの三機、そしてこの夜天の魔道書とて、その技術の一端であるといえるだろうね」


 「………………貴方が、そう考えた理由とは?」


 「古代ベルカの時代にもデバイスはあったとも、しかしそれらはあくまで魔法の効率を高めるためのものに過ぎず、儂の持つシュベルトクロイツのように、純粋なる杖の形をしたものがほとんどであり、戦士が持つものは剣や槍、もしくは斧」


 「はい、それは白の国に伝わる書物より存じております」


 「古代ベルカとて平穏であったわけではない。今よりおよそ500年の昔には、各地で王国が興亡を繰り返し、戦が絶えること無き乱世であったと、ドルイド僧達は語り伝えている、そしてそこに、アルハザードより彼の翼が現れた」


 「……………聖王の、ゆりかご」



 フィオナがその名を呟くと同時に、三人の近衛騎士の身体にも緊張が走る。


 これもまた、お伽話に近いものではあるが、アルハザードそのものと異なり、実在することが確認されているために。



 「古代ベルカの叡智の結晶、とは言われるが、それはあり得ん話だとも。そもそも、古代ベルカにはそのような技術は文字通り“存在していなかった”。故に、あれはベルカの地においてすら、ロストロギアと呼ばれるのだからね」


 この時代に作られた魔法の遺品を、遙か後の時代ではロストロギアと呼ぶ。


 しかし、“聖王のゆりかご”はこの時代にあってすら、既にロストロギア。


 ならば、それは何処より来たりしものであるのか。


 大賢者は、ただ静かに語る。



 「初代の聖王がいずこよりあれを発見し、その血筋をゆりかごの鍵としたのかについては、我々の一族にすら伝わっていない。しかし、確かにそれは現れ、その大いなる力によって古代ベルカを席巻し、地に平和をもたらした。そして、それよりしばらく後にベルカ暦、諸王の時代が始まった」


 次元世界の歩みは、隣り合わせで進んでいる。


 現在はベルカ暦485年、ある世界の西暦に合わせるならば1000年頃、そして、古代ベルカの終焉、つまりベルカ暦の始まる頃は西暦においても500年頃、ローマという国家が滅び、時代の転機が訪れつつあった。


 遙か後の管理局時代においては、彼ら夜天の騎士が生きた時代も“古代ベルカ”と呼ばれるが、正確に述べるならば“古代ベルカの王達の血を引く諸王家の時代”である。ちょうど、地球ならばビザンツ皇帝がローマ帝国の継承者であったようなものであろうか。


 そして、西暦にして1700年頃の“最後のゆりかごの聖王”は王家という形でその血筋を継いだ最後の王であり、その時代は王制時代の末期、国家体制は王制から共和制へと移行し、魔法を使える者は王族、貴族として君臨する魔法の時代は一度民衆の手によって終わり、質量兵器で武装した非魔導師達の時代がやってくる。


 その後に訪れた大混乱の時代を経て、魔導師とデバイスが再び共に歩みだした、乱の狭間の治の季節、管理局の時代が始まる。



 中世ベルカと呼ばれるこの時代は、騎士が騎士らしく在ることが許された、“古き良き時代”なのである。



 「確か……今でも聖王家の継承者はゆりかごで生まれて、死ぬ時はゆりかごで死ぬ、とか」


 「流石は湖の騎士、よく知っているね。彼の翼も今は眠りについており、聖王家の治める国も平和な土地であることは疑いない。初代の聖王も、ゆりかごが危険な存在であることは知っており、厳重な封印を施した結果は功を奏しているようだ」


 「しかし、その封を解こうとしている者達がいる。ならば、我らの守りし白の国にもいずれはその手が伸びることも覚悟せねばなりませんね、大師父」


 烈火の将は決意と共に言葉を述べるが。


 「その通りであるが、それだけでもないのだよ、古代ベルカの時代にアルハザードより流れし“最果ての地の叡智”、それが伝わるのは聖王家のみではない。ゆりかごと同等の力を秘めた古代兵器は今もベルカの地に人知れず眠っており、そして、この白の国もその一つ」


 「なっ!」


 「ええっ!」


 「本当ですか!」



 驚愕は近衛騎士三人もの、彼らもこれについては初耳であったのだ。


 唯一知るのは、病床に倒れた父よりそれを聞かされていた、フィオナのみ。



 「今まで秘密にしていて、すまなかった。将、シャマル、ローセス」


 「まあ、仕方あるまいね。これを知るのは白の国の歴代の王とその継承者、もしくは儂くらいのものであるから」



 なぜそれを貴方が知っているのだ、と疑問に思う夜天の騎士ではなかった。


 むしろ、放浪の賢者が知らなかったならば、そちらの方が驚きである。



 「話を少し戻そう、デバイスが“武器”から“機械”へと近づいたのはベルカ歴が始まった頃、つまりはゆりかごなどの古代兵器がベルカの地に現われた頃より、しかし、その進歩はお世辞にも速いものとはいえなかった。何せ、500年ほどかけてようやくレヴァンティン達が作れるレベルに達し、融合騎の雛型が作れるようになったのだから」


 そして、その歩みは、白の国と共にあった。


 「つまり、その始まりこそ異形の技術の一端があれども、その後の発展は、あくまでベルカの地に根付くものであった、ということなんだ。そして、白の国はその発展を見守りつつ、共に歩んできた…………もし、古代兵器を呼び覚まそうとする者が現れれば、それを防ぐべし、という言い伝えと共に」


 「そうして、今のベルカはある。始まりより既に500年、これだけの歴史を費やして構築してきたものであるならば、この技術は既にベルカ独自のものと誇ってよいだろうとも。しかし、それとは異なる技術が、新たに台頭しつつあるのは、皆知っていよう」



 それこそが、彼ら三人が諸国を渡って調べてきた最大の案件。



 「………魔導師を改造し人造魔導師を創り出し、魔獣をかけ合わせ、改造種(イブリッド)を創り出し、命を弄ぶ」


 「最果ての地より流れ出る、異形の技術、ですね。わたしたちが調べた魔法生物の中にも、これまでに確認されていない生き物が何種かおりました」



 夜天の騎士が各地の魔法生物を調べて回っていたのも、在来の生物種との相違を確認するため。


 その調査の結果、本来の生命の流れではあり得ない生態を持つ魔法生物が確認されたのであった。



 「つまり、兵器として魔法生物を開発している者達がいる、ということですか」


 「幾つかは潰したが、あれはあくまで枝の一部に過ぎないだろうね。隠形が下手な者らは千里眼で見つけ出せるものの、技術が優れたものほど隠れることも上手い、過去視というものもそれほど便利なものではなく、最後はやはり足で探すより他はないのだよ」


 「それでも、大師父がいなければ僅かでも潰すことすら叶わなかったでしょう」



 シグナムやローセスの本分は戦闘にあり、探索は得意とするところではない。それを得意とするのはシャマルであり、そして、ラルカスであった。



 「だが、問題の本質はそこではない。今はまだ生命操作技術は異形のものという認識があるが、水面下では広まりつつある、なにしろ、これらは王族や貴族なればこそ夢見る“不老不死”を実現する手段ともなり得るからね」


 「自身の分身を創り出し、それに全記憶を移植する、でしたか」


 「プログラム体でもよいのであれば、白の国とて同じことは出来るとも。しかし、それを人間の身で行おうとすれば、歪みは避けられない。どんなに長く生きたところで、死というものからは逃れられんよ」


 人より長く生きし賢者は、そう語る。


 「しかしやがては、それらの技術は異形ではなく、王族や貴族のみに許された“奇蹟の力”とされる日が来るかもしれない………嫌な予想ですが」



 しかし、それを笑い飛ばすことは誰にも出来ない。


 その予兆が、ベルカの地に見られているのだ。



 「現状は、ハイランド、ヴェノン、アルノーラ、ミラルゴ、ロドーリル、ミドルトン、そして聖王家など、列王達はそれらの技術にそれほど興味を示していないようだね。彼らは良くも悪くも武人の家系、戦って白黒つけねば気が済まないところが玉に瑕ではあるものの、それ故に死というものを軽く見ることはないのは良いことだと思うよ」


 「常に戦っているからこそ、死を重く見る、ですか」


 「それは、わたしにも実感はあります」



 騎士として戦場を駆けるが故に、シグナムとローセスは死を感じ、死と共に在る。



 「その通り、皮肉な話ではあるがね。平和で、戦がない国ほど死というものを軽く見てしまう、ただ生きているだけで満足できないが故に、さらにその先を求め、長寿、果ては永遠の命を夢見る。これもまた、人の業というものかな」


 「それも人の持つ願いではあると思います、薬も医療も、長く健康に生きたいという意思から生まれました。ですが、それでも人は、生きることそのものにおいて、自然の理に逆らうべきではないと、私は思います」



 医者として、人を救うがために、シャマルもまた死と共に在る。殺すことも救うことも、死に近いという面では同義なのだから。



 「お前さんのように、人を治し、薬と毒を知り、生命の儚さに触れればこそそう思える。しかし、特権階級にある者ほどそれらから遠ざかってしまうものだよ。まあ、この法則を覆す社会構造というものは儂にも思いつかんがね、対案がない以上は軽々しく非難しても詮無いこと。ならばこそ、自分達に出来る対処法を考えるしかない」


 「ラルカス師のおっしゃる通りだ。私達白の国がどうするべきか、それこそが重要であり、私達にはそれしか出来ない」



 主君のその言葉に、騎士達は頷きを以て応える。



 「幸いにも、情報はある。ここより遠く離れた世界にニムライスという国があるが、その国にてある都市が独立し、さらにその周辺の街を併合しファンドリアという国家を名乗った。そして、その国が独立するために用いた力こそ」


 「生命操作技術、というわけですか」


 「そう、人造魔導師こそまだいなかったがね、従来の魔法生物とは異なり、戦うことのみに特化した生物が戦力として投入され、ニムライスの騎士達を屠っていった。その光景は、民が見るには少々重いものであったよ」


 「まさか、大師父、過去視を使われたのですか?」


 シグナムの問いに、賢者は頷きを返す。


 「それほど難しいことではなかったよ、彼の地には、強い“嘆き”が残されていた。異形の生命に殺されし者達は、これはあってはならない生き物であると認識し、その意思は“嘆き”となって漂っていた。儂はそれを眺めたに過ぎんよ」


 「ですが、その力をもって、ファンドリアという都市は、ニムライスという国から独立を果たしたのですね」


 新たに問いを投げるのは、シャマル。


 「そればかりか、今やニムライスそのものを飲み込みつつある。ファンドリアは国家と呼ぶにはいささか以上に相応しくない、あれは、人々が作り上げる国ではなく、一人の男によって築かれた瓦礫の王国なのだ」


 「………ラルカス師は、その人物を御存知なのですか?」


 「次元跳躍の技を用いて何度かファンドリアへ赴き、国全体の観察を行った。ここに来る前に寄るべき場所があるといったのもそういう理由があってのこと、と言えるかな」


 「なるほど」


 「そして、かつては一都市であったファンドリアの太守であり、それを国家となし、ニムライスすら飲みこんだその者の名はサルバーン。お前さんらも、その名は知っているはずだがね」


 「サルバーン!」


 「まさか!」


 「あの、サルバーンですか!」


 「………そんな」


 四人の驚きも無理はない。


 なぜならその名は、数十年前に白の国にて学び、他ならぬ放浪の賢者ラルカスの薫陶を受けし、多くの偉業を成した大魔導師の名であったのだから。


 また、融合騎の製作者として名高き調律師フルトンとも友であり、フルトンはデバイス製作技術を、そしてサルバーンは魔法を実践すること全般に関する知識と技術を深めていった。


そして、白の国が誇る技術のうち、魔法石やカートリッジなども、その原型を作ったのは彼なのだ。


それ故、もしサルバーンという人物がいなければ、カートリッジ搭載型アームドデバイスは完成しなかったであろうと言われている。



 「彼が…………異形の技術を………」



 シグナムとて面識があるわけではないが、騎士である彼女にとってもサルバーンの名は大きな意味を持つ。


 大きな力を持ちつつも溺れることなく、白の国、いや、ベルカの地に更なる発展をもたらした、偉大な魔導師として彼の名は語り継がれているのだから。


 そして、彼女が持つレヴァンティンのカートリッジシステムも、彼なくしてはあり得ないものであったために、もっとも、その知能の部分はフルトンが基礎を成し、フィオナが完成させたものではあるが。



 「あれだからこそ、とも言えるだろう。むしろ、並のものであればここまで異形の技術を浸透させることなど出来まいよ。サルバーンには力があり、叡智があり、実績がある。だからこそ、諸国の王もあれの言葉には耳を傾けてしまう、あれが作り出したカートリッジが、多くの国と騎士に力をもたらしたように」



 およそ、50年ほど前に白の国に現われた二人の天才、フルトンとサルバーン。


 それまでも、多くの魔法技術が白の国より生み出されてきたが、この二人によってさらに飛躍的に進歩することとなった。


 片や、それまで魔法の発動体であったデバイスに知能を与えた、騎士と心を通わせるように。


 片や、デバイスに更なる力、カートリッジを与えた、術者の限界を超えた魔法すら紡げるように。


 そして、フルトンの技術はフィオナ姫へと受け継がれ、彼もまたデバイスの知能をさらに発展させ、二機の融合騎、スンナとスクルドを創り出し、フィオナはそれをさらに進化させるための卵、フィーを創り出す。


 逆に、更なる力を求めたサルバーンが何を研究し、何を創り出したかは知られていなかったが、それが、世に出る時がやってきつつあった。


 彼の創りしもの、彼が求めた更なる力とは、すなわち―――



 「ですが……………ちょっと待って下さい」


 そこに、フィオナが疑問を呈する。


 「もしかして、彼は、白の国に眠るアルハザードの遺産を知ったのでは?」


 「十中八九知っているだろう。しかし、全てを知っているわけではないと儂は観る」


 放浪の賢者が観た、それが指す言葉はすなわち。


 「観たのですか?」


 「危険な賭けではあったがね、まあぎりぎりで気付かれずに済んだようだ。そして、あれがいずれ、白の国に禍をもたらすこともまた疑いない」


 放浪の賢者の予言は諸刃の刃。


 なぜなら、仮に白の国の滅亡を予言してしまえば。その未来を高い確率で引き寄せてしまうのだ。


 未来は、闇雲に観るべきものではないと賢者は語る。


 未来は未定であるからこそ、人は希望を持つことが出来る。ただ人に絶望を与えるだけの効果しかもたらさないのであれば、予言に意味などありはしない。



 「では、我々がとるべき行動とは――――」


 「それなのだがね、あれが何を考え、何を目的に動くかを把握しきらんうちは無暗に動くべきではない。なので、しばらくは儂一人で探索の旅に出ようと思う」


 「お一人で、ですか」


 「そう遠くないうちに、この白の国に戦火が近づいてくる。ならばこそ、お前さん達の役目は白の国を離れることではなく、若木達を育てることにある、違うかね?」


 「それは………」


 「それに、これまでと違い此度の旅は隠密行動が多くなる、また、人間とはいささか異なる旅の仕方もする予定なのでね、人間の騎士であるお前さんらでは随伴は辛いだろうよ、今回の旅の供は、機械精霊達にお願いしようと思っている」



 この半年の旅は、クレスという青年のように白の国の出身者たちを巡るものであり、人里を辿るものであった。


 しかし、放浪の賢者がこれより行う旅はそれとは異なるもの、街道をゆく旅ではなく、獣道を行くのでもなく、道の下に穴を掘って進むような旅。


 なぜなら彼は、白の国以外に存在する古代ベルカの時代、いや、さらにそれ以前の時代の遺跡に潜り、そこに眠るアルハザードよりの流出物を調査するつもりなのだ。


 強固な封印が施された場所、もしくは真竜などの強力な守護獣がいた場合は、千里眼などの探査魔法は通じない、直接足を運び、調べるより他はないのである。



 「夜天の魔導書はしばらくお前さんに預けるよ、フィオナ。もはや半ば儂の手を離れつつある品ゆえ、主であるお前さんが持っていた方が良い」


 「大丈夫なのですか、貴方は確か、直接攻撃系の魔法が不得手なのでは?」



 放浪の賢者ラルカスはフルトンとサルバーン、二人の天才の師であるが、その能力は戦うものよりも人の常識を離れたものが多い。


 時空を渡る業、未来を観る業、果ては精霊に名を与え、形を成す業まで。


 精霊の持つ移動性や不死性を込めた作品が“夜天の魔導書”といえるものの、直接的に攻撃する魔法は彼の得意とするところではない。だからこそ、今度の旅ではシグナムとローセスが供となったのである。


 そして、フルトンは理論者としての天才であったが、サルバーンは実践者としての天才。


 だからこそ彼は、デバイスを実践面で強化し、カートリッジ、さらにはフルドライブを編み出した。


 彼を相手にするならば、ラルカス一人では太刀打ちできないという懸念は尤もであった。



 「得意ではない、が、出来ぬわけでもないよ。それに、いざとなれば逃げればよいだけの話でもある。こと逃げ脚に関してならば儂を超える者はおらんと自負しているからね」



 あらゆる次元を渡る放浪の賢者。


 彼を超える移動手段を持つ者など、ベルカの地に存在しない。



 「サルバーンの手もすぐには白の国には及ぶまいよ。この白の国を害そうと思うならば、それ以前に国際的な根回しという者が不可欠なのは事実。もしくは、そのためにあれはファンドリアなる国家を築き上げたのかもしれない、何とも剛毅なことではあるが」



 野心を持ち、出世を夢見る人間の多くの目標は王となること。


 しかし、最果ての地、アルハザードの異形の叡智を求め、全てを極めんとする黒き魔術の王にとっては、そんなものは目的物を手に入れるための手段の中の一要素に過ぎない。


 そして、その男が白の国へ牙をむく日は、そう遠いことではないと賢者は語る。



 「それ故、夜天の騎士達よ、決して用心は怠るな、そして、白の国の在るべき姿を見失うなかれ。技術を伝えるための機構が白の国なのではない、伝えるべきものを残そうとする意志こそが、白の国なのである」


 「はっ、我が魂レヴァンティンにかけて」


 「はい、我が魂、クラールヴィントにかけて」


 「了解しました、我が魂、グラーフアイゼンにかけて」



 夜天の騎士達が放浪の賢者の言葉に対し、各々の魂に誓う。



 「ラルカス師、すまない」


 「いやいや、これもかつての友との約束なのだよ。お前さんの生まれる遙か以前に交わした、白の国を築きし旧き友との誓約、違えるわけにもいくまい」


 「そうですか、ならば、私と騎士達は今の白の国のために全力を尽くしましょう」


 「それでよい、放浪することは儂に任せ、王は国を守り、騎士は民を守ることに専念せよ。人が出来ることは多いように見えて実はそう多くはないのだから」




 白の国の会議は、こうして一旦の終わりを迎える。


 無論、放浪の賢者が再び旅立つ僅かの間に細かい予定が話し合われることとなるが、それはあえて語るほどのものでもない。


 ただ、若木達がただ穏やかに過ごせる日々が、徐々に終わりを告げつつあることは紛れもない事実であり。


 夜天の騎士達の長い闘いの日々が、始まる日もそう遠いことではない。




 その未来が、訪れるのは果たしていつとなるか



 放浪の賢者の予言は未だ一つのみ



 その予言が指し示す未来とは―――――






あとがき
 本作品においては、アルハザードはクトゥルフ神話でいうところの“セラエノ”などに近い立ち位置となっておりまして、そこからの流出物に関しては、お察し下さい。
 リリカルなのはという作品を三部作通して見ていると、どうもアルハザードという場所は、根本から異なるように感じられ、断片的な古代ベルカの文化や歴史を考察すると、微妙な“捻れ”を感じたことがこれらの設定のきっかけとなっております。
特に、ユーノのStS第20話の“先史時代の古代ベルカですら既にロストロギア扱いされていた古代兵器、失われた世界、アルハザードからの流出物とも”という言葉や、ゆりかごの次元航行艦隊とすら互角に渡り合えるという力は、騎士がデバイスを用いて“個人対個人”との戦いで最強と謳われたベルカの時代とどうしても合わない気がして、やはりユーノの考察のように、ゆりかごは“外側”から流れてきた品ではないかと考えました。
 そしてVividで語られている、なのは達の時代から300年前の“最後のゆりかごの聖王”の時代の文化や軍事力、さらに150年前には質量兵器が全盛であったことなどから、魔法の力で君臨していた貴族階級や王権は、質量兵器で武装した非魔導師達によって一度滅ぼされたのではないかと考察した次第です。
 そうして時代考察を続けていくと、ゼノギアス世界に近い歴史をリリカルなのはの次元世界は辿っているのではないかという結論に至りました。早い話が、アルハザード(デウス)より流れる技術を元に反映する超文明(セボイム)とその衰退の繰り返しです。そして、そのシステムの名は………
 まあ、なのはwikiなどに記述されている部分を独自設定で補完しただけなのですが、原作の設定そのものは可能な限り壊さないようにすり合わせるつもりですので、粗い部分には目を瞑っていただけると幸いでず。(現代編の物語には直接影響は出ませんので)




inserted by FC2 system